| 2008年10月6日、プロ総合格闘技への転向がスポーツ報知の一面で報じられ、明らかになった。 |
| また、出場予定だった当日の世界選手権団体も調整不足を理由に辞退した。 |
| 翌日の10月7日の会見では、「卒業のことで頭がいっぱい。 |
| 焦らずゆっくり考えたい」と進退の明言を避けた。 |
| 10月31日、全日本柔道連盟に対して強化指定選手辞退届を提出 |
| 11月3日に記者会見で「11月3日をもって柔道家をやめ、プロ転向を決めました。 |
| 総合格闘技のチャンピオンになれるようにがんばります」と、正式にプロ転向を表明した。 |
| このころから柔道選手時代のトレードマークであったスキンヘッド(写真)から、スポーツ刈りにヘアスタイルを変えている。 |
| 2008年11月17日に個人事務所「Twill33」(ミーサン)を設立し、取締役である(マネジメントはケイダッシュ)。 |
| 2008年12月16日に世界最大の総合格闘技団体UFCへの参戦意志を明言。 |
| 同年12月27日にアメリカ合衆国で開催されたUFC92を観戦し、同日深夜にUFCを主催するズッファ社と独占交渉契約を交わした(2009年1月末で独占交渉期限切れとなった)。 |
| 渡米中には現役選手にしてUFC殿堂入りしているランディ・クートゥアらの指導を受けた。 |
| その後はアメリカン・トップチームで練習を積んだ。 |
| 2009年1月4日、戦極の乱2009のリングにUFCのTシャツ姿で上がり「これからアメリカで試合をすることになりましたが、いつか大きなお土産を持ってこのリングに立ちたい」と発言した |
| 2009年6月1日、記者会見で戦極(現SRC)と同日に仮契約したことを発表。 |
| 戦極と契約した理由については「日本で育ち、日本で生まれた柔道に生かされてきた。 |
| その結果、オリンピック金メダルを手にしました。 |
| まずは、日本の格闘技界を盛り上げ、恩返しすることが私の宿命だと思った。 |
| 自分の祖母は半分、片足を棺桶に突っ込んで、いつ亡くなってもおかしくない状況なので、祖母に生で試合を見せてあげたい」「日本にある団体の中で、『戦極』では、自分が最も尊敬する、世界のヘビー級で一番強い選手・エメリヤーエンコ・ヒョードルと(当時)対戦予定のジョシュ・バーネット選手がいます。 |
| もし、ジョシュ・バーネット選手が勝てば、最強はジョシュ・バーネット選手になるので、そういう選手がいるのが『戦極』なので、そういう面でも『戦極』に惹かれました。 |
| 」と語った |
| 「本契約はファンの前でしたい」とし、6月4日に新宿ステーションスクエアにて本契約の公開調印式が行われた |
| 2009年3月から2か月半の間、ブラジルのパラー州ベレンにある、リョート・マチダの道場で武者修行を敢行した。 |
| 2009年9月、同年大晦日に行われるSRC(戦極)にて吉田秀彦との対戦が正式決定 |
| 2009年9月、国士舘大学を卒業(単位が足らず、同年3月での卒業はできなかった) |
| 2009年11月25日、K-1とDREAMを主催するFEGとSRC(戦極)を主催するWVRが大晦日の格闘技大会を合同開催することを発表し、SRCの大晦日大会は中止となり、同大会で予定されていた石井慧vs吉田秀彦戦はFEG主催のDynamite!!〜勇気のチカラ2009〜で行われたが、判定負けを喫した |
| 2010年3月20日、練習先であるハワイの興行「X-1Champions2」でササエ・パオゴフィーとエキシビションマッチ |
| 2010年4月8日、4歳年下の女子大学生と入籍。 |
| 同年1月にハワイで初めて知り合ってから3か月での結婚となった |
| 2011年1月、入籍から9か月で離婚した。 |
| 2010年5月15日、ニュージーランド・オークランドで開催されたXplosionでタファ"タンパー"ミシパティと対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ち |
| 2010年6月4日、ハワイ・ホノルルで行なわれたX-1:NationsCollideでマイルス・ティナネスと対戦。 |
| 1R終了間際に左フックでダウンを奪い追撃のパウンドを繰り出すも、1R終了後の攻撃だったとして反則負けと裁定されるも |
| 2010年9月25日、DREAM初参戦となったDREAM.16でミノワマンと対戦し、3-0の判定勝ちで格闘家としての日本初勝利を収めた |
| 大会3日前の9月22日に参戦が発表されるほどの緊急参戦となった |
| 2010年11月8日、K-1WORLDMAX2010FINALに参戦。 |
| 当初はアンズ"ノトリアス"ナンセンとDREAMルールで対戦予定だったが、試合2日前のドクターチェックでナンセンの古傷が治っていないことが発覚し、ドクターストップになったため、試合前日に相手が柴田勝頼に変更された |
| 試合ではアームロックで一本勝ちを収めた。 |
| 2010年12月31日、Dynamite!!〜勇気のチカラ2010〜にてK-1ファイターのジェロム・レ・バンナと総合格闘技ルールで対戦。 |
| K-1が本職で4年間総合格闘技ルールの試合をしていなかったバンナ相手に寝技で関節技を極めきれず、スタンドでパンチと膝蹴りを浴びるなど苦戦。 |
| 3Rに抑え込んで判定勝ちを収めたものの、バンナからパウンドを浴びた際には石井が日本人でありながら日本の観客からバンナへの歓声と掛け声があがり、逆に判定で石井の勝利が告げられた際には観客から石井へのブーイングが飛んだ。 |
| 試合後、石井は「バンナ選手の寝技が予想以上にうまかった。 |
| プロデビュー戦では負けはしたが、吉田秀彦さんからパスガードしてサイドポジションを奪うことは出来たし、今回の試合に備えてエメリヤーエンコ・ヒョードルに一本勝ちした柔術世界王者ファブリシオ・ヴェウドゥムと練習してきて、寝技スパーリングで僕はファブリシオからパスガードしてサイドポジションを奪って抑え込めていたから寝技には自信があった。 |
| しかし、バンナは寝技でもファブリシオと同じくらい足が利いていて、今までで一番パスガードするのが難しい相手だったし、アキレス腱固めやヒールホールドの防御のやり方も出来ていて、寝技で下から打ってくるパンチも強かったKamiproNo.155」「ブーイングは応援の裏返しだと思うし、それだけ期待していただいていることだと思う。 |
| 次は一本、KOで勝ちたいと思っています」と語った |
| 2011年4月1日にカリフォルニアで開催のStrikeforceChallengers15でスコット・ライティと対戦予定だったが、東日本大震災の影響でビザの取得が遅れるなど試合に必要な手続きが出来ないため、欠場となった |