| 10月以降の消化試合で5試合の出場にとどまったが、初出場の対ヤクルトスワローズ戦で、この年最優秀中継ぎ投手賞を受賞した石井弘寿から初安打を放った。 |
| シーズン中から一軍出場機会が増え、2年目ながら116試合に出場。 |
| 肩・打撃の衰えを隠せない西山秀二の正捕手の座を脅かし、前年活躍した木村一喜をも抜き去る存在となった。 |
| 打率は2割前後を推移したが、シーズン通算4本塁打のうち、2本が満塁、2ラン・3ランが1本ずつと良い場面での本塁打が多かった。 |
| 強肩で知られる谷繁元信を超える盗塁阻止率も残した。 |
| 8番捕手でプロ入り初の開幕スタメンの座を掴むと、不振に終わった前年より安定感を増した打撃が評価され、西山から正捕手の座を勝ち取った。 |
| シーズン終了までほぼ全試合に出場した。 |
| 自身初の規定打席に到達し、135試合出場、打率.288、6本塁打はすべて自己最高の成績であった。 |
| オープン戦でファールを打った際に左手有鈎骨を骨折し、春先は出場できなかった。 |
| 5月末に復帰後はスタメン捕手として起用されたが、打撃で足踏み状態が続き、目立った活躍は8月2日の対巨人戦でサヨナラ打を打った程度であった。 |
| 守備でも8月9日の対ヤクルト戦で、振り逃げのリック・ガトームソンに気を取られ、三塁走者アダム・リグスに背を向けて一塁に緩慢な送球を行っている間に、俊足のリグスにホームインを許すなど精彩を欠いた。 |
| 結局8月中旬以降は、自身の故障中に起用されていた倉義和に再び正捕手の座を奪われた。 |
| 倉と併用される形で捕手を務めた。 |
| この年は倉も打率.239と不振であったが、石原も開幕直後こそ打撃好調であったが、5月から急ブレーキで打率.221に終わった。 |
| 得点圏打率は1割を下回るなど、結果を残すことが出来なかった。 |
| 特に満塁では6打数4併殺打の無安打と勝負弱さが目立った。 |
| また5月31日の対西武戦でスクイズプレイを敢行するもピッチアウトされ、ジャンプしたもののバットにボールが当たらず失敗に終わっている。 |
| 8月12日の対巨人戦では、前年に続きサヨナラ打を放っているが、信頼を掴むには至らなかった。 |
| 9月7日の対横浜戦において、10回裏2死満塁打者佐伯貴弘の4球目に、31年ぶりとなるサヨナラ打撃妨害を犯した。 |
| この日は本人の誕生日で、レフトスタンドからも第一打席でハッピーバースデーの歌で祝福されただけに、何とも味の悪い誕生日になった。 |
| 石原は「永川に申し訳ない。 |
| どうのこうの言えない」と肩を落とした。 |
| ブラウン監督は「あんなプレーは初めて見た。 |
| あってはならない。 |
| また明日!また明日!」と気持ちを切り替えていた。 |
| 前年に続き倉と併用される形が続き、スタメン機会はほぼ半々だった。 |
| 5月8日の対中日戦では中継ぎ投手の負担軽減のため、ブルペンで投球練習を行ったこともあった。 |
| 登板はなかったが、今後も同様な場面があった場合の登板を示唆されている。 |
| 5月26日、対ソフトバンク戦の同点の八回に、顔付近に来た球にのけぞって尻もちをつきながらも、三塁方向にスクイズ成功。 |
| チームの交流戦初勝利に貢献した。 |
| このスクイズを含め5月から6月までは打撃好調で、2004年に次ぐ打率.281の好成績を残した。 |
| しかし今度は倉も8月以降打撃が上向いて打率.274を記録し、8月にはスタメン捕手の座を譲ることも多かった。 |
| 10月1日、対中日戦の8回裏1死3塁の場面、初球からスクイズを敢行するがピッチアウトされ、前年の対西武戦で外された時よりも更に大きくジャンプしたものの惜しくも届かず失敗に終わった。 |
| 前年も含め、スクイズを外された際のジャンプがあまりにも美しかった為、ファンやネットの間で「飛ぶキャッチャー」と呼ばれるようになった。 |
| 2004年以来となる開幕スタメンの座を掴むと、倉の打撃不振もあり、出場機会を増やし4年ぶりの100試合出場、規定打席到達となった。 |
| 打撃でも勝負強さを見せ、日によっては6番を任される試合もあった。 |
| 本塁打と打点は自身最高の数字を残した。 |
| 2009ワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選出。 |
| 第一次の東京ラウンドでは出場機会はなかったが、サンディエゴでの第二次ラウンド韓国戦で初出場を果たした。 |
| 登録メンバーの中でただ一人打席に立つ機会がなかった野手である。 |
| 帰国後、チームに合流するとキャプテンに任命される。 |
| シーズンでは、新本拠地であるマツダスタジアム開催の恩恵もあり、マツダオールスターゲームに初めてファン投票で選出された。 |
| しかし、シーズンでは開幕から打率2割にも満たない極度の打撃不振に陥る。 |
| ライバルである倉も打撃不振だったためにレギュラー固定され続けたが、調子は一向に上がらず、一時は1982年の山倉和博以来となる「規定打席到達での1割打者」となる可能性も取り沙汰された。 |
| 最終的に打率は.206とぎりぎりで2割台に乗せたが、シーズン後半は倉や若手の會澤翼と併用されて途中出場や途中交代が増え、前年より1試合多い124試合に出場しながら、規定打席には届かずに終わった。 |
| なお本塁打は自身初となる二桁の10本を放ち、サヨナラ本塁打を打つなど低打率の割に意外性のある活躍も見せた。 |
| 広島の捕手でシーズン二桁本塁打を打ったのは1976年の水沼四郎(11本)以来33年ぶりである。 |
| 開幕して暫くは打撃が不調だったが、徐々に調子を上げて行き最終的には他の捕手との併用や腰痛もあって前年とあまり変わらない出場機会に終わるものの2年ぶりに打率が2割5分を越えるなど終始不調だった前年よりも打撃面が改善された。 |
| また前田健太と共に最優秀バッテリー賞を受賞した。 |
| 8月5日に国内他球団への移籍が可能なFA権を取得。 |
| 去就が注目されていたが、11月15日にFA権を行使せずに3年契約を結んで残留することを発表した。 |
| 来季年俸は1億円http://www.chugoku-np.co.jp/Carp/Cw201012220064.html。 |