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プロフィール
- 神山雄一郎とは
- 競輪での戦績
- 自転車競技
- 主な獲得タイトルと記録
- 競走スタイル
- エピソード
- 関連項目
神山雄一郎(かみやまゆういちろう、1968年4月7日-)は日本の競輪選手、自転車競技選手である。栃木県小山市出身。作新学院高等部卒業。日本競輪学校第61期卒業。日本競輪選手会栃木支部所属。師匠は 荒川博之。初出走は1988年5月8日の花月園競輪場で初勝利も同日。血液型はB型。
競輪での戦績
| 生家は自転車屋で、デビュー以前より自転車競技の天才性を注目され日本競輪学校には技能試験免除で入学。 |
| 在学中は技能だけでなく学業も優秀で、さらに卒業記念も優勝し、全てトップの成績で卒業する。 |
| 1988年4月1日に選手登録すると、デビュー後も1989年の競輪祭新人王戦をあっさり優勝し、1990年の日本選手権競輪でも決勝に進出したので、ファンの多くに彼が特別競輪(現在のGI)を取るのも時間の問題だと思わせたが、その後はなかなか特別競輪を取ることができず苦労の日々が続いた。 |
| 1993年、ようやく地元の宇都宮競輪場での第36回オールスター競輪で優勝した時、感激のあまりファンの前で号泣しながらインタビューに答えたというのは有名な話である。 |
| その後は、1995年に特別競輪を3勝するなど、トップレーサーの地位を不動のものにし、吉岡稔真と共に「横綱」と呼ばれた。 |
| 二人は今でこそ宿命のライバルだったように言われるが、実際は吉岡が世界選で落車負傷し本来の強さを失う1994年まで神山は全く吉岡に歯が立たず、その全盛期はずれていると評するのが正しいのである。 |
| 前記93年オールスター制覇時の涙は年下の吉岡健在な限り神山に特別制覇のチャンスはこれからも少なく、準決勝で吉岡が不覚を取った地元特別で真に千載一遇の機会をものにした喜び感激からとも言える。 |
| -->そして1999年3月30日に静岡競輪場での日本選手権競輪を制したことで、競輪界史上3人目、現行のGI6レース制となってからは史上初となる特別競輪全冠制覇(グランドスラム)を達成した。 |
| また、記念競輪(GIII)においては、2007年12月12日の広島記念の優勝で、現役選手最高記録となる93回目の記念優勝を飾ったそれ以前の現役選手最高は滝澤正光の92回。 |
| 2011年7月現在、GI16勝は競輪界史上最多記録であり、特にオールスター競輪ではこれまで5回優勝と、もっぱら相性を良くしている。 |
| さらに地元の宇都宮競輪場では非常に強いことでも知られる。 |
| 一方でKEIRINグランプリ(GP)にはこれまで13回出場し、1995年から1998年までは同一開催レース4年連続2着という競輪唯一公営競技全体ではJRAの横山典弘騎手が菊花賞で記録している。 |
| といえる成績を残しているものの、未だ優勝だけは果たしていない。 |
| なお2007年12月27日から新設されたS級S班の18選手に選ばれ、現在も格付を維持している。 |
| 2009年は寛仁親王牌の決勝で平原康多-武田豊樹-神山と並ぶことになり、既にKEIRINグランプリ09への出場を決めていた2人に助けてもらう形で自身の優勝を狙ったが、直線で直後に位置していた海老根恵太に阻まれ2着となってしまう。 |
| しかしオールスター競輪決勝でも同じ並びで挑むことになり、この時も武田の2着となったが、この特別決勝連続2着で年間獲得賞金上位となり、2005年以来4年ぶりにKEIRINグランプリへ出場し三度目となる平原・武田との並びで挑んだが、勝負どころで前2人への追走に失敗し4着となった。 |
| 2010年も高松宮記念杯やサマーナイトフェスティバルの決勝2着で年間賞金争いの上位となり、地元での開催となった全日本選抜競輪の決勝では神山拓弥と武田豊樹との連携で優勝を狙ったが、それを見抜いた佐藤友和に阻まれる形で完敗する。 |
| その後もオールスター競輪決勝で4着となるが結局は獲得賞金が足りずKEIRINグランプリへの出場は果たせなかった。 |
| 2011年は7月に松山競輪場で開催されたサマーナイトフェスティバルの決勝において、前を任せた長塚智広の後位から最後の直線で中を割り、先行していた深谷知広を捉え同開催を初めて優勝した。 |
自転車競技
| 作新学院高校時代の1986年に開催されたソウル・アジア大会のポイントレースで銀メダルを獲得。 |
| 競輪選手になってからは1989年のフランス・リヨンの世界自転車選手権(世界選)プロ・スプリントに出場し、イタリアのクラウディオ・ゴリネリにストレート負けを喫するものの銀メダルを獲得した。 |
| ちなみにこのときの世界選の模様をNHKで解説していた中野浩一は、「ゴリネリに遠慮せず自分から一気にスパートをかけていれば勝てた。 |
| 」と悔しがっていた。 |
| 1990年の前橋の世界選でもプロ・スプリントに出場したが7位に終わる。 |
| 翌年、吉岡稔真が世界選のケイリンに出場することを表明したことから、それに遠慮する形で自転車競技への挑戦は一旦途切れることになり、しばらくは競輪に専念していた。 |
| ところが吉岡が1994年の世界選出場を最後に競輪への専念を表明したことから再び自転車競技への意欲を出してきた。 |
| さらに1996年のアトランタオリンピックからプロ・アマオープンとなり、競輪選手にもオリンピック出場への道が開けることになったこともあり、神山はオリンピック出場に意欲を燃やすことになる。 |
| ところが、国内枠として1枠が設けられた1Kmタイムトライアルの代表選考会において、十文字貴信の前に屈する。 |
| この時点において神山のオリンピック出場の道は閉ざされた。 |
| しかし後にスプリントのワイルドカード枠が日本にも与えられることが決まった。 |
| 日本車連は神山を推薦し、晴れてアトランタオリンピック出場を果たすことになった。 |
| しかしスプリント種目に出場したものの、一回戦、敗者復活戦ともに敗退に終わる。 |
| 1998年のバンコク・アジア大会ではスプリント決勝で馬渕紀明を下し優勝。 |
| しかしその後のドーピング検査で陽性反応が出て、ペナルティーとして短期の出場停止処分を受けた。 |
| それでも神山は再度オリンピックへの出場へ意欲を燃やし、2000年のシドニーオリンピックではこの大会から新たな種目として設けられることになったケイリンとチームスプリント(当時はオリンピックスプリントという名称)に出場。 |
| チームスプリントでは長塚智広、稲村成浩と組んで5位入賞を果たす。 |
| しかしケイリンではお家芸の意地をかけてメダル獲りに意欲を燃やすも敗者復活戦で1位入線するが斜行による妨害を取られて敗戦。 |
| 何とか次のアテネオリンピックではメダルを獲りたいと思っていた神山。 |
| 2002年のアジア大会においてチームスプリントに出場しアテネ五輪への夢を抱いていた。 |
| しかし2004年のメルボルンの世界選にチームスプリントの一員として帯同したものの、バックアップメンバーの扱い(レギュラーのメンバーは長塚、伏見俊昭、永井清史で、同種目予選終了後に永井から井上昌己に変更)であり、出場機会さえなかったことからとうとうアテネ五輪の出場を果たすことはできなかった。 |
| もっとも、アテネ五輪のチームスプリントのメンバーに決まった長塚、伏見、井上は、「神山さんがいないメンバーで果たしてアテネで戦っていけるかどうか不安」と一様に漏らしていた。 |
| なお、自転車競技への取り組みは、アテネ五輪の挑戦で一区切りしたようである。 |
主な獲得タイトルと記録
| 1989年-競輪祭新人王戦(小倉競輪場)。 |
| 1993年-オールスター競輪(宇都宮競輪場)。 |
| 1994年-高松宮杯競輪(大津びわこ競輪場)。 |
| 1995年-高松宮杯競輪(大津びわこ競輪場)、全日本選抜競輪(青森競輪場)、競輪祭(小倉競輪場)。 |
| 1996年-寛仁親王牌(前橋競輪場)、競輪祭(小倉競輪場)。 |
| 1997年-オールスター競輪(平塚競輪場)、寛仁親王牌(前橋競輪場)、競輪祭(小倉競輪場)。 |
| 1999年-日本選手権競輪(静岡競輪場)、オールスター競輪(甲子園競輪場)。 |
| 2000年-寛仁親王牌(前橋競輪場)、競輪祭(小倉競輪場)。 |
| 2004年-オールスター競輪(西武園競輪場)。 |
| 2005年-オールスター競輪(名古屋競輪場)。 |
| 年間賞金王5回-1993年、1995年、1997年、1998年、1999年。 |
| 年間獲得賞金2億円突破-1997年。 |
| 2010年8月現在、生涯獲得賞金額(24億円)・現役最多勝数(700勝)の記録を更新中。 |
競走スタイル
| テビュー当時からトップスピードと持久力を誇り、スプリント競技を行なっているためダッシュ力もあり、。 |
| 他の選手を追走したり並走したりしても全方向に対する動きが抜群であったことから、全盛期は全ての面においてほとんどの選手を凌駕していた。 |
| どんな番組でも中団をうまく確保するレース勘は抜群であった。 |
| また地元の宇都宮競輪場が500mであることから、直線が長く自力選手不利とされる500m走路においても強さを発揮している。 |
| (逆に333mバンクをやや苦手としている)。 |
| 近年は年齢による脚力の衰えからかつてのような先行・捲りでの強さは影をひそめ、ごく最近ではほとんど追込・マークの戦法主体で戦うようになった。 |
| 神山本人もけいりんマガジン2007年新年号で「もう自力時代のような華やかな競走はできないかも知れない。 |
| 」と述べていた。 |
| しかし、その位置取りやレース運びのうまさ、特に自分で動く選手の多いメンバーとなった時の「コマ切れ戦」での強さがある。 |
| 現在ではマーク屋としての「ブロック」「車間切り」「先行選手残し」といった技術レベルも非常に高く、先行選手からの信頼は厚い。 |
エピソード
| 日本選手権競輪(ダービー)がなかなか獲れなかったが、これはダービーが毎年3月下旬開催であり、花粉症持ちの神山は毎年この時期に調子を落としてしまっていたからである。 |
| しかし1999年の駿府ダービーにおいては決勝戦で当時売り出し中の徹底先行であった十文字貴信の後位を回れる好展開が味方し、悲願のグランドスラムを達成した。 |
| 神山の全盛期は古舘伊知郎がGIの決勝戦中継を一時期担当していた頃にあたり、実況中にその豪快な捲りから「捲り狼」、「太モモ四輪駆動」、「栃木(小山)のヘラクレス」といった異名を与えられた。 |
| また「イエスは馬小屋に生まれたが神山は自転車屋に生まれた。 |
| 」と評した事もある。 |
関連項目
| 神山拓弥(従弟であり弟子)。 |
| 『2006年プロスポーツ年鑑』財団法人日本プロスポーツ協会、2006年、ISBN4-9901009-5-6。 |
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1986年
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開催されたソウル・アジア大会のポイントレー... |
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生家は自転車屋で、デビュー以前より自転車競... |
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