| 中卒後、親類の経営する米穀店の後継ぎを任されたが不満を感じ、1959年、親類のつてで15歳で東映京都撮影所に入社し、いわゆる「大部屋俳優」となる。 |
| 現場での共演などからこの時代から親交を持った俳優に高倉健、川谷拓三、渡瀬恒彦、北大路欣也らがいる。 |
| また、渡瀬が発起人となって結成した「東映ピラニア軍団」とも親しかったが、福本本人は下戸であることもあり加入していない。 |
| 東映京都撮影所の東映剣会には所属している。 |
| 20代後半頃から斬られ役専門となり、東映(京都)や関連会社が制作したほぼ全ての時代劇に出演した(京都撮影所に属しているため、東京撮影所制作の映画やドラマへの出演は少ない)。 |
| その名前が最初に認知されたのはテレビ朝日系の昼のワイドショー「アフタヌーンショー」内での特集コーナーにおいて、斬られ役の大部屋俳優の一人として、名前入りで密着取材された事である。 |
| また1970年代に隆盛を極めた実録ヤクザ映画にも多数出演しており、特に『仁義なき戦い・広島死闘篇』では、北大路欣也に撃たれるヤクザ役を演じたが、撃たれた瞬間に座った状態から跳ね上がって死ぬというその演技は、語り草になっている。 |
| 1982年公開の角川映画『伊賀忍法帖』では敵役・魔界五人衆の一人、虚空坊役として出演、名前がクレジットされる。 |
| 1990年代中頃以降から、新聞の読者投書欄や、インターネットの普及に伴いインターネット上に形成された時代劇関係のコミュニティやBBSにおいて、「あの斬られ役は何者でしょう?」という形で話題にされる事も多くなり、さらに注目を集める事となった。 |
| また、ネットコミュニティ等では福本の事を「先生」「福本先生」と呼称される事が多い。 |
| 由来は時代劇で浪人が用心棒になった際に雇い主の悪徳商人から「先生!」と呼ばれる所と、福本が浪人役を多く演じている所からも来ているとみられる。 |
| ほりのぶゆきによる時代劇のパロディ漫画である「江戸むらさき特急」「もののふの記」においても、作中に登場する用心棒が福本を模して描かれている。 |
| 定年直前の2002年、ハリウッド映画『ラストサムライ』に抜擢される。 |
| ほとんど台詞のない役柄英語の台詞に手こずって減った。 |
| 二人で歩くシーンのトム・クルーズの台詞はアドリブであったが、最後の戦いで戦死するシーンは、いままで培ってきた「斬られ役」としての演技力を生かし、迫力ある「死に方」を見せた。 |
| それ以来、キャスト一覧にもたいていの場合名前が出るようになり、台詞も以前より多くなってきた。 |
| ちなみに、ラストサムライの英語版の公式ホームページでは「kirareyaku(斬られ役)」として活動していることが明記されている。 |
| 斬られ役がハリウッド映画に出演した事は、ある意味で異例の出世ともいえ、他の大部屋俳優や無名俳優の憧れの的になっており、「たとえ華やかな仕事でなくても、真面目にコツコツと働いていれば、いつかは評価される」代名詞として福本の名前を挙げる評論家や教育関係者もいる。 |
| 最近では多少台詞がある役をキャスティングされたり、キャスト名に名前が載る様になったが、一貫して「その他大勢」の役者に拘り続けている。 |
| また少しでも画面に残りたいという役者根性から「斬られる」事の研究も怠らず、「海老反り斬られ」や前述の「仁義なき戦い」など、見る者に強烈な印象を与える「死に方」を日々模索しているという。 |
| 悪役や剣客を演じる際には、テープで目尻を吊り上げ、顔つきを鋭く見せる独特のメイクを自ら施すのが通例である。 |
| 2003年に東映を定年となったが、その後も東映に嘱託という形で籍を置いたまま俳優業を続けており、活動の幅もさらに拡げている(トム・クルーズからは、「定年で辞めるなんてもったいない、ぜひハリウッドにおいでよ」と声をかけられている)。 |
| 2006年にはNHK大河ドラマ『功名が辻』からの出演のオファーを受け、ここでもやはり斬られ役としての技量を披露した。 |
| 2010年には『仮面ライダーW』において、劇中劇の「風の左平次」に悪役として登場し、劇中劇を本格的時代劇に見せる演出に一役買っている(作中の設定で「風の左平次」は映画になり、福本が映画ポスターにも主役級の扱いで写っている)。 |
| ただし、著書などでは「代表作なし」と語っている。 |
| 一般には時代劇専門の俳優と思われがちだが、1970年代から1980年代にかけての刑事ドラマにも凶悪犯役あるいは端役の刑事役などとして多数出演をしており、いずれの作品でも時代劇と同様にインパクトの強い演技を見せている。 |
| 俳優としての活躍の要因には、無論本人の努力が大きいのは言うまでもないが、持って生まれた天性の身体能力も大きく作用していたと評される。 |
| 前述の銃撃死シーンにおいては、マグナム弾を撃ち込まれる展開から体が大きく吹き飛ぶ演出を想定していた深作欣二は福本の体にゴムを装着させる予定をしていたものの、殺陣師が「体にバネがあるから必要ない」として止めさせ、結果福本は身体能力だけで演じきって見せた、という逸話が残っている。 |
| また一時期ジャパンアクションエンタープライズ(JAC)に所属していたことがある。 |
| 時代劇出演経験が無い、又は少ない俳優が時代劇に出演し太秦で撮影する際に和服を着た際の所作や殺陣などの演技指導も行っており、感謝・尊敬されることも多い。 |
| 教えを受けた役者は多いが一例として、イケメン新撰組で共演した村上幸平は「『斬る』というのは『殺す』ということ。 |
| 殺陣ではその位の殺気を込めるように」と指導され感銘を受けたと後に雑誌のインタビューで語っている。 |
| 京都府京都市右京区太秦の東映京都撮影所の近くに自宅があり、本人は京都弁でパンチパーマをかけている。 |
| 撮影所に隣接する東映太秦映画村では福本の名を冠した時代劇ショーが上演されている。 |