| 1年目の4盗塁から2年目に75盗塁できたのは、東京オリンピックの400メートル競走選手が阪急の春季キャンプに臨時コーチでやってきて、腕が横振りであったのを矯正されたのと、腿上げを繰り返しさせられたのがきっかけと語っている。 |
| また、福本の足はチーム内でも特別俊足というわけではなく、走塁時に左右の歩幅が一定で横に広がらない陸上短距離選手が理想とするような走り方であると足跡を収めた映像を交えて検証されたこともある「NHK特集盗塁王・福本豊〜939世界新記録」より。 |
| 打力が付きレギュラーに定着したが出塁すると牽制死、盗塁失敗を繰り返していた。 |
| ある日、自分が野球選手だったという証を残すために8ミリカメラで試合を撮影してもらい、自宅でその映像を見ていた時に投球と牽制で投手の体の動きが違う「癖」に気づき、これにより盗塁を仕掛けるタイミングをつかんだ。 |
| その後フィルム撮影は球団の手で行われることとなった。 |
| しかし、近鉄バファローズの神部年男、鈴木啓示の2人だけはなかなか癖を盗むことができず、何度もフィルムを再生しなおし、神部は軸足(2mmほど動いたら投球する)、鈴木は顔(打者に向いている時は牽制、走者を一度見たら投球)に癖をあることをついに発見、両投手の攻略に成功した。 |
| この研究が1972年の106盗塁と言う大記録につながっている。 |
| リーグでも牽制が上手い東尾修を盗塁における1番のカモにしており、顔を合わせるごとに「オレの弱点は何なのか教えてくれ」と東尾にしつこく聞かれ教えてしまい、それを基に東尾は次の対戦までに癖を直してきた。 |
| しかし、癖の修正によって生まれた新たな癖を発見したという。 |
| ただし、この件に関しては発見したのが互いの引退間近の頃だったため、再び隙をつく機会が得られず引退後もたびたび悔しがっていた。 |
| 盗塁の3要素と言われる「3S」、つまりスタート、スピード、スライディングのうち、スタートは以上のような徹底した投手の癖の研究、スピードは天性の俊足と若い時のフォーム矯正によって研磨された。 |
| 残るスライディングについてはつま先からやわらかくベースに触れるスライディングを誰にも教わることなく独自に編み出している。 |
| スピードを殺さず、足への負担も少ないスライディングだった。 |
| ヘッドスライディングは怪我しやすいと嫌い、ほとんどしなかった。 |
| ヘッドスライディングの危険性については引退後もたびたび解説の場などで口にしている。 |
| スパイクシューズも特注で、陸上短距離競技のスパイクを参考にして通常の野球選手よりも爪の部分をつま先に近く作られたものだった。 |
| 足にしっかりフィットするように、普段の靴のサイズ(25cm)よりも小さい24.5cmを使用し、400グラム弱と非常に軽く作られていた。 |
| 1972年の106盗塁を最後に盗塁の数は減少するが、これは2番打者大熊忠義との関係も影響していると言われている。 |
| 盗塁を目論んで一塁から良いスタートを切れたにもかかわらず、打者の大熊忠義が投球をファウルボールにしたことに対し、ファウルでなければ盗塁が成功したという意味で「あれ、いけましたで」と言った結果、しばらく盗塁へのアシストを得られなくなったという。 |
| 福本の盗塁成功率は106盗塁した1972年で.809、通算で.781と優秀ではあるが飛び抜けて高くはなく、通算盗塁刺299も日本記録である。 |
| これらのことから盗塁数の多さは同時に盗塁企図数の多さを示しており、思い切りの良さが現れている。 |
| 1979年のオールスターゲームの時、やはり俊足を売りにしていた広島東洋カープの高橋慶彦が福本に盗塁術の教えを請うたところ、答えはたった一言「気合いや」だったので面食らったという(ちなみに、高橋は歴代5位の通算477盗塁を記録しているが、福本に次ぐ歴代2位の通算206盗塁刺を記録している)。 |
| なお、第1戦の3回裏、安打で出塁した福本はすぐに盗塁を成功させ、高橋も9回に三盗を成功させている。 |
| 福本は、クロスプレーの際に相手の捕手がベースを覆い隠していた場合には、相手の脚の関節をスパイクの裏で蹴るらしい。 |
| 南海時代の野村克也は福本の盗塁に対抗する手段として、現代野球で広く投手に用いられているクイックモーションを考案し、野球を進化させた。 |
| それ以前にも野村は福本をイニングの先頭打者として迎えたくない思いから、2死走者なしの状態で9番の投手を四球で歩かせ1番の福本と勝負するという策(当時のパ・リーグはまだ指名打者制導入前だった)や、福本が二盗を試みると二塁にわざとワンバウンドの送球を投げ、脚にぶつけることも考えていた。 |
| しかし、前者は一度成功したものの、二度目には狙いがばれて阪急監督の西本幸雄が投手を盗塁させたため盗塁死させざるをえなくなり、後者は「脚に球をぶつけて怪我をさせようとしたが、実際には背中に球が当たってしまい(怪我させるという)狙いがばれてえらい怒られた」という2003年9月放送の『NANDA!?』における野村の発言。 |
| 読売ジャイアンツは日本シリーズで阪急と対戦することを想定して牽制球で一塁にわざと勢いのある悪送球を投げ、一塁側の内野フェンスに跳ね返ったボールを送球して二塁で福本を封殺する練習を繰り返していたが実行されることはなかった。 |
| 近鉄バファローズの梨田昌孝は二塁送球の時間を短縮するため、福本が出塁すると右足を半歩下げて構えていたという。 |