| 慰安婦に関する秦の1990年代の調査は、吉田証言を否定することで、慰安婦強制連行(吉見義明のいうところの狭義の強制)の論拠の一つを否定した。 |
| 秦は原則として、強制連行は無かったと主張しているが、オランダ人女性を慰安婦として徴用した白馬事件や、フィリピン人女性を慰安婦として徴用した件などについては、強制連行のケースもあったとしている『慰安婦と戦場の性』新潮社ISBN4106005654。 |
| 2007年3月5日、当時の首相・安倍晋三が参議院予算委員会で「狭義の意味においての強制性について言えば、これはそれを裏付ける証言はなかったということを昨年の国会で申し上げたところでございます。 |
| 」と答弁した。 |
| 秦はこの答弁について、「現実には募集の段階から強制した例も僅かながらありますから、安倍総理の言葉は必ずしも正確な表現とはいえません。 |
| 「狭義の強制は、きわめて少なかった」とでも言えば良かったのかもしれませんが、なまじ余計な知識があるから、結果的に舌足らずの表現になってしまったのかもしれません(苦笑)。 |
| 」『諸君!』2007年7月号秦郁彦、大沼保昭、荒井信一「激論「従軍慰安婦」置き去りにされた真実」と述べた。 |
| 慰安婦に対する社会的強制(吉見のいうところの広義の強制)を問題とし慰安婦の歴史的事実に関する研究を発表している一部の研究者からは、秦の慰安婦の実体に関する記述はほとんど参照されておらず、秦の調査内容は事実上無視されている。 |
| 例えば朱徳蘭は、その台湾の慰安婦に関する研究書「台湾総督府と慰安婦」(明石書店、2005年)で、今までの研究結果として多くの研究書を列記しているが秦の本はない。 |
| また吉見義明は「日本軍性奴隷(「従軍慰安婦」)制度研究の現段階」(戦争責任研究(38)2002年冬季)で12年間の研究を振り返っているが秦への言及はない。 |
| 一方で、慰安婦の歴史資料を収集、整理し歴史の教訓とすることを事業内容の一つとしており、基金内部に慰安婦関連資料委員会を設置しているアジア女性基金は、秦の研究もとりあげている。 |
| この問題は対立が激しく、かつ対立点が複数あり、ある学者が中立的な立場と見られることが概して成立しにくいため、中立的と見られる学者による安定した評価も学者間では成立していない。 |
| 秦のこの問題についての見解は、権力によって具体的に強制されたかどうかという点に判断基準を置かないなら、当時の世代すべてが強制連行されたことになってしまう、というものである。 |
| 1999年に出版された、それまでの議論や様々な資料を広く参照し、おもに時代背景やその変化などから慰安所制度や慰安婦の実態を明らかにすることをこころみた著書「慰安婦と戦場の性」は、大きな反響を呼んだ。 |
| ''ここには肯定している論客の意見を書いてください。 |
| 嶋津格は、秦の著書『慰安婦と戦場の性』の裏表紙で「このような結論を導くに際して、秦は、自らが国内外にわたって収集、調査した資料を駆使する歴史学的態度を堅持している。 |
| そして、その結果生まれた本書は、総合性の上で、既存の類書の水準を超えた、「慰安婦」及び「慰安婦問題」の百科全書ともいうべき力作になった。 |
| これでやっと、冷静な遠近法の中で慰安婦問題を語る土壌が作られたのではないか」との賛辞を寄せている『慰安婦と戦場の性』裏表紙推薦文。 |
| アジア女性基金資料委員会の委員を秦がつとめた際の和田春樹との論争については、和田春樹を参照。 |
| 林博史は、『慰安婦と戦場の性』における資料の引用に際して、出典を示していないものがある、数値を誤っている、証言の一部分だけを抜き取って都合よく引用している、などの点を批判している林博史「 |
| 永井和は、1998年になって自由主義史観を教材対象とするときにこの問題を調べ始め、この問題の中心はいわゆる広義の強制の責任問題であり、それを『もっぱら「強制連行」の有無を争う』ことに絞ろうとする自由主義史観派が対立の因であり、それに実証的な立場のはずの学者(秦)が協力的だったと批判している永井和 |
| また自身のブログで、『慰安婦と戦場の性』について、秦が「おそらく、(略)大多数を占めるのは、前借金の名目で親に売られた娘だったかと思われるが、それを突きとめるのは至難だろう。 |
| 」と結論については支持しつつも、結論に至る論証の手続きについて実証史家としては問題がある、などとしている |
| 前田朗は、上記著作には国連組織への初歩的な間違いや憶測に基づいている記述が多いとも述べ、秦の手法に対して方法論的な疑問を提示している前田朗『秦郁彦の「歴史学」とは何であるのか?』(日本の戦争責任資料センター『戦争責任研究』2000年春季)。 |
| これに対する秦の反論が「前田朗氏への反論」(『戦争責任研究』2000年夏季)。 |