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プロフィール
- 竹中労とは
- 略歴
- エピソード
- 受賞
- 著作
- 映画
- 竹中について書かれた著作
- 関連項目
- 外部リンク
- 関連サイト
竹中労(たけなかろう、本名:つとむ、1930年5月30日-1991年5月19日)は、日本のルポライター、アナーキスト、評論家。東京都出身。東京外国語大学ロシア語学科除籍。「夢野 京太郎」「ケンカ竹中」「反骨のルポライター」などの異名を持ち、芸能界や政界に斬り込む数々の問題作を世に送り出した。晩年、癌を患うが、闘病しながら活動を続けた。父は画家の 竹中英太郎。妹の金子紫は「 竹中英太郎記念館」館長。
略歴
| 1930年-画家の竹中英太郎と八重子(旧姓伊津野)の子として東京市牛込区肴町(現・東京都新宿区神楽坂5丁目)に生まれる。 |
| 1945年-甲府中学(現、山梨県立甲府第一高等学校)で校長退陣を求めてストライキを、初鹿野宏らと指揮する。 |
| 県庁へのデモ行進、学校占拠を続け、校長が辞意を表明するに至るも、退学勧告を受ける。 |
| 1947年-日本共産党に入党。 |
| その後、山谷や横浜に住み込み肉体労働に従事する。 |
| 各地で労働組合活動に取り組み、何度も逮捕される。 |
| 1952年-甲府刑務所に収監される |
| 共産党からは党員資格を剥奪される。 |
| 1953年-釈放された後に、芸能を通した活動に目覚める。 |
| 1959年-「ルポライター」を名乗り、「女性自身」のライターとなる。 |
| 1961年-党の内部変革を図り日本共産党に復党。 |
| 1965年ごろから「世界革命」を志し、アジア各地や、キューバ、韓国、パレスチナなどをたびたび訪れる。 |
| 1966年-「東映俳優労働組合争議」を支援。 |
| 1968年-山谷解放闘争を支援。 |
| 『タレント帝国』で渡辺プロダクションのテレビ界の支配を告発。 |
| この頃、日本共産党から除籍されたと自称するも、実は1980年代初頭まで隠れ党員だったとの証言もある木村聖哉『竹中労・無頼の哀しみ』p.142(現代書館、1999年)。 |
| 1969年-はじめて沖縄へ渡り、琉球独立党を支援する。 |
| また、多くの島唄のミュージシャンたちと交流し、イベントの構成を行う。 |
| 同年、『週刊明星』連載の「書かれざる美空ひばり」における「ひばりの歌声は差別の土壌から生まれて下層社会に共鳴の音波を広げたこと、あたかもそれは、世阿弥、出雲のお国が賎民階級から身を起こした河原者の系譜をほうふつとさせる。 |
| ……ひばりが下層社会の出身であると書くことは『差別文書』であるのか」との文言が部落解放同盟に問題視され、糾弾される。 |
| この糾弾内容に激怒した竹中は、部落解放同盟に血闘を申し込んだ。 |
| 1974年-『キネマ旬報』誌に、日本映画の黎明期を探る『日本映画縦断』を連載開始。 |
| 1977年-キネマ旬報社の内部事情で『日本映画縦断』の連載を打ち切られ、これを不当として「キネマ旬報裁判」を提起(1987年に和解)。 |
| 1978年-五木寛之の名作「戒厳令の夜」の映画化実現に、ジャバド森社長と話し合う |
| 1980年-「製作」として関わった映画「戒厳令の夜」が完成する。 |
| 1983年-創価学会の初代会長であった牧口常三郎の人生をさぐる『聞書・庶民烈伝』を『潮』誌に連載開始するが、創価学会と対立して連載終了。 |
| 1985年-「風の会・講座にっぽん百年」を加々美光行、玉川信明、玉城素らと開講。 |
| 1989年-「竹中英太郎回顧展」を企画構成。 |
| 忘れられていた画家としての父親を再評価させた。 |
| 7月に、NHKの番組「竹中英太郎について」に出演する |
| 1990年-1月にNHK教育テレビの番組「夢よなぜ踊る/夢野久作と竹中英太郎」に出演する。 |
| 「平成名物TVイカ天」の審査員をつとめる。 |
| 1991年-肝臓癌のため東京都千代田区の三井記念病院で死去。 |
エピソード
| 『女性自身』で芸能担当ライターを始め、芸能ネタを得意とするようになった。 |
| また、芸能人、皇族、死者などの「手記」を大量に創作(代作)したという。 |
| 1984年から国連ユニセフ親善大使に任命された黒柳徹子が、貧困の差が激しかったアフリカへ慰問に出向いた際、豪華に着飾って現地に赴いたことから「慈善行為にあるまじき格好、見当違いも甚だしい」と痛烈に批判した。 |
| この後、竹中は黒柳がアフリカに出向く度に幾度も黒柳に対し、批判を繰り返している。 |
| 五木ひろし、八代亜紀らを輩出した勝ち抜き形式の歌謡番組『全日本歌謡選手権』で審査員をしていた。 |
| 「おふくろさん」などの曲で有名な川内康範が行っていた遺骨収集活動を手伝っていたようだ。 |
| 1975年8月、新宿コマ劇場にてのイベント「のんすとっぷ24時間」で台湾・沖縄・韓国の人々から戦争告発発言があったのに呼応し、浜田幸一や中山正暉に「バッジのおじさん、恥ずかしくないか」と野次を飛ばしたところ、浜田が怒って「全然恥ずかしくないな。 |
| 軍閥と自民党は関係ない!」「バッジをつけているのが恥ずかしいなんて言ったやつ、出てこいよ、おまえ」と反駁。 |
| 竹中は「おまえ呼ばわりされる覚えはないのだ」と応じ、「おい、ハマコー、やるかァ!」と浜田に迫ったため、司会者に制止されて事なきを得た木村聖哉『竹中労・無頼の哀しみ』p.5-6(現代書館、1999年)。 |
| 『週刊読売』掲載「エライ人を斬る」コーナーにおいて佐藤寛子(佐藤栄作夫人)を取り上げ、"庶民ぶるネコなで声の権勢欲夫人"と揶揄。 |
| 佐藤側から名誉毀損で訴えると脅された『週刊読売』編集部は、1970年9月、一方的に連載を中止。 |
| 激怒した竹中は佐藤寛子および務臺光雄読売新聞社社長(当時)を相手取って500万円と謝罪文掲載を要求する訴訟を東京地裁に提起。 |
| 8年後、読売側が謝罪文(公表しない条件)と慰謝料を支払い、和解が成立した木村聖哉『竹中労・無頼の哀しみ』p.56(現代書館、1999年)。 |
| 評論家と呼ばれることを嫌い、晩年は「よろず評判家」と名乗っていた。 |
| 晩年は、テレビ番組「イカ天」の審査員をつとめ、出演したバンド「たま」を高く評価し、「たま」についての本まで執筆した。 |
| EXテレビに出演した際には、「たま」は「現代のビートルズだ」と語っていた。 |
| 1990年、EXテレビに、島田紳助と上岡龍太郎と出演し、全裸女性に肩車させた |
受賞
| 1991年日本推理作家協会賞『百怪、我ガ腸ニ入ル竹中英太郎作品譜』。 |
著作
| 呉子(翻訳:北川衛,村山孚と共訳)経営思潮研究会,1963。 |
| 団地七つの大罪近代住宅の夢と現実弘文堂,1964。 |
| 処女喪失未婚女性の性行動弘文堂,1965。 |
| 美空ひばり民衆の心をうたって二十年弘文堂,1965。 |
| 呼び屋その生態と興亡弘文堂,1966。 |
| くたばれスター野郎!芸能界こてんこてん秋田書店,1967。 |
| 浮気のレポート一夫一婦制度への挑戦秋田書店,1967。 |
| 私の体験喪失の悲しみをこえて現代書房,1967。 |
| タレント帝国芸能プロの内幕現代書房,1968。 |
| 山谷都市反乱の原点全国自治研修協会,1969。 |
| 見捨てられた在韓被爆者日・韓両政府は彼らを見殺しにするのか(編著)日新報道,1970。 |
| 芸能界をあばく日新報道,1970。 |
| スター36人斬り実業之日本社,1970.--(ホリデー新書)。 |
| エライ人を斬る三一書房,1971。 |
| 琉球共和国汝花を武器とせよ三一書房,1972。 |
| 無頼と荊冠 三笠書房,1973。 |
| 水滸伝窮民革命のための序説(平岡正明との共著)三一書房,1973。 |
| ニッポン春歌行もしくは「春歌と革命」伝統と現代社,1973。 |
| 世界赤軍夢野京太郎小説集潮出版社1973。 |
| 逆桃源行風と水のリズムをアジアに求めて山と渓谷社,1974。 |
| 日本映画縦断(1)〜(4)1975年〜1976年、白川書院。 |
| 琉歌幻視行島うたの世界田畑書店,1975。 |
| 鞍馬天狗のおじさんは聞書アラカン一代白川書院,1976.11。 |
| 浪人街/天明餓鬼草紙夢野京太郎のシナリオ白川書院,1977.5。 |
| 自由への証言エフプロ出版,1977.6。 |
| タレント残酷物語スターを食いものにする悪い奴は誰だエール出版社,1979.1。 |
| 法を裁く日弁連山根処分・抗議運動の記録(編著)耕索社,1980.11。 |
| 竹中労の右翼との対話現代評論社,1981.8。 |
| ルポ・ライター事始日本ジャーナリスト専門学院,1981.7。 |
| ザ・ビートルズレポート/竹中労.--白夜書房,1982.6。 |
| 聞書・庶民烈伝牧口常三郎とその時代1〜4潮出版社,1983〜1987。 |
| 仮面を剥ぐ文闘への招待幸洋出版,1983.2。 |
| 左右を斬る続・文闘への招待幸洋出版,1983.6。 |
| 大杉栄(貝原浩イラスト)現代書館,1985.5。 |
| 人間を読む必見・かい人21面相幸洋出版,1985.5。 |
| 百怪、我が腸ニ入ル竹中英太郎作品譜(編)三一書房,1990.8。 |
| たまの本小学館,1990.12。 |
| 無頼の墓碑銘せめて自らにだけは、恥なく暝りたいベストセラーズ,1991.8。 |
| 黒旗水滸伝上・下(かわぐちかいじ画)皓星社,2000.9。 |
映画
| にっぽん'69 セックス猟奇地帯(1969)監督:中島貞夫竹中は構成担当。 |
| 在韓被爆者無告の二十六年倭奴へ(1971)竹中企画。 |
| 戒厳令の夜(1980)原作:五木寛之監督:山下耕作竹中はプロデュース、脚本担当。 |
| 俗物図鑑(1982)原作:筒井康隆 監督:内藤誠 竹中出演。 |
| その他、黒木和雄監督のカストロ政権下のキューバを描いた劇映画『キューバの恋人』(1969)の企画仲介を担当。 |
竹中について書かれた著作
| 大野光明、2010「「沖縄との連帯」に現われるナショナリズムとその批判」『情況』2010年11月号:17-31、情況出版.。 |
関連項目
| 夢幻工房-竹中が各種運動を行うために作った事務所。 |
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1970年
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一方的に連載を中止 |
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1975年
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新宿コマ劇場にてのイベント「のんすとっぷ24... |
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