| ただし、彼はいつも素直な心で人に接したため、決して嫌われていたわけではなかったという。 |
| また、犯罪が起こると犯人を言い当てたため、やがて彼の回りから犯罪が絶えたという。 |
| さらに、射覆(器の中に物を入れて中身を当てさせる遊び)をするとほとんど間違いなく中身を言い当てた。 |
| 人の誕生日や寿命を占いによって言い当てることが出来た。 |
| 劉奉林という者の妻の病が重くなり、正月ごろには棺や葬送の道具も一式買い揃えられたが、管輅は占って「八月辛卯の日の日中のときがご寿命です。 |
| 劉奉林はこれを信じず、また妻の病も快方に向かったが、秋になって病が再発し、結局管輅の言った時に亡くなった。 |
| また鍾毓のもとを管輅が訪れたとき、鍾毓は自分の誕生日を占わせると管輅はぴたりと言い当てて些かの狂いもなかった。 |
| 鍾毓は大いに驚き、寿命を占わせることはしなかったという。 |
| 248年(魏の正始9年)12月28日、曹爽の側近として羽振りをきかせていた何晏に招待された。 |
| 何晏は三公に出世できるかと質問し、さらに「蠅が数十匹、鼻の頭にたかって、追っても逃げていかないという夢を見たが、何を意味しているのだろう」と問うた。 |
| 管輅は「鼻はあなたの地位を表すものです。 |
| ところが、そこに蠅という醜悪なものが、寄ってまいりました。 |
| これは、険しい所に位置を占める者は転がり落ち、他人を侮り傲るものは滅びるという徴です」と警告した。 |
| 何晏の側近が「そんなことは年寄りどものいつもの言いぐさだ」と反論すると、管輅は「年寄りというものは、生をこえたものを見ることができ、いつも言いぐさの中に言葉をこえた深い意味は表れるのでございます」と答えた。 |
| 何晏はこれらのやりとりを聴いて、管輅に「年が明けたら、もう一度会おう」といった。 |
| 帰宅してから舅にこのことを話すと、舅は発言が明け透け過ぎると責めた。 |
| 管輅は「死人と話をしているのに、何を恐れる必要がありましょうや」と言ったので、舅は怒り、気が狂ったのではないかと思った。 |
| ところが、年が明けて十日もしないうちに何晏たちが司馬懿に殺されたので正確には249年1月6日に司馬懿らがクーデターを起こし、10日に何晏ら曹爽一派を処刑した。 |
| 、舅も敬服したという。 |
| 『管輅別伝』によると、管輅は何晏について「彼はちっぽけな巧みさを才能にしていた」と評している。 |
| 正元2年(255年)、管辰は「大将軍(司馬昭)はあなたに厚意を持っていますから、富貴な身分が望めますね」と言った。 |
| しかし、管輅は自分の寿命が47歳か48歳のころに尽きるであろうと予言した。 |
| そして予言通り、翌256年2月、48歳のときに病死している(但し、管輅伝の本文中には「私の運勢は寅にあり、…」とも記述されており、その通りであるならば管輅は建安15年(210年)生まれであり、享年は47になると裴松之は注で述べている)。 |