| 宮崎県西都市に生まれる。 |
| 先天性骨形成不全症を患っていたため、幼いころから骨折を繰り返していた。 |
| ;1977年-1983年。 |
| 地元の西都市立三財小学校に通う。 |
| 子供の頃から歌が好きであったが、身長が伸びず、両腕も伸ばせない症状のため、手を重ねて歌う姿に小学生時代には執拗ないじめを受けた。 |
| 7歳からの数年間は宮崎市の宮崎県立赤江養護学校(現・赤江まつばら支援学校)に籍を置いて寄宿舎生活を送った。 |
| 体調不良により床に臥す日々が続く時はカセットテープに録音されていた歌謡曲を聴いて過ごし、演歌、民謡に親しんだ。 |
| 初めに聞いた曲がきっかけでアイドル歌手・松田聖子の大ファンになり、裏声でそのマネをしたことが米良のカウンターテナーの原点となった。 |
| ;1984年-1987年。 |
| 中学時代も養護学校で学んだ。 |
| 寄宿舎での生活は「寂しさを紛らわす為か、風呂場で詩吟を吟じた事があって、とても上手かった。 |
| 」と当時の寮母長に回顧されているが、寄宿舎内に現存するオルガンを弾く事を勧められたことが、後の米良自身の歌の表現力の基礎になった。 |
| 故郷を夢想しながら、これまで聞く事がなかったジャンルの歌に接することで刺激を受けて数年間を過ごす。 |
| ;1988年-1990年。 |
| 将来の進路について、音楽を人生の支えとすることを決意し、音楽大学進学を志す。 |
| 父親は反対したが母親は賛成し、経済的余裕のない中で私立大学に通う資金援助を受けることとなった。 |
| また、養護学校の音楽教諭も無謀と言われたプログラムに熱心に取り組んだ。 |
| 努力の甲斐あって神奈川県の洗足学園音楽大学へ進学。 |
| 在学中に、テノールから女声の音域を歌うカウンターテナー(男声アルト)に転向する。 |
| 大学を首席で卒業。 |
| 5月、第8回古楽コンクール最高位を獲得。 |
| 奏楽堂日本歌曲コンクール3位入賞。 |
| キングレコードから発売されたCD『母の唄』がベストセラーになり、アニメーション監督・宮崎駿がラジオで放送された米良の楽曲を聴いて感銘を受ける。 |
| 宮崎駿が監督するアニメーション映画『もののけ姫』(スタジオ・ジブリ、徳間書店)のテーマ曲歌唱に起用され、映画のヒットとともに米良の声種であるカウンターテナーが日本で一般に知られるきっかけとなった。 |
| 日本ゴールドディスク大賞のベスト・クラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤー、第21回日本アカデミー協会特別賞として初の主題歌賞を受賞する。 |
| 長野パラリンピック開会式でもジュリオ・カッチーニの『アヴェ・マリア』を歌う。 |
| この頃、映画主題歌のヒットで注目される反面、歌を正当に評価してもらいたいために小柄な体格を庇うためにヒールを履いたり、病気のことを伏せたりした。 |
| 自身の容姿や生い立ちに対する過小評価から、精神的な重圧により次第に美声が出なくなった。 |
| ポピュラーソングとして初のオリジナルアルバム『I'llbethere』を発表する。 |
| 精神的重圧から失いかけた美声は、5年の歳月をかけて取り戻すことになった。 |
| テレビ番組で美輪明宏が歌う「ヨイトマケの唄」は、米良の治療費を稼ぐために工事現場で働いていた母親に対する米良自身の幼い頃の心情そのものだと感じ、この歌を持ち歌にするようになる。 |
| 後に宮崎のコンサートで歌い、母を喜ばせた。 |
| 以降、日本、韓国、・ヨーロッパで活動を展開している。 |
| エディタ・グルベローヴァ(ハンガリー国立歌劇場でのデュオコンサートの他、スイス、ドイツ等で共演)、ヨッヘン・コヴァルスキーとの共演も行った。 |
| 著名オーケストラとの共演も多い。 |
| テレビ・ラジオなどへの出演、各種イベントへの参加も精力的に行う。 |
| 音楽作品は、CDとしてスウェーデンのBISレーベル(バッハ・コレギウム・ジャパンとの共演含む)、日本ではキングレコードより発売している。 |
| これまで語ることのなかった病や生い立ちをテレビなどのマス・メディアで語るようになり、7月10日に大和書房から自叙伝『天使の声〜生きながら生まれ変わる』を出版した。 |
| 人生から得た経験をもとに、全国で講演会も積極的に行うようになった。 |
| 2月5日に九州地区で放送されたNHK『九州沖縄スペシャル (武田鉄矢の)ただいま!』において、米良が封印してきた過去から自身を解き放つ旅をした。 |
| 振り返らない過去として、卒業後に一度も足を踏み入れることが無かった三財小学校や養護学校には、この番組でようやく訪れることができたという。 |
| しかし、武田との最初の顔合わせの際には古代人の格好をして現れ、三財小学校に通っていた頃の米良の明るい性格を覚えていた友人と再会するなど、得ることの多い機会となった。 |
| 8月24日にTBS系音楽番組『ザ・ミュージックアワー』に出演し、松田聖子の「瞳はダイアモンド」を歌唱した。 |