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プロフィール
船越英二(ふなこしえいじ、本名 船越榮二郎、1923年(大正12年)3月17日-2007年(平成19年)3月17日)は、東京都出身の俳優。最終学歴は専修大学経済学部卒業。兄は同じく俳優三島謙(本名・船越榮太郎)。長男は同じく俳優の 船越英一郎。夫人は俳優・ 長谷川一夫の姪であり、元女優の 長谷川裕見子。大映で数々の名作に主演した映画スターだが、その倒産後は洒脱な持ち味を生かしてテレビの脇役として人気を維持する。『雲のじゅうたん』の華族の殿様役、『 熱中時代』の校長役が有名なほか、 人気ドラマ『 ...
来歴・人物
| 呉服商の次男坊として生まれ、四谷第五小学校から帝京中学に入学する。 |
| 当初は美術学校か写真学校に進学を希望するが、父親の勧めで1941年(昭和16年)に専修大学経済学部に入学、1944年(昭和19年)に学徒出陣で繰り上げ卒業。 |
| 香川県三豊郡豊浜町の陸軍船舶学校に入り、翌年の8月に見習士官として終戦を迎える。 |
| その後は父親の勧めで新宿の商店街に瀬戸物屋を開く。 |
| しかし、1947年(昭和22年)、兄の友人が冷やかし半分で大映第2期ニューフェイス募集に船越の応募書類を送付したところ合格。 |
| 同年3月に大映東京撮影所演技研究所に通い、4月には大映と専属契約、『第二の抱擁』で折原啓子(三上博史の叔母、篠塚和典の岳母)の恋人役でデビュー。 |
| 最初は出来心で俳優になったが、地元の新宿商店街に後援会まで発足してしまったので引っ込みがつかず、中途半端な心境のためか、当時を知る映画関係者によるとあまり印象に残らない俳優だったという。 |
| 役柄も真面目青年しか与えられなかったが、1952年(昭和27年)に『安宅家の人々』、『秘密』の演技が好評を呼ぶ。 |
| 以降も二枚目俳優として大映のプログラムピクチャーに出演、もっぱら主演女優の引き立て役が多かったが、1956年(昭和31年)に『日本橋』、『四十八歳の抵抗』、翌年の『満員電車』、『夜の蝶』で演技派俳優として開花、それまでの単なる二枚目俳優から飄逸さと人間的逞しさを併せ持つ性格俳優となった。 |
| 中でも1959年(昭和34年)の大岡昇平原作、市川崑監督の『野火』に主演した際、極限状況における敗残兵を演じきり、絶賛されたその演技は各映画賞を総なめにした。 |
| その後も大映に欠かせないスターとして、美男のルックスと個性を活かして様々なジャンルの作品でその役柄をこなす手堅い演技派として活躍。 |
| 菅原謙次や根上淳ら同年代の大映現代劇の男優たちよりも息の長い活躍を見せた。 |
| 『和製マルチェロ・マストロヤンニ』とも云われ、1971年(昭和46年)の大映倒産まで映画出演、その後は主にテレビドラマで活躍、特に1970年(昭和45年)から始まったTBSドラマ『時間ですよ』の銭湯の主人役、1978年(昭和53年)からの日本テレビ『熱中時代』の校長先生役、1988年(昭和63年)からのテレビ朝日『暴れん坊将軍』の田之倉孫兵衛役が有名で、いずれも船越のテレビ時代の代表作となった。 |
| また私生活では1958年(昭和33年)10月10日に裕見子夫人と結婚、1965年(昭和40年)からは神奈川県湯河原町に会員制旅館創業、娘とともに経営にあたっていた。 |
| 1989年(平成元年)に紫綬褒章、1995年(平成7年)に勲四等旭日小綬章を受章した。 |
| 1999年(平成11年)のフジテレビ系ドラマ『隠密奉行朝比奈』の出演を最後に俳優引退、その後は旅館に近い自宅で妻や娘夫婦と共に暮らし、余生を過ごしていたが、2007年(平成19年)3月15日に自宅で突然倒れ、すぐに静岡県内の病院に搬送されて意識もわずかにあったが、16日夜に容態が急変し、84歳の誕生日を迎えた17日午後10時57分、脳梗塞により死去。 |
| 84歳没、生没同日であった。 |
| 息子の英一郎は主演映画の撮影現場から駆けつけている途中で、最期を看取るのはかなわなかった。 |
| 英一郎の結婚には猛反対でその妻の松居一代とはほとんど口もきかないほどの不仲だったという。 |
受章・受賞歴
| 1959年(昭和34年)-映画『野火』。 |
| 第33回キネマ旬報賞主演男優賞。 |
| 第14回毎日映画コンクール主演男優賞。 |
| 1962年(昭和37年)-映画『私は二歳』&映画『破戒』。 |
| 1989年(平成元年)-紫綬褒章。 |
| 1995年(平成7年)-勲四等旭日小綬章。 |
| 1996年(平成8年)-第6回日本映画批評家大賞ゴールデン・グローリー賞。 |
映画
| *太字の題名はキネマ旬報ベストテンにランクインした作品。 |
| 第二の抱擁(1947年)。 |
| いつの日か花咲かん(1947年)。 |
| 美しき豹(女の家)(1948年)。 |
| 三面鏡の恐怖(1948年)。 |
| 死美人事件(1948年)。 |
| 幽霊塔(1948年)。 |
| 愛染草(1949年)。 |
| 母燈台(1949年)。 |
| 大都会の丑満時(1949年)。 |
| どぶろくの辰監督:田坂具隆。 |
| 私は狙われている(1950年)。 |
| 暴力の街監督:山本薩夫。 |
| 霧の夜の恐怖(1951年)。 |
| 毒蛇島綺談女王蜂(1952年)。 |
| 安宅家の人々1952年。 |
| 巣鴨の母1952年。 |
| 秘密(1952年)。 |
| 母山彦(1952年)。 |
| 彼女の特ダネ総理大臣と女カメラマン(1952年)。 |
| 新婚のろけ節(1953年)。 |
| 現代処女(1953年)。 |
| トコ春じゃもの(1953年)。 |
| 歌う女剣劇(1953年)。 |
| 胡椒息子(1953年) 。 |
| 新・江ノ島悲歌(えのしまエレジー)(1953年)。 |
| あにいもうと監督:成瀬巳喜男。 |
| 続続・十代の性典(1953年)。 |
| 紅椿(1953年)。 |
| 母の湖(1953年)。 |
| 十代の誘惑(1953年)。 |
| 五ツ木の子守唄(1954年)。 |
| 或る女監督:豊田四郎。 |
| 金色夜叉1954年。 |
| 初のカラー映画出演。 |
| 心の日月(1954年)。 |
| 愛染かつら(1954年)。 |
| こんな別嬪見たことない(1954年)。 |
| こんな美男子見たことない(1954年)。 |
| こんなアベック見たことない(1954年)。 |
| こんな奥様見たことない(1954年)。 |
| 荒城の月(1954年)。 |
| 月よりの使者(1954年)。 |
| 春琴物語(1954年)。 |
| 春の渦巻(1954年)。 |
| こういう具合にしやしゃんせ恋の野球拳(1955年)。 |
| 螢の光(1955年)。 |
| 泣き笑い地獄極楽(1955年)。 |
| 幸福を配達する娘(1955年)。 |
| 薔薇いくたびか(1955年)。 |
| 東京暴力団(1955年)。 |
| 母笛子笛(1955年)。 |
| 哀しき富士の白雪よ(1955年)。 |
| 新女性問答(1955年)。 |
| 七人の兄いもうと(1955年)。 |
| 五十円横町(1955年)。 |
| 珠はくだけず(1955年)。 |
| 花嫁のため息(1956年)。 |
| 虹いくたび(1956年)。 |
| 東京犯罪地図(1956年)。 |
| 浅草の灯(1956年)。 |
| 現金の寝ごと(1956年)。 |
| 日本橋監督:市川崑。 |
| 四十八歳の抵抗監督:吉村公三郎。 |
| 新・平家物語静と義経(1956年)。 |
| 暖流監督:増村保造。 |
| 日露戦争勝利の秘史敵中横断三百里脚本:黒澤明。 |
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