21270
21474
239821
%E8%8A%A6%E5%8E%9F%E7%BE%A9%E4%BF%A1
%E8%8A%A6%E5%8E%9F%E7%BE%A9%E4%BF%A1
%E8%8A%A6%E5%8E%9F%E7%BE%A9%E4%BF%A1
%E8%8A%A6%E5%8E%9F%E7%BE%A9%E4%BF%A1
%E8%8A%A6%E5%8E%9F%E7%BE%A9%E4%BF%A1
0
|
他の画像検索結果
他人の画像が選択されている・混じっている場合
画像候補は人物名で顔画像を検索したものです。
人物として適切でない画像も含まれてしまう可能性があります。
適切な画像になるよう 芦原義信の画像検索結果ページで修正できます
|
|
ネットワーク
|
タグ
キーワード
|
|
|
|
|
|
プロフィール
- 芦原義信とは
- 略歴
- 作品
- 受賞歴
- 著作
- 家族・親族
- 関連サイト
芦原義信(あしはらよしのぶ、1918年7月7日-2003年9月24日)は日本の建築家。ソニービル、東京芸術劇場などの作品で知られる。また『街並みの美学』で(戦後日本では)いち早く都市景観の重要性を述べた。
略歴
| 府立一中(現・東京都立日比谷高等学校)、旧制成城高校を経て、1942年東京帝国大学工学部建築学科卒業、技術士官として海軍に入る。 |
| 1945年、坂倉準三のアトリエ系建築設計事務所に入所。 |
| 1953年、ハーバード大学大学院で修士号(M.Arch.)取得後、マルセル・ブロイヤーの事務所に入所。 |
| 1956年、芦原建築設計研究所を開設。 |
| 1959年、法政大学教授。 |
| 1961年、工学博士(東京大学)。 |
| 1965年、武蔵野美術大学教授。 |
| 武蔵野美大では建築学科の創設に関わった。 |
| 1970年、東京大学教授。 |
| 1979年、アメリカ建築家協会名誉会員。 |
| 同年、東大を定年退官。 |
| 1985年、日本建築学会会長。 |
| 1987年、王立オーストリア建築家協会名誉会員。 |
| 2003年、東京大学名誉教授。 |
| 日本建築美術協会会長。 |
作品
| オリンピック駒沢体育館・管制塔(1964年)。 |
| 更埴文化会館(長野県千曲市、1990年)。 |
| 大ホールはプロセニアム形式の舞台となっておりホール全体が円形状に曲線で統一され、2階席の左右がホールを包み込むように配置された特徴的な構造となっており、音響面にも視覚面にも配慮され高く評価されている。 |
| 国立歴史民俗博物館(1980年)。 |
| ソニービル(東京都中央区銀座、1966年)。 |
| ソニービルは正統的なモダニズム建築である。 |
| 敷地一杯に建設せず、交差点の角に空地を設け、イベントスペースとして活用している。 |
| スキップフロアの構成は、フランク・ロイド・ライトのグッゲンハイム美術館にヒントを得たもの。 |
| ソニーという企業の顔となる都市建築として高い評価を得ている。 |
| 東京芸術劇場(豊島区西池袋、1990年)。 |
| 中央公論社(1959年)2000年取壊し。 |
| 日光ユースホステル(1959年)。 |
| ロビーや設備スペースを核とする左右に宿泊棟を配置した雁行型となっている。 |
| 周辺敷地に比較的制限のない場所での設計のため芦原本来の豊かな平面プランニングとなっている。 |
| この当時はまだ珍しかった打ち放しコンクリートと石積みのフォルムの洗練された合理的フォルムはニューヨークで師事していたマルセル・ブロイヤーのバウハウス的影響が色濃く残る作品となっている。 |
| また可動式のルーバーなど機械的要素を取り入れた点は当時の建築としては特質すべきものであり現在でも陳腐さは微塵も感じられない内容でありバウハウス的ともポストモダニズムの原点とも取れる作品となっている。 |
| 日本万国博・イタリア館、オ-ストラリア館、ニュ-ジ-ランド館(1969年)。 |
| 富士フイルム旧東京本社ビル(1969年)。 |
| みずほ銀行本店ビル(千代田区内幸町、1981年)竣工時は旧第一勧業銀行本店。 |
| モントリオール万国博覧会・日本館(1967年)。 |
| 武蔵野美術大学(東京都小平市、1964年-)アトリエ棟など一連の校舎。 |
受賞歴
| 1960年日本建築学会賞。 |
| 1968年芸術選奨文部大臣賞。 |
| 1970年コマンダトーレ勲章(イタリア政府より)。 |
| 1979年毎日出版文化賞。 |
| 1984年日本芸術院賞。 |
| 1985年コンマンダー・ライオン勲章(フィンランド政府より)。 |
| 1990年日本建築学会賞大賞。 |
| 1991年文化功労者。 |
著作
| 外部空間の設計(彰国社、1975年)。 |
| 街並みの美学(岩波書店、1979年)。 |
| 隠れた秩序(中央公論社、1986年)。 |
|
1945年
|
坂倉準三のアトリエ系建築設計事務所に入所 |
|
1956年
|
芦原建築設計研究所を開設 |
|
投票数
0
| ふりがな |
|
| 性別 |
|
| 出身地 |
|
| 生年月日 |
|
| 血液型 |
|
| 職業 |
|
| 所属 |
|
| Twitter |
|
|
|
|
|
|
|
|
つながりの強いひと
|
|
丹下健三
丹下健三(たんげけんぞう、1913年(大正2年)9月4日-2005年(平成17年)3月22日)は日本の建築家、都市計画家。「世界のタンゲ」と言われ、日本人建築家とし... |
|
|
槇文彦
槇文彦(まきふみひこ、1928年(昭和3年)9月6日-)は日本の建築家。モダニズム建築の正統的な作品や幕張メッセなどのメタリックな作品で知られる。 |
|
|
原広司
日本の建築家。東京大学名誉教授。大江健三郎と親交が深い。夫人の弟は北川フラム。 |
|
|
芦原太郎
息子
日本の建築家である。建築は個人邸から公共施設まで、幅広く手がける。東京都生まれ。 |
|
|
坂倉準三
日本館の設計を手がけ、日本のなまこ壁を思わせるデザインとモダニズムの理念を統合し、海外でも高い評価を受けた。妻は西村伊作の次女の坂倉ユリ(1912-2007... |
|
|
竹山実
日本の建築家。竹山実建築綜合研究所所長。カリフォルニア大学客員教授。ハーバード大学客員教授。イリノイ大学名誉教授。武蔵野美術大学名誉教授。アメリカ... |
|
|
隈研吾
日本の建築家。株式会社隈研吾建築都市設計事務所主宰。東京大学教授(学術博士)。 |
|
|
真壁智治
真壁智治 チ-ムカワイイ 平凡社発行年月:2009年09月 ページ数:399p サイズ:単行本 ISBN:9784582544350 真壁智治(マカベトモハル)1943年生まれ。プロジ... |
|
|
五十嵐太郎
日本の建築史家、建築評論家。工学博士。東北大学大学院教授。 |
|
|
磯崎新
磯崎新(いそざきあらた、1931年(昭和6年)7月23日-)は日本の建築家で、ポストモダンの代表的な建築家。建築設計活動のみならず活発な評論活動、芸術文化活... |
|
|
マルセル・ブロイヤー
1925年に自転車のハンドルに着想を得てワシリー・カンディンスキーの為にデザインした。自転車用の工具を使って簡単に組み立て・分解が可能で、大量生産にも... |
|
|
竹原義二
日本の建築家。無有建築工房( www.jcarb.com )主宰。大阪市立大学大学院生活科学研究科・生活科学部教授。徳島県生まれ。 [経歴] 1972年、大阪工業大学短期大... |
|
|
黒川紀章
日本の建築家、思想家。株式会社黒川紀章建築都市設計事務所代表取締役社長を務めた。日本芸術院会員。保守派の言論人でもあり日本会議の代表委員だった。共... |
|
|
吉村順三
吉村順三(よしむらじゅんぞう、1908年9月7日-1997年4月11日)は日本の建築家。皇居新宮殿の建設に関わった。東京の呉服商の家に生まれる。東京美術学校(現... |
|
|
内井昭蔵
東京都出身の日本の建築家。工学博士(1992年京都大学)。第二次世界大戦後の日本建築史を代表する建築家の一人である。 |
|
|
清家清
日本の建築家。日本における代表的な現代建築家。戦後すぐに「森邸(1951年)」を発表し、同じ50年代に発表された、池辺陽の「立体最小限住宅(1950年)」、... |
|
|
藤森照信
日本の建築史家、建築家(博士(工学))。元東北大学非常勤講師。工学院大学教授、東京大学名誉教授、東北芸術工科大学客員教授。専門は、日本近現代建築史、... |
|
|
香山壽夫
東京都生まれの建築家。東京大学名誉教授、工学博士(東京大学)。有限会社香山壽夫建築研究所所長。1996年日本建築学会賞、2000年公共建築賞、2002年日本建... |
|
|
芦原義信さんについてのひとこと紹介
|
|
|
|