| 宮城県遠田郡涌谷町出身。 |
| 農業高校二年時中退、家出し上京。 |
| 職人見習いや新聞配達、ヤクザの下働きなどを経験。 |
| -投獄などを経験し★「投獄」は刑務所入り。 |
| 若松は刑務所には入っていません★--->1957年、チンピラ同士のいざこざから逮捕され、半年間、拘置所に拘禁され執行猶予付の判決を受ける。 |
| その後、職を転々としテレビ映画の助監督になる。 |
| ある現場でシナリオの改変に腹を立ててプロデューサーを殴り、その場でクビになる。 |
| その後ピンク映画の企画が巡って来た事が転機となり、1963年にピンク映画『甘い罠』で映画監督としてデビュー。 |
| 低予算ながらもピンク映画としては異例の集客力をみせた。 |
| 若松は「ピンク映画の黒澤明」などと形容されヒット作を量産する。 |
| 1965年「若松プロダクション」を創設、足立正生や大和屋竺などの人材が集まる。 |
| 作品は学生運動を行っていた若者たちなどから支持を受けたが、若松自身は「学生運動を支持するために映画を作ったことはなかった」と語っている( |
| 自分自身が面白いと思った映画を撮っているとのこと。 |
| のちに「実録・連合赤軍あさま山荘への道程」を撮影した時は、前売り券の購入を昔の学生運動家に頼んだものの全く買ってくれなかったという( |
| 若松作品は海外での評価も高い( |
| 元ソニック・ユースのジム・オルークは若松の映画音楽を作りたいがために日本語を習得した( |
| プロデュース作品としては、大和屋竺監督『荒野のダッチワイフ』(1967)、足立正生監督『女学生ゲリラ』(1969)、大島渚監督『愛のコリーダ』(1976)、神代辰巳監督『赤い帽子の女』(1982)等がある。 |
| 音楽ビデオクリップとしては唯一、ソウル・フラワー・ユニオンを手がけたことがあり、1998年、アイルランドにて「イーチ・リトル・シング」と「風の市」を撮影している。 |
| 時に役者として出演することもある。 |
| 連合赤軍をテーマにした作品『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』(2007)は、2007年8月の湯布院映画祭にて「特別試写作品」として上映。 |
| 2007年10月には、第20回東京国際映画祭にて「日本映画・ある視点作品賞」を受賞した。 |
| 同年12月に、若松が設立した映画館( |
| 2008年2月に開催の第58回ベルリン国際映画祭において最優秀アジア映画賞(NETPAC賞)と国際芸術映画評論連盟賞(CICAE賞)を受賞。 |
| 毎日映画コンクールで監督賞、日本映画評論家大賞で作品賞を受賞した。 |
| ロングラン上映後、DVDが発売された。 |
| 2010年公開は、寺島しのぶ主演『キャタピラー』(8月14日より全国各地の映画祭などで上映)。 |
| 撮影期間は12日間、スタッフ数は11人( |
| 日本での公開を前に、2010年2月20日、主演の寺島がベルリン国際映画祭の主演女優賞を受賞した( |
| 観客は「戦争がただの殺し合いでしかない現実」と、「生の根源であるセックス」に引き込まれていたという( |
| -以前の記述は【「戦争がただの殺し合いでしかない現実」と述べており、強い反戦思想の持ち主である。 |
| 】★この記事だけでいうと、「強い」「反戦思想」とまでは言えないのでは。 |
| 「ただの殺し合いではあるが必要な時もある」という考えだってあり得る。 |
| また参照元の記事は映画への反応についての話なので、思想話に持ち込むのは強引な気がしました。 |
| --->国内では11月に「第2回TAMA映画賞」特別賞を受賞。 |
| 12月には新藤兼人賞・SARVH賞2010の最優秀プロデューサー賞である「SARVH賞」を受賞した。 |
| 授賞式で「尊敬する新藤監督とこのような形でお会いする事が出来て、本当にうれしい。 |
| これからも自分の映画を撮れるように頑張ります」と述べた。 |
| 次回作は、三島由紀夫(三島事件)をテーマとして、楯の会結成(1968年)から自決までを描く「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」。 |
| 次いで船戸与一原作の「海燕ホテルブルー」をつづけて制作。 |
| 2012年春の公開を予定している( |