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プロフィール
- 若狭得治とは
- 生い立ち
- 終戦まで
- 運輸官僚として
- 全日空中興の祖
- ロッキード事件
- その他の経歴
- 死去
- 関連項目
若狭得治(わかさとくじ、1914年(大正3年)11月19日-2005年(平成17年)12月27日)は、日本の運輸官僚、実業家。全日本空輸(全日空)社長、会長、名誉会長。
生い立ち
| 砺波中学、旧制富山高校を経て、東京帝国大学に入学。 |
終戦まで
| 1938年(昭和13年)同法学部を卒業後、逓信省に入省した。 |
| 1940年(昭和15年)国家主導で外国船を一括用船(チャーター)する帝国船舶株式会社の発足にかかわる騏驎おおとりと遊ぶ<上>本所次郎著p168。 |
| その後、逓信省外局海務院運行部補佐官、企画院出向、軍需省航空兵器総局補佐官を経て、1945年(昭和20年)3月、運輸通信省へ呼び戻され、満州国からの海流を使ったドラム缶による物資輸送ルートを検討する騏驎おおとりと遊ぶ<上>本所次郎著p195。 |
| 同年6月、新潟市に設置された、運輸省海運総局日本海事務局の輸送課長となり、終戦を迎える。 |
運輸官僚として
| 1946年(昭和21年)8月、戦後復興の物資の生産・配給を行う船舶公団の設立にかかわり、計画造船を実施する騏驎おおとりと遊ぶ<上>本所次郎著p235-p238。 |
| 1948年(昭和23年)2月、悪化した結核性肋膜炎の療養のため東海海運局伏木支局へ転勤。 |
| 同年7月より新設された伏木海上保安所長を兼務。 |
| 1950年(昭和25年)2月に喀血し結核が悪化し療養生活を送るが回復し、1953年(昭和28年)10月、計画造船制度の運用を監査する大臣官房考査室長に着任し現場復帰を果たす(海運局海運監査官を兼務)。 |
| その後、大臣官房企画課長、神戸海運局長、灯台部長を経て、1959年(昭和34年)5月、海運局次長に就任(局長は後の日航社長の朝田静夫)騏驎おおとりと遊ぶ<上>本所次郎著p302。 |
| 次いで1961年(昭和36年)7月、海運局長に就任。 |
| 海運局長時代には、海運会社を6社に統合し海運業界の体質強化を図った騏驎おおとりと遊ぶ<上>本所次郎著p359-p360。 |
| 1965年(昭和40年)6月、運輸事務次官となる。 |
| 鉄道局長の堀武夫とともに、国鉄料金の値上げ問題を処理騏驎おおとりと遊ぶ<上>本所次郎著p372。 |
| 次いで戦後最大の船員ストの調停騏驎おおとりと遊ぶ<上>本所次郎著p387-p388、日米航空協定の改定、日ソ航空協定の締結騏驎おおとりと遊ぶ<上>本所次郎著p398、新成田空港公団の設立などの功績を残し、1967年(昭和42年)3月14日退任した。 |
全日空中興の祖
| 1969年(昭和44年)に、全日空に顧問として招聘され、副社長を経て、1970年(昭和45年)に社長に就任する。 |
| 社長としては全日空の国際線進出を実行(この時点では国際チャーター便への進出のみ)した他、関連企業としてホテル事業などを展開するなど経営の多角化にも積極的に取組み、「全日空中興の祖」と呼ばれた。 |
| その後、1976年(昭和51年)に会長となり、1991年(平成3年)に名誉会長、1997年(平成9年)に相談役、1998年から常勤顧問を勤めた。 |
ロッキード事件
| 全日空在籍中の1976年(昭和51年)に、次期大型機トライスターの選定をめぐるロッキード事件が発覚し、橋本登美三郎らへの全日空ルートでの贈賄は時効のため起訴されなかったが、外国為替管理法違反、議院証言法違反の罪に問われ、1992年(平成4年)最高裁判所で懲役3年執行猶予5年の刑が確定した。 |
その他の経歴
| 1968年(昭和43年)4月、港湾近代化促進協議会会長騏驎おおとりと遊ぶ<上>本所次郎著p444。 |
| 1968年(昭和43年)12月、日本海事財団会長。 |
| 1991年(平成3年)。 |
| 1996年(平成8年)、日本航空協会会長。 |
死去
| 2005年12月に肺炎で東京都内の病院で亡くなった。 |
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つながりの強いひと
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田中角栄
日本の政治家。衆議院議員(16期)、郵政大臣(第12代)、大蔵大臣(第67・68・69代)、通商産業大臣(第33代)、内閣総理大臣(第64・65代)などを歴任した。 |
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小佐野賢治
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イングランド、スコットランド、アイルランドの王(在位:1625年-1649年)。 |
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トライスター
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松任谷正隆(まつとうやまさたか、1951年11月19日-)は日本の音楽プロデューサー、作曲家、アレンジャーであり、自動車評論家、俳優としても活動。雲母社社長... |
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若狭得治さんについてのひとこと紹介
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