| 1980年代後半より、アップル社のMacintoshとアドビ社のソフトウエアIllustratorを使用したベジェ曲線を駆使した2DCGやハイパーカードを応用したデサイン指向かつ平面的なムービーをストリート・アートの世界に持ち込んだ。 |
| 独特のファジーな色彩と60年代〜80年代の文化やブラック・カルチャーにアーキグラム的解釈も融合した独自の手法と世界観を生み出し、世界中に膨大なフォロワーを生み90年代グラフィックのスタンダードな存在となる。 |
| アートの世界では、ベジェ曲線/2DCGグラフィックスのパイオニア的存在と認識される。 |
| 1990年初頭、イギリスで発売されたオムニバス・アルバム「UnitedFutureOrganizationpresentsMULTIDIRECTION」のイラストレーションを手がけ、イギリスで人気を経て逆輸入的に日本で話題となり、マンディ満ちる、モンドグロッソ、DJ KRUSH、birdなど数々のカッティング・エッジなアーティストのフライヤーやCDジャケットを手がける。 |
| ファッションブランド、VIVAYOU(ビバ・ユー)の広告キャンペーンの女性向けなキャラクター展開および、音楽とリンクさせたファンキーな商品展開を作り上げ、流行に敏感な若者や女性に爆発的人気を得、NYで活動する田辺ヒロシ、ロンドンのジェイソン・ブルックスと並んで、90年代におけるファッション・イラストレーション・ブームのアイコンとなる。 |
| サントリーの飲料「CCレモン・モシノグッズ・キャンペーン」で、全国的な老若男女に人気を得る。 |
| 1998年、日本人で初のNIKE社のバスケットボール広告の北米キャンペーンのイラストレーターに抜擢。 |
| 「URBANATTACK」と題されたこのNIKEのキャンペーンは、北米とイタリアの街中が若野のビルボード広告で埋め尽くされ、若野の独特な色使いのスモーキーなピンク色は「モシノ・ピンク」と命名され、「Japanesetwist(日本人のヒネリ)」と評された。 |
| また、このNIKEキャンペーンでは、P-FUNKの総師ジョージ・クリントンによってレコード制作が行われ、音楽とキックス(NIKEのバスケットシューズ)とバスケットボールとブラックカルチャー/ヒップホップカルチャーに根付いた非常にディープな内容のキャンペーンであった。 |
| 1999-2000年、NIKE社バスケットボールのアジアおよび北米における「PLAYER'SDElIGHT」キャンペーンのアートワーク担当及び企画参加。 |
| 実在するNBAのアスリートを若野がキャラクター化し、ビルボード広告や街中の広告、そして、若野キャラクターがアニメーションになってラップをするTVCMが展開された。 |
| 日本版のTVCMは、日本の人気ラッパーである、ZEEBRA、TWIGY、DEV LARGEを採用、3者によって限定レコードもレコーディングされ、現在も高値プレミアものとなっている。 |
| また、TVCMはアメリカにおけるTVCM専用のポータルサイトでのチャートで、初登場14位という記録を得る。 |
| イラストレーションだけに留まらず、オリジナル作品をビデオミキサーを使用して映像ミックスをするVJとしても活動、芝浦GOLDでのDJ小林径のバースデーパーティ、UnitedFutureOrganizationが主催していたホットなマンスリーパーティ「JAZZIN'」、大型音楽フェスティバル「レインボー2000」でのオーディオ・アクティブのVJ、当時新宿歌舞伎町にあったリキッドルームで展開されていた数々のカッティングエッジなイベントのVJを担当していた若野と宇川直宏と、そして後に登場した生西康典は、現在のVJムーブメントを形成したオリジネイターの一人である。 |
| また映像作家として、TBSテレビ「うたばん」のCMキューの映像制作、モード学園TVCM、オーディオ・アクティブのミュージック・クリップなどを監督制作などするなか、2001年にシカゴからリリースされた竹村ノブカズのシングル「sign」のために制作した映像が、CDを購入した人々の口コミによって評価を受け、アメリカはじめ、イタリア、スペイン、プエルトリコ、イラン等のインディな映画祭に招待上映され、世界的に映像作家として脚光を浴びる。 |
| 2003年、アメリカがイラク戦争を開始した3日後のニューヨークでのDJ KRUSHのライブにVJで「NOMOREWAR」と飛び入り参加。 |
| 2004年、音楽フェスティバルメタモルフォーゼのTheOrb(ジ・オーブ)のVJを担当し、後にTheOrbヨーロッパ・ツアーのオフィシャル映像を手がける。 |
| nobodyknows+の「ココロオドル」ミュージッククリップなど、映像作品は脚本やカメラ、アニメーション作成から監督、編集に至るまでの行程を若野桂は全て一人で担当する。 |
| 2001年、東芝社の電子レンジMEKOOR、SAZABYのバッグ、SONY社のロボットAIBO(ラッテとマカロン、31Xシリーズ)など、プロダクト・デザイン(工業デザイン)も行う。 |
| 雑誌カーサ・ブルータスが行った世界の著名キュレーター達を迎えて日本の優れたプロダクトを選出する企画で、aibo(ラッテ)が一位に選ばれた。 |
| それまで企業のインハウス的存在であった「プロダクト・デザイナー(工業デザイナー)」という言葉を世に知らしめた。 |
| 従来のロボットのイメージを一掃したパピー(子犬)型のaiboは、理系に関係なく様々な性別や年齢の人々にロボットペットとして愛されるよう、また、起動していない時でも可愛さが滲み出る、テディベアのように永く人から愛されるようなデザインをと熟慮され、現在も世界中のオーナーに愛されている。 |
| 特に、パグ型の31Lはアメリカの評価が高い。 |
| グッドデザイン賞受賞、日経デザイン賞銅賞受賞。 |
| 1999年、NHKのテレビ番組「トップランナー」に出演。 |
| 番組内でDJ KRUSHのDJをバックに、ライブ・ペインティングをメディアで披露。 |
| 同番組を観て若野のペインティングにインスパイアされた若者たちが次々に、各地で真似事を始め、現在における「ライブ・ペインティング・ブーム」の火付け役でもある。 |
| 2000年-2004年、キヤノン社の世界規模の公募''キヤノン・デジタル・クリエーターズ・コンテスト''にて、グラフィック部門の審査員をイギリスのTOMATOと担当。 |
| その他、ビューティーン・ヘアカラー、エビアンのボトルパッケージ、広告、TVCM、映像、グッズ・デザイン等など、現在も多才に多範囲にて活動中。 |