| だが、暴君の苻生は人望がなく重臣達に怨まれていたから、かえって苻法・苻堅兄弟を擁立して、357年に逆に苻生は殺害された。 |
| 苻生が殺害された後に、苻法は突然異母弟の苻堅に対して「そなたが嫡子だから、わしに構わずに即位するがよい」と述べたという。 |
| だが兄思いの苻堅は「いえ、兄弟順では兄上が即位して妥当です」と述べて、相互に譲らなかったという。 |
| 結局、この課題は決着がつかなかったが、これを危惧した人物が一人いた。 |
| 苻堅の生母の荀氏である。 |
| 彼女は亡夫の苻雄の正妻である。 |
| 彼女から見て腹を痛めて産んだわが子の苻堅の可愛さから、継子の苻法が目障りだったのである。 |
| やがて荀氏は同年の冬11月に苻法が寝ている最中に、部下の李威に命じて惨殺したという。 |
| 尊敬する兄の死を聞いた苻堅は慟哭して血を吐いたという。 |
| 兄が亡くなったので、苻堅が前秦の皇帝になったのである。 |
| 一説では苻堅は兄のことを偲んで、帝と称せず、天王と称したといわれる。 |
| また亡兄の子で甥の苻陽・苻敷兄弟に王位を与えたという。 |