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プロフィール
- 荒川静香とは
- 人物
- 技術・演技
- 仙台時代
- 世界選手権優勝
- トリノオリンピック
- プロ転向後
- CM
- その他
- 関連サイト
荒川静香(あらかわしずか、ラテン文字:ShizukaArakawa,1981年12月29日-)は、日本のプロフィギュアスケーター。2006年トリノオリンピック女子シングル金メダリスト。2004年世界選手権優勝。
人物
| 1981年、東京都品川区にある関東逓信病院で生まれた。 |
| 幼稚園教諭の母とサラリーマンの父のもと、神奈川県鎌倉市で1歳4ヶ月までを過ごす自らの公式ホームページでは、鎌倉を「出身地」としている |
| 名前の「静香」は、鎌倉に縁の深い静御前に因む『応援ブック2006』p.89。 |
| その後、父親の転勤に伴い仙台市に転居。 |
| 小学6年生のころ利府町に引越した。 |
| 大学入学とともに上京し、早稲田大学教育学部卒業後はプリンスホテルに所属。 |
| 荒川家は一般的なサラリーマン家庭で、費用が多く掛かるフィギュアスケートを続けていくために、母親が衣装を手作りするなどの両親の支えがあったテレビ朝日系列『グレートマザー物語』「 |
| 海外メディアからは、ポーカーフェイスであることもあり「クールビューティー」と称されていたhttp://sportsnavi.yahoo.co.jp/special/torino/column/200602/at00008092.html。 |
| 日本での愛称はしーちゃんhttp://www.waseda.jp/student/weekly/contents/2003b/019c.html。 |
| 尊敬するスケーターはクリスティー・ヤマグチと佐藤有香 |
| 佐藤有香は1998-1999年シーズンの振付も担当している第67回全日本フィギュアスケート選手権時に会場配布のプログラム。 |
| 安藤美姫や恩田美栄には特に慕われており、プライベートでも非常に仲が良い。 |
| 2度にわたってオリンピック代表の座を争った村主章枝との間には確執が取り沙汰されていたが、トリノオリンピック中に一緒に食事をするなどし、和解が報じられた(村主章枝#人物参照)。 |
| 趣味はグルメで、フィギュアスケート界きっての大食漢であることが知られている『応援ブック』p.18。 |
| シーズー1匹と3匹のカニンヘンダックスフントを飼っている愛犬家で、一番古くから飼っているシーズーの名前は「チョコ」。 |
| ダックスフントのうちの1匹はオリンピック金メダル獲得の記念として飼い始め、2005-2006シーズンのエキシビションで使用した曲『ケルティック・ウーマン』の「ユー・レイズ・ミー・アップ」のイタリア語訳「Tiramisu」にちなんで「ティラミス」と名づけられた。 |
| 3匹目に飼い始めたダックスフント「アロマ」は「静香」の「香」にちなんだもの。 |
| 4匹目はアロマが産んだ「ローザ」。 |
技術・演技
| フィギュアスケートの全ての要素において高い技術を誇る。 |
| トリノオリンピックでは、ショートプログラム(SP)とフリースケーティング(フリー)で合計7つあるスピンと2つあるスパイラルの全てでレベル4を獲得し、2つのステップはともに事実上最高難度であるレベル3を獲得した。 |
| このようにレベルの取りこぼしが1つもなかったのは出場選手中荒川ただ1人であり、また、ISUジャッジングシステム導入後のISU公式試合を通じても初めてのことであった。 |
| スケーティングには重厚感と伸びがある「氷の上のヒロインたち 佐藤有香が語る9人のスケーター」『応援ブック』p.7。 |
| トリノオリンピックでも出場選手中ただ一人、演技構成点の5つの項目のうちスケーティング技術で8点台をマークした。 |
| {{要出典範囲|中学生時代から伊藤みどり以来の日本女子連続3回転ジャンパーとの呼び声が高く、様々な種類の3回転-3回転コンビネーションを跳ぶことができた。 |
| ジャンプの種類ではルッツを得意とする一方、フリップでは踏み切る瞬間にアウトサイドエッジに乗ってしまう「リップ」になりがちだった田村明子著『氷上の光と影 知られざるフィギュアスケート』新潮社、2007年2月、pp.11-12。 |
| 大きく上体を反らせた「レイバック・イナバウアー」は特徴的。 |
| トリノオリンピック後はものまねが流行し、2006年の新語・流行語大賞を受賞するまでになった斎藤貴子編『フィギュアスケート07』毎日新聞社、2007年4月、p.46。 |
| 身体がとても柔軟で、ビールマンスピンの練習を始めたころは「体が柔らかすぎてグニャグニャなので、どこで止めるのかが難しい」と言っていた田村明子著『パーフェクトプログラム日本フィギュアスケート史上最大の挑戦』新潮社、2010年3月、p.110。 |
仙台時代
| 幼少時は水泳、体操、英会話、書道、そろばん、ピアノなど様々な習い事をしていた。 |
| どんなことでもすぐに習得し、なかでも3歳から始めた水泳では6歳までに全泳法を覚えたという。 |
| 5歳のとき仙台市の勝山スケーティングクラブ(2009年4月閉鎖)でスケートに出会う |
| 「ちびっ子スケート教室」に入会し、小学校入学後、本格的にフィギュアスケートを始めた八木沼純子著『日本フィギュアスケート 氷上のアーティストたち』日本経済新聞社、2005年11月p.4松岡修造著『StayGoldフィギュアスケート編』ナナ・コーポレート・コミュニケーション、2003年4月、p.40『littlewings』p.29。 |
| 他にも泉市のオレンジワン泉2002年から「コナミスポーツクラブ泉」と改称、経営難のため2004年12月閉鎖。 |
| その後、荒川のトリノオリンピック金メダル獲得をきっかけにリンク再開の機運が高まり、宮城県や仙台市の支援もあって、2007年3月「アイスリンク仙台」として再開。 |
| に通い長久保裕の指導を受けた。 |
| 小学校3年生のときに5種類の3回転ジャンプをマスターし「天才少女」と呼ばれた。 |
| 10歳で第1回野辺山合宿に参加『パーフェクトプログラム』pp.32-33。 |
| 12歳のときに初めての国際大会であるトリグラフトロフィーに出場し、優勝を果たす。 |
| 中学入学後は全日本ジュニア選手権で史上初の3連覇、全国中学校スケート・アイスホッケー大会でも同じく3連覇を達成した。 |
| 国際大会のネーベルホルン杯では3回転-3回転のコンビネーションジャンプを成功させて優勝。 |
| 1997年、中学3年生でシニアの第65回全日本選手権に特例出場し、村主章枝に次いで2位に入る。 |
| 同年の世界選手権の日本女子シングル代表枠は2枠だったが、荒川にはまだシニアでの実績がなかったためと、同回全日本選手権にケガで欠場した横谷花絵が特例で選出されたため、荒川の世界選手権入りはならなかった。 |
| 高校に入学し、シニアへ完全移行1年目の1997-1998シーズン、第66回全日本選手権でライバルの村主らと競り合う中で初優勝を果たし、1枠しかなかった長野オリンピックと1998年世界選手権の代表の座を勝ち取る。 |
| 初の五輪出場となる長野オリンピックでは、今上天皇・皇后観戦のもとで演技を行い、SPでは3回転-3回転のコンビネーションジャンプを成功させ、13位と健闘。 |
| 一方、同じく初の代表だった1998年世界選手権では22位に終わった。 |
| 1998-1999シーズン、第67回全日本選手権で2連覇を果たす。 |
| 1999年アジア冬季競技大会では2位となったが、この年から始まった1999年四大陸選手権で6位に終わり、1999年世界選手権の代表入りを逃した。 |
| 1999-2000シーズンは低迷し、世界選手権に出場できなかった。 |
世界選手権優勝
| 自己推薦入試で早稲田大学に進学、初めて親元を離れて東京での生活を始める。 |
| 2000-2001シーズンは新横浜のプリンスクラブに在籍し、初めてマンツーマンでのレッスンを経験する『氷上のアーティストたち』p.12。 |
| このシーズンから、プログラムの音楽を表現する気持ちが芽生えたという『氷上のアーティストたち』p.12。 |
| 第69回全日本選手権は2位だったものの、国際大会ではふるわなかった。 |
| 2001-2002シーズンからは佐藤久美子に師事。 |
| ソルトレイクシティオリンピックの女子シングル日本代表枠は2枠あったが、1枠はグランプリファイナルに進出した恩田美栄に早々と内定。 |
| 残り1枠が賭かった全日本選手権で村主章枝に敗れ、代表選出はかなわなかった。 |
| 2002-2003シーズン、練習拠点を神宮外苑スケート場に移し、振付はニコライ・モロゾフに依頼した『氷上のアーティストたち』p.15。 |
| 2002年末の第71回全日本選手権で3位になった後、年明けはユニバーシアード冬季競技大会、冬季アジア大会で立て続けに優勝。 |
| さらに四大陸選手権では2位、初進出のグランプリファイナルでは4位となった。 |
| 5年ぶりに出場した世界選手権では、SPで転倒して肩を脱臼したものの、スピンをしながらはめ直して最後まで滑りきった。 |
| フリーでは3回転ルッツ-3回転トウループ-2回転ループのコンビネーションを決め、8位になった『littlewings』p.30。 |
| 2003-2004シーズンはGPファイナルを含むGPシリーズ4戦全てで表彰台に上がり、全日本選手権3位ながら世界選手権の代表に選ばれた。 |
| GPファイナルの後、急遽コーチをタチアナ・タラソワに変更『氷上のアーティストたち』p.17。 |
| 世界選手権はフリーで3回転ルッツ-3回転トウループ-2回転ループ、3回転サルコウ-3回転トウループのコンビネーションジャンプを含む全ての要素を完璧に決め、技術点では6.0満点も獲得して優勝。 |
| 日本人選手として10年ぶり3人目の優勝を果たした。 |
| このとき、予選直前に左足坐骨を骨折していたのに肉離れだと思って競技を続けていた『日本女子フィギュアスケートオフィシャル応援ブック』実業之日本社、2004年11月、p.14。 |
| 当時はシーズンいっぱいでの競技引退、プロスケーター転向を決意していた『応援ブック』p.11が、大学卒業後もプリンスホテルに所属して競技を続けることになった。 |
| 卒業論文は「スポーツとマスコミの考察」。 |
| 元々マスコミが苦手であったが、研究することで取材する側の気持ちが理解できるようになったという『金メダルへの道』p.134。 |
トリノオリンピック
| 2004-2005シーズン、NHK杯で初優勝。 |
| 全日本選手権はSP1位だったが、足の怪我でフリーを棄権した。 |
| 世界選手権は9位に沈んだ。 |
| 2005-2006シーズンは中国杯とエリック・ボンパール杯でそれぞれ3位につけたものの、グランプリファイナル進出を逃してしまった。 |
| この時は「日本選手3人がグランプリファイナルで表彰台に上がりオリンピック出場枠が埋まったら?」と記者に質問された際、「引退する」と発言していたが『Tiramisu〜だから私はがんばれる!〜』p.79、全日本選手権で3位に入ったことでトリノオリンピック代表に選出が決まった。 |
| 理由は、タラソワの新採点方式への対応が遅れていたので氷上で直接指導するニコライ・モロゾフについてステップのレベルを上げようとしたところ、タラソワとモロゾフが共同作業を拒んだため『氷上の光と影』p.25。 |
| その後、正式にニコライ・モロゾフの指導を受けることにし、国内ではこれまで通り佐藤久美子に師事することとなった。 |
| 加えて、SPとフリーのプログラムを同時に変更した。 |
| フリーで使用していた「幻想即興曲」をSPに回し、フリーは2004年世界選手権優勝時にも使用した「トゥーランドット」にした。 |
| トリノオリンピックは、ショートで荒川、サーシャ・コーエン、イリーナ・スルツカヤの上位3人が1点差以内に並ぶ大接戦となった。 |
| フリーでは自己最高得点をたたきだして1位となり、会場の観衆からはスタンディングオベーションの賞賛を受けた。 |
| 合計スコア191.34で優勝し、アジア選手として五輪フィギュア史上初の金メダル(併せて同大会日本人選手最初で唯一のメダル)を獲得。 |
| 2006年5月7日、記者会見でアマチュア競技引退とプロ転向を表明。 |
プロ転向後
| 2006年5月8日、自身で企画・プロデュースしたアイスショー「フレンズ・オン・アイス」を開催。 |
| 同年6月からは「チャンピオンズ・オン・アイス2006」に、11月にはプロフィギュアスケートの祭典「アイス・ウォーズ」に参加するなど、トリノオリンピックから1年の間に国内外計100公演以上のアイスショーに出演した。 |
| 2007年4月3日、小学校から高校を卒業するまで練習拠点としていた「アイスリンク仙台」でスケート教室を開いた。 |
| 2010年3月19日と21日に米ABCで放映されたスペシャル番組『ThinIce』(有名スケーターが男女でペアを組み、対戦するという内容 |
| 現在はプロスケーターとして「プリンスアイスワールド」(メインキャスト)、「スターズオンアイス」日本公演等に出演しながら、毎年「フレンズ・オン・アイス」、さらに不定期ながら「クリスマス・オン・アイス」をプロデュースし、自身も出演している。 |
CM
| ロッテ「ガーナチョコレート」、「雪見だいふく」。 |
| 弐萬圓堂「イナバウアーフレーム」。 |
| 日本コカ・コーラ「爽健美茶」。 |
その他
| 宮城県「宮城県民栄誉賞」(佐々木主浩、田中耕一についで3人目)。 |
| 宮城県利府町「町民栄誉賞」および「スポーツ功績賞」 |
| 宮城県仙台市「賛辞の盾」および「特別表彰」 |
| 秋田県男鹿市「特別表彰」(父・晃市が男鹿市出身だったことにちなむ)。 |
| 読売新聞社「日本スポーツ賞大賞」(2006年度)。 |
| バカラ「バカラ・アスリーツ・オブ・ザ・イヤー」(2006年)。 |
| トリノオリンピック女子シングル金メダルに輝いたことを記念して、出身校の仙台市立台原小学校にヤエベニシダレが植樹された。 |
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1981年
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東京都品川区にある関東逓信病院で生まれた荒... |
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1997年
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中学3年生でシニアの第65回全日本選手権に特... |
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