| 「アッハッハッハッハ」と甲高い笑い声も特徴的である。 |
| 妹が一人いる。 |
| 井手功二に「顔面に拳骨パンチしたような顔」といわれる。 |
| 伊集院光にも「凹み面(ツラ)」と称される。 |
| 苗字の読みは「そうぐち」が正しいが、祖父の代までは「しょうぐち」と読んでいた(タモリの週刊ダイナマイクの発言より)。 |
| 高校生の頃、両親に連れられた先の占い師に「あなたはアナウンサーか弁護士になる」と言われた。 |
| しかし、大学で司法試験の勉強をしている学生たちの必死過ぎる姿を見て弁護士になることを諦め、放送研究会に入ってアナウンサーを志した。 |
| その放送研究会の先輩の一人に畑中秀哉(ニッポン放送報道部)もいた。 |
| 様々な有名アーティストとも親しく、「そーちゃん」の愛称で呼ばれている。 |
| または古田新太や犬山イヌコには「ばか荘口」と呼ばれていた。 |
| また、福山雅治からは「彰久」と呼ばれている。 |
| リスナーからは「そーちゃん」の他に「隊長」「主任」「音太(おんた)」「スペースDJコスモ」などと呼ばれた。 |
| アナウンサー時代に上司だった那須恵理子からは「すごい読書家」と評価されたほど読書量を誇り、番組中でも最近読んだ本を紹介したことがある。 |
| 「ラジオライフ」誌のインタビューにおいて、最も影響を受けたラジオパーソナリティとして伊集院光を挙げている。 |
| 新入社員時代、「伊集院光のOh!デカナイト」や「電気グルーヴのオールナイトニッポン」で外回りレポーターやアシスタントを経験しており、1990年代後半以降のニッポン放送の深夜枠の方向転換において唯一伊集院や電気的志向のトークのエッセンスを残したパーソナリティとして、方向転換を快く思っていないリスナーに高い支持を得ていた。 |
| 退社前後には伊集院光を通じてTBS移籍も画策していたようであり、本人は伊集院と何年かぶりに飲みに行き退社のことを話したが、伊集院から「TBSに来て何年にもなるけど未だに肩身狭いよ」と言われ、連絡を閉ざしたという。 |
| くりぃむしちゅーの2人とは小学校が同じで、有田哲平に至っては中学時代の2年後輩でもある。 |
| ニッポン放送入社後、番組内で再会し、小学校の運動会話で盛り上がった事がある。 |
| 日本武道館で歌ったことがある、武道館アーティストでもある。 |
| 小堺一機の息子が荘口のファンであり、担当番組で彼からのメッセージを紹介したこともある。 |
| 「タモリの週刊ダイナマイク」ではタモリより「熊井」と呼ばれる。 |
| これは荘口が風俗店に行く際に使用していた偽名から取られている。 |
| 「ミュージックステーション」に出演したときもリハーサル時にタモリから「熊井!おい、熊井!!」と呼ばれた。 |
| 「福山雅治の魂のラジオ」の企画で福山雅治がアーティスト写真を撮ったものがサイトでアップされたときは「ウエンツみたい!」などと言われて、現在、アミューズサイトでのプロフィール写真となっている。 |
| 以前のプロフィール写真は「お台場食堂パン」に封入されていたアナウンサーカードの写真で、撮影したのは友人の写真家、桐島ローランド。 |
| メインパーソナリティーの番組の最終回では必ずと言っていいほどやまだかつてないWinkの「さよならだけどさよならじゃない」を流す。 |
| 滅多に実家に帰らないが、その代わりに毎年6月と12月に両親が上京する。 |
| 6月は東京ドームで巨人戦を観戦し、12月は何かの催し物に参加する。 |
| 大学時代に小田急電鉄でアルバイトをしていたことから、アナウンサー当時に担当していた「ブロードバンド!ニッポン」では山本元気アナウンサーと車掌のモノマネをしていた。 |
| 座右の銘は「自分を信じてゆくのだぴょん」。 |
| 「自分を信じていくのだ」という強い意志を「ぴょん」でポップにしているところから。 |
| 独身時代、音楽教師とお見合いをしたことがあるが、財布を忘れたために相手に食事代を出してもらい、以降進展がなかったと番組内で告白している。 |
| 杏さゆりの「BOMB」のグラビア撮影に当時住んでいた部屋(主に寝室)を撮影場所に提供したことがある。 |