| 大学時代は、コロナ2000GTで土曜夜に走り屋として過ごし、的屋の一員としても働いた塚田泉取材・文「あの人はいつも映画の中に菅田俊」『キネマ旬報』2009年9月下旬号、キネマ旬報社、pp.150-155.。 |
| 大学卒業後、会社員になるが、高倉健や菅原文太に憧れて、高校時代より師匠として師事していた詩人の竹内てるよの口添えで東映プロデューサーの俊藤浩滋を紹介してもらい、東映へ出入りするようになる。 |
| 当初は本名のまま『特捜最前線』『電子戦隊デンジマン』などのテレビドラマに端役として出演。 |
| のちに菅原文太の付き人となり、菅原文太の「菅」、鶴田浩二の「田」、東映プロデューサー俊藤浩滋の「俊」を拝借し、芸名を「菅田俊」とする。 |
| 『特捜最前線』では犯人役で出演したが、同時期に『仮面ライダーZX』の特番の主演が決まっていたため、子供番組でのマイナスイメージを避けて顔出しは見送られた(影を入れて隠していた)。 |
| 『仮面ライダースーパー1』のスーパー1/沖一也役のオーディション最終選考まで残っていたのが縁で、10号ライダー・仮面ライダーZXの村雨良役に抜擢された。 |
| その後しばらく、児童誌のグラビアとイベントZXショーの展開を行っていた。 |
| その後1984年正月にテレビ特番として映像化された『10号誕生!仮面ライダー全員集合!!』で、テレビ作品としては初の主役を演じる。 |
| この作品で村雨良の乗るオートバイは、菅田の当時乗っていた私物のバイクであった。 |
| その後、飲み屋で松田優作らが語っていたアクターズ・スタジオを見るために渡米し、帰国後は東映を離れて、唐十郎率いる劇団状況劇場に入団、活動の中心を舞台へと移す。 |
| 演劇時代には唐十郎についていくために大量の読書をして演劇理論を学び、読書で得た知識で理論的に役を解釈する。 |
| 劇団唐組の創立に参加した後、長谷部安春監督の1987年映画『あぶない刑事』の屈強な傭兵・豹藤幸次郎役で映像の世界へ復帰。 |
| この悪役を好演したことで以後、テレビや映画では主に悪役を演じるようになる山根貞男『日本映画時評1986-1989』筑摩書房、1990年、p.187。 |
| 黒沢清『黒沢清の映画術』新潮社、2006年、pp.171-173。 |
| 先輩の片桐竜次の誘いで、1989年に開始した東映Vシネマに出演するようになり、以後、40本以上に出演。 |
| ヤクザを多く演じたが、かつて的屋で働いていたときに知り合った人たちを参考にしたという。 |
| オリジナルビデオの世界で、黒沢清や室賀厚、福岡芳穂といった監督との出会いを得る。 |
| 1992年には映画での初主演作『事件屋稼業』に出演谷岡雅樹『Vシネ血風録』河出書房新社、2005年、p.90。 |
| 谷岡雅樹『キングオブVシネマゴールドカタログ100選』太田出版、2002年、p.153。 |
| その後、コワモテのヤクザや刑事からコミカルな役柄まで幅広くこなせる個性派俳優として活躍。 |
| 2003年ハリウッド映画『キル・ビルVol.1』『ラストサムライ』に出演。 |
| 劇団東京乾電池を経て、太田プロに所属(2007年にはティー・アーティストへ移籍)。 |
| また、役者仲間らを集め“劇団東京倶楽部”を結成し、年1回の舞台を行っている。 |
| 2006年2月20日にひったくり犯逮捕に協力したとして警視庁目白署から表彰を受けた。 |
| 本人によると当初は関わりたくなかったが、偶然犯人が目の前に現れたため取り押さえたとのこと。 |
| ニュース等で、「仮面ライダーが現実社会で正義のために活躍した!」といった類のフレーズで話題になった。 |
| 特技はサッカーで、ヴァンフォーレ甲府の前身である甲府サッカークラブでプレーしたこともある。 |
| 大杉漣とはサッカー仲間。 |
| 『ガンバライド』では昭和ライダーの中で唯一正義のライダーの声をオリジナルのZXとして努めている。 |