| 『魏略』によると、若い頃に邴原・管寧と遊学し、3人は親しくつきあっていたという。 |
| 時の人は、3人合わせて「一龍」と呼んだ。 |
| 華歆が龍の頭、邴原が腹、管寧が尾とされた『三国志』の注釈者である裴松之は「邴原・管寧は必ずしも華歆に劣るものではなく、この呼称によって彼らの優劣は決定できない」とした。 |
| 孝廉に推挙されて郎中となったが、病気のため辞職した。 |
| 中平6年(189年)、霊帝が崩御すると、鄭泰・荀攸らと共に何進に召し出され、尚書郎となった。 |
| 何進が殺されて董卓が実権を握り、長安へ遷都すると、華歆は下邽の県令として地方に出ることを願ったが、病気で任地に行けなかった。 |
| 後に藍田から南陽に向かうが、当時穣にいた袁術に引き止められた。 |
| 華歆は袁術に董卓を討つよう進言したが、採用されなかったため袁術の元を去った。 |
| ちょうど、馬日磾が長安の朝廷により関東の安定のため派遣されていたので、華歆はその属官となった。 |
| 華歆が東の徐州までやってきた時、詔により豫章太守に任命された。 |
| 華歆の政治は簡潔で公正であったので、官民はこれを幸いとし、彼に敬意を表した。 |
| 『魏略』によると、孫策に追われ近隣に駐屯していた揚州牧の劉繇が没すると、その家臣達は華歆を頼ろうとしたが、華歆は勝手に任命されることは良くないとしてこれを拒絶したという。 |
| 建安4年(199年)、孫策が豫章に攻め込むと、華歆は孫策が用兵に巧であることを知って隠士のかぶる頭巾をかぶって降伏し、孫策も華歆の声望を知っていたため彼を上客として礼遇した『資治通鑑』漢紀55。 |
| 建安5年(200年)、孫策が死ぬと孫権に仕えたが、間もなく官渡にいた曹操に招聘された。 |
| 孫権は引きとめたが、華歆が自分を派遣して曹操と誼を交わすよう進言すると、孫権は喜んで中央へ赴かせた。 |
| 出発の時は数千人の賓客達に見送られ、餞別も多額に上ったが、華歆は餞別に印を付けておき、いよいよ出発する時になって、賓客達に全て送り返した。 |
| 賓客達は華歆の徳義に感嘆した。 |
| 中央に行くと議郎に任命され、司空の軍事に参与したのを皮切りに、尚書・侍中といった中央の要職に就くようになり、荀彧に代わって尚書令を任された。 |
| 建安22年(217年)2月、曹操が孫権を征伐する際に軍師に任命され『後漢書』「伏皇后紀」で、214年に華歆が伏皇后を引きずり出した際、華歆の官位は尚書令と記されている。 |
| それ以降で曹操が孫権を討伐したのは217年2月のみ。 |
| 、6月には後漢の御史大夫となった『後漢書』「献帝紀」。 |
| 延康元年(220年)2月、曹丕(文帝)が曹操の王位を継ぐと魏の相国に任命された。 |
| 曹丕が皇帝として即位した後の黄初元年(同220年)11月、相国は司徒と改称された『三国志』「文帝紀」。 |
| 華歆は魏の諸臣の中でも際だって厚く遇されていたが、自身は清貧に甘んじ、俸禄や恩賞は九族に分け与えていたため、家には僅かの貯えもなかった。 |
| ある時、公卿の全員に官婢が下賜されたことがあったが、華歆は彼女らの身分を解放して、他家に嫁がせてやった。 |
| 文帝はこれを賞した。 |
| またある時、三公の役所で「人事では徳行を重んじるべきで、経典の試験の比重を軽くすべきではないか」という意見が出された時はこれに反論し「学問の存立こそが王道を盛んにするのだ」と述べた。 |
| 黄初4年(223年)、文帝に独行の君子を推挙するよう命じられると、華歆は旧友の管寧を推した。 |
| 文帝は車を用意して管寧を召し出そうとしたが、管寧は遼東半島から故郷に戻ったのみで、結局は仕官を辞退した『三国志』「管寧伝」。 |
| 黄初7年(226年)、文帝が崩御し曹叡(明帝)が即位すると、博平侯に封じられ、500戸の加増を受けて1300戸を領するようになり、太尉に転官となった。 |
| この頃、老齢を理由に太尉の位を親友の管寧に譲って隠居したいと嘆願したが、聞き入られず、明帝はかえって散騎常侍の繆襲を派遣して強い口調で出仕を求めたため、華歆は仕方なしに出仕した。 |
| 太和4年(230年)、曹真が子午街道を通って蜀(蜀漢)に侵攻しようとし、明帝も許昌に行幸していたが、華歆は天命を待つべきだとし非戦論を唱えた。 |
| 明帝は、自分は天命を探っているのであって、むやみに武力に訴えるわけではないと回答し、華歆の忠告に感謝の念を示した。 |
| 結局、秋に大雨が降ったため詔勅により曹真の軍を撤退させた。 |
| 太和5年(231年)に病死し敬侯と諡され、子の華表が爵位を継いだ。 |
| 『魏書』によると75歳であったという。 |
| これより前、文帝の時代に所領の一部を分け与え、弟の華緝が列侯されている。 |
| 子孫は魏と晋両朝の時代に栄えた。 |
| 華歆の孫の華嶠は後漢の歴史をまとめた『漢書』を著した。 |