| 同6年には助教。 |
| 1872年(明治5年)4月、相川県(現在の新潟県)より「学問所生員申付候事」(特待生)の辞令を受ける。 |
| 11月、大試に甲科で合格。 |
| 同月、相川県より「県学助読申付候事月給金半円」(県学教員)の辞令を受ける。 |
| 1875年(明治8年)10月、下戸校教導生の辞令を受ける。 |
| 1877年(明治10年)、上京。 |
| 興亜会の支那語学校に入学、また重野安繹について国漢を修める。 |
| 1878年(明治11年)帰島し、県学教員(広間校訓導補)に復職。 |
| 1880年(明治13年)、三郡連合会議員選挙に立候補し当選。 |
| 5月、再び上京して興亜会支那語学校に入学。 |
| 1881年(明治14年)、母ちゑの願いにより帰島。 |
| 1882年(明治15年)、東京大学文学部古典講習科入学。 |
| 1886年(明治19年)7月、東京帝国大学文科大学古典講習科国書課卒業。 |
| 元老院書記生となり第三課に勤務。 |
| 江戸幕府制度の編纂に関わる。 |
| また文部省嘱託として『古事類苑』外交部の編修に携わる。 |
| 1890年(明治23年)9月、貴族院属となり、編纂課や速記課に勤務。 |
| 古代法制の研究に従事。 |
| 11月、國學院講師。 |
| 1892年(明治25年)11月、学習院教授に就任し、従七位に叙せられる。 |
| 12月、帝国議会図書館設立に際し国内図書の調査を嘱託。 |
| 1894年(明治27年)皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の教科書として『近世国文』(2巻)を編み、東宮職へ奉納。 |
| 1896年(明治29年)1月、高等師範学校兼女子高等師範学校教授に就任。 |
| 3月、第9回尋常師範学校尋常中学校尋常高等女学校教員検定委員に就任。 |
| 1899年(明治32年)2月、東京帝国大学文科大学講師を嘱託される。 |
| 1901年(明治34年)4月、日本女子大学教授に就任。 |
| 同月、博士会の推薦によって文学博士の学位を取得。 |
| 9月、東京帝国大学文科大学教授に就任(東京高等師範学校教授と兼任)、国史学第二講座を担当。 |
| 1902年(明治35年)11月、国學院研究科の指導講師を嘱託。 |
| 12月、勲六等瑞宝章を受ける。 |
| 1907年(明治40年)7月、神社調査委員を嘱託。 |
| 1908年(明治41年)9月、教科用図書調査委員会委員を嘱託。 |
| 1909年(明治42年)11月、学術調査のため朝鮮へ出張。 |
| 1911年(明治44年)5月、維新史料編纂会委員を嘱託。 |
| 1913年(大正2年)9月、神宮皇學館評議委員を嘱託。 |
| 1914年(大正3年)4月、神社奉祀調査会委員を嘱託。 |
| 1915年(大正4年)5月、明治神宮造営局評議委員を嘱託。 |
| 1916年(大正5年)4月、帝国学士院会員に列せられる。 |
| 1917年(大正6年)6月、高等官一等に叙せられる。 |
| 1918年(大正7年)9月、学術調査のため満州・中国へ出張。 |
| 1920年(大正9年)12月、勲二等瑞宝章受章。 |
| 1923年(大正12年)3月、東京帝国大学教授、東京高等師範学校教授を定年退官。 |
| 6月、宮内省御用掛に就任し、勅任官待遇で図書寮に勤務。 |
| 7月、勅旨に依り東京帝国大学名誉教授の名称を受ける。 |
| 1924年(大正13年)1月、経筵進講者控を命ぜられる。 |
| 1月31日、狭心症により死去。 |
| 享年65(宮内省の都合によって2月1日死去と発表)。 |