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プロフィール
- 落合英二とは
- プロ入り前
- プロ入り後
- 引退後
- 人物
- 人間関係
- 家族
- タイトル
- 記録
- 背番号
- 過去の出演
- 関連項目
落合英二(おちあいえいじ、1969年7月25日-)は、栃木県下都賀郡石橋町(現:下野市)出身の元プロ野球選手(投手)。 中日ドラゴンズの中継ぎエースとして活躍した右腕投手。2010年から韓国プロ野球・三星ライオンズの投手コーチ。
プロ入り前
| 高校3年の夏は石井琢朗投手(横浜大洋ホエールズ入団)率いる足利工業高校に敗れ、県予選ベスト4に終わった。 |
| 近鉄バファローズで新人王を獲得した宇都宮南高校の高村祐なども高校時代の同期である。 |
| 日本大学在籍時は150km/h超のストレートを武器にドラフトの目玉候補とされていたが、大学4年時に投球の際に右肘を骨折する重傷を負う。 |
| 一時は選手生命も危惧されたが、回復すると判断した中日が1991年のドラフト会議で東北福祉大学のエース斎藤隆の外れ1位で指名し入団。 |
プロ入り後
| 1年目のにはサファイアを埋め込む大手術を行った。 |
| 2年目の以降に主に先発として1軍の登板機会を得るが、先発としては良い成績を残せない時期が続いた。 |
| 落合博満が現役選手として中日に在籍していた時期、基本的にスコアボードの選手名は英二は「落合英」、博満は単に「落合」と表記していた。 |
| ただ、一時期の東京ドームで博満が「落合博」となっていたことがある他、読売新聞等一部の活字メディアでは博満に「落合博」を使用していた。 |
| 以降も活躍を続け、からの山田久志監督下でも結果を残した。 |
| 落合博満が監督に就任したも、中継ぎ陣の柱として活躍。 |
| この年は不調の岩瀬に代わり抑えを務める時期があった。 |
| 9月26日には久々の先発登板、5回無失点で勝利に貢献。 |
| 、落合監督の意向で先発に転向したが結果を残せず、中継ぎに再転向した。 |
| は投球フォーム等の問題から開幕は2軍で迎え、1軍に上がっても結果は出せなかった。 |
| チームがリーグ優勝する際に1軍にはいなかったが、落合をずっと支えてきた永田トレーナーが監督胴上げの瞬間、落合英二の背番号「26」のプレートを掲げ万歳するシーンが見られた。 |
| 永田トレーナー以外にも、落合を慕っていた荒木雅博や朝倉健太も帽子の裏に「26」と書いてプレーしていたという。 |
| 同年オフに戦力外通告を受けた。 |
| 球団は2軍投手コーチのポストを用意したが、本人は現役続行を希望し固辞。 |
| その後、現役を引退。 |
| 1球勝利投手、1球セーブ投手、1球ホールド、1球敗戦投手、0球登板交代を告げられてマウンドに上がってから雨天中断、その後降板投球練習中に右脇腹に違和感で降板したと言われていたが、本人がCBCラジオのドラゴンズワールド内で否定している。 |
| という珍記録を持っている。 |
引退後
| 2007年から2009年まで中部日本放送(CBC)の解説者等を務めた。 |
| 同局ではテレビ番組『サンデードラゴンズ』内で「落合英二ブルブルの輪」というコーナーも担当していた。 |
| 解説初年度は「ネット裏解説」という奇妙なポジションでの解説を務めることが多かった他局でもグラウンドに近い位置に解説者を置く場合があるが、落合はバックネット裏の客席に座っていた点が異なる。 |
| が、その後は普通に実況席で解説をしていた。 |
| ただし、全国ネットの場合は2年目以降でも「ネット裏解説」として出演する場合があった。 |
| 「ネット裏解説」の時は、観客に話かけられることがあったという。 |
| ドラゴンズの選手からは「英二さんがすぐ見えるところにいるのが変な感じ」といわれたりしたとのこと。 |
| 同僚だった宣銅烈が監督を務めていた縁で、韓国・三星ライオンズでコーチ研修を受けた。 |
| から三星の投手コーチに就任。 |
人物
| 「霊感に優れている」と言われており、以下のような話がある。 |
| 試合中に大豊泰昭に1本のバットを差し出して「このバットを使ったら打てる」と予言したところ、大豊が本塁打を打った。 |
| 1996年、山﨑武司(現・楽天)にもバットを差し出したところ、その年に山崎はホームラン王になった。 |
| 1999年には、ズームイン!!朝!のプロ野球イレコミ情報で、どこの球場で優勝を決めるかと質問されると、「ブルペンが外にある球場で星野監督が胴上げされるのが見える」と予言。 |
| 実際にプルペンが外にある神宮球場で優勝を決めている。 |
| 2009年6月30日の対阪神戦の6回裏、一死満塁で藤井淳志が打席に立った際、ホームランバッターというわけでもなく、さらにそれまでのシーズンで藤井は満塁の場面の打率が7打席1安打と良くなかったにもかかわらず「藤井が颯爽とベースを回る姿が見える」と予言。 |
| そしてその打席、藤井は逆転のプロ初となる満塁本塁打を放った。 |
| 他にも、霊感の強い様は中日スポーツ連載の4コマ漫画おれたちゃドラゴンズ(くらはしかん作)でも度々ネタにされていた。 |
人間関係
| 星野仙一監督に投球などで注意されるとき、殴られたことがあったが、結婚後は「俺は既婚者の奴は殴らないから安心しろ」と言われたという。 |
| 中日に在籍していた与田剛や横浜から移籍して来た谷繁元信は落合よりは1つ年下であるが、何故か両者からは「英ちゃん」と呼ばれタメ口で話されている。 |
| 『サンデードラゴンズ』で落合は「歳の分は実績で加味されている」と冗談交じりに語っていた。 |
| 2007年に中日に入団した堂上直倫とは、父である堂上照が球団寮の寮長ということもあって以前から付き合いがあり、2006年のファン感謝デーで行われた引退セレモニーでは「成し遂げられなかった日本一の夢をここにいる選手・コーチ、それにこのナゴヤドームのどこかで見ている堂上直倫君に託します」とあいさつ、場内をどよめかせたセレモニーの時点では、堂上はドラフト会議で中日が既に交渉権を獲得しており仮契約を済ませた段階であった。 |
| ちなみにその時堂上は愛工大名電の野球部の仲間とともに変装して来場していた。 |
| また、2007年の沖縄キャンプの休日で堂上が報道陣の写真撮影に応じた際、落合からのもらい物と思われる「EIJI26」とネームの入った短パンを履いていた。 |
| その後堂上直倫が入団した2007年に中日は日本一に輝いた。 |
家族
| 妻はフィギュアスケートの元選手で、幼少期の安藤美姫、浅田真央を指導していたこともある。 |
記録
| 初登板:1993年7月28日、横浜戦(ナゴヤ)7-19回より登板、1回無失点。 |
| 初勝利:1993年9月28日、巨人戦(ナゴヤ)10-37回より登板、1回無失点。 |
| 初セーブ:1994年7月2日、横浜戦(横浜)8-2 8回1死より登板。 |
| 初完投:1996年4月24日、ヤクルト戦(神宮)3-0 被安打4 奪三振6 無四球。 |
| オールスターゲーム出場:2回(1999年、2003年)。 |
| 1球勝利投手:1999年7月11日、阪神戦(ナゴヤD)2x-19回1死から登板、今岡を併殺に打ち取る。 |
| 1球敗戦投手:1995年4月27日、阪神戦(甲子園)4-5x10回より登板、グレンに本塁打を喫す。 |
背番号
| 19(1992年-1993年)。 |
| 71(1994年)ただし、1994年のキャンプ初日の写真撮影の際に「12」、キャンプ中は「70」をつけていた。 |
| 「12」から「70」への変更は高橋三千丈コーチの(「12」を付けていた現役時代、終盤は血行障害に苦しみ、縁起が悪いと考えて)、「70」から「71」への変更は高木守道監督の(「70」は投手の番号ではない、というイメージから)意向だという。 |
| 25(1995年)。 |
| 26(1996年-2006年)。 |
| 88(2010年-)。 |
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1969年
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落合 英二(おちあい えいじ)は、栃木県下都... |
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1993年
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初登板:、横浜戦(ナゴヤ)7-1 9回より登板... |
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つながりの強いひと
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岩瀬仁紀
中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(投手)。日本プロ野球における通算セーブ数記録保持者。 |
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与田剛
福岡県北九州市生まれ、千葉県君津市出身の元プロ野球選手(投手)。の登録名は「与田剛士」(読み同じ)。現在はNHK野球解説者、東京中日スポーツ野球評論家... |
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種田仁
大阪府出身のプロ野球選手(内野手)、野球指導者。現在は東北楽天ゴールデンイーグルス一軍内野守備コーチ。愛称は「タネタネ」「アパッチ」「マイケル」。 |
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郭源治
台湾台東市出身の元プロ野球選手(投手)。台湾原住民族アミ族である。日本人女性と国際結婚し、1989年9月日本に帰化。現在の本名は佳久源治。 |
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川上憲伸
徳島県徳島市出身のプロ野球選手(投手)。日本人随一のカットボーラーとして知られている。 |
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福留孝介
クリーブランド・インディアンスに所属するプロ野球選手(外野手)。鹿児島県曽於郡大崎町出身。愛称は「ドメさん」「ドメ」。 |
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山本昌
中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(投手)。東京都大田区生まれ、神奈川県茅ヶ崎市出身。 |
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落合博満
秋田県南秋田郡若美町(現:男鹿市)出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球監督。2004年より中日ドラゴンズ監督。 |
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荒木雅博
中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(内野手)。から中日選手会長、には日本プロ野球選手会副会長に就任。 |
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立浪和義
大阪府摂津市出身の元プロ野球選手(内野手)。現在はフリーの野球解説者、および中日スポーツ、東京中日スポーツの野球評論家。板東英二が社長を務める芸能... |
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宣銅烈
韓国・光州広域市出身の元プロ野球選手(投手)。2010年まで三星ライオンズ監督。韓国史上最高の投手と言われ、出身地近くにある山にちなんで無等山爆撃機(... |
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井端弘和
中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(内野手)。日本プロ野球選手会理事長。 |
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朝倉健太
中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(投手)。 |
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星野仙一
岡山県倉敷市出身のプロ野球選手、プロ野球監督。現役時代のポジションは投手。 |
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森野将彦
中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(内野手)。 |
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井上一樹
鹿児島県出身の元プロ野球選手(外野手)。中日ドラゴンズに所属し、からは選手会長を務めた。を以って現役を引退し、は中日の打撃コーチ、からは中日の二軍... |
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野口茂樹
三重スリーアローズに所属するプロ野球選手(投手)。愛媛県東予市(現:西条市)出身。 |
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遠藤政隆
東京都八王子市出身の元プロ野球選手(投手)。 |
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山井大介
中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(投手)。 |
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宮本慎也
東京ヤクルトスワローズに所属するプロ野球選手(内野手)。元日本プロ野球選手会会長。 |
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落合英二さんについてのひとこと紹介
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