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プロフィール
- 藤村操とは
- 出自と家庭
- 華厳滝の自殺
- 遺書「巌頭之感」
- 自殺の波紋
- 言及の例
- 偽書の登場
- 自殺の原因
- 事件への取り上げ方
- 関連項目
- 関連サイト
藤村操(ふじむらみさお、1886年7月-1903年5月22日)は 北海道出身の旧制一高の学生。華厳の滝で投身自殺した。自殺現場に残した遺書「巌頭之感」によって当時のマスコミ・知識人に波紋を広げた。
出自と家庭
| 祖父の藤村政徳は盛岡藩士であった。 |
| 父の胖(ゆたか、政徳の長子)は明治維新後、北海道に渡り、事業家として成功する。 |
| 操は、1886年(明治19年)に北海道で胖の長男として生まれ、12歳の札幌中学入学直後まで北海道で過ごした。 |
| この間の1899年(明治32年)に胖が死去している胖の死は、自殺とも病死とも言われる。 |
| その後、東京へ移り、京北中学を経て第一高等学校に入学した。 |
| 父の藤村胖は、屯田銀行頭取である。 |
| 弟の藤村朗は、建築家で三菱地所社長となる。 |
| 妹の夫安倍能成は、漱石門下の哲学者。 |
| 学習院院長や文部大臣を歴任した。 |
| 叔父の那珂通世(胖の弟)は、歴史学者である。 |
華厳滝の自殺
| 1903年(明治36年)5月22日、日光の華厳滝において、傍らの木に「巌頭之感」(がんとうのかん)を書き残して自殺。 |
| 厭世観によるエリート学生の死は「立身出世」を美徳としてきた当時の社会に大きな影響を与え、後を追う者が続出した。 |
| 警戒中の警察官に保護され未遂に終わった者が多かったものの、藤村の死後4年間で同所で自殺を図った者は185名にのぼった(内既遂が40名)。 |
| 華厳の滝がいまだに自殺の名所として知られるのは、操の死ゆえである{{Citebook|和書。 |
| 墓所は東京都港区の青山霊園。 |
| 藤村が遺書を記したミズナラの木は、警察により削り取られ伐採されたという。 |
| しかし、それを撮影した写真が現存し、現在でも華厳の滝でお土産として販売されている。 |
遺書「巌頭之感」
| 藤村が遺書として残した「巌頭之感」の全文は以下の通り。 |
| ;巌頭之感。 |
| 悠々たる哉天壤、。 |
| 遼々たる哉古今、。 |
| 五尺の小躯を以て此大をはからむとす、。 |
| ホレーショの哲學竟(つい)に何等のオーソリチィーを價するものぞ、。 |
| 萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」。 |
| 我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。 |
| 既に巌頭に立つに及んで、。 |
| 胸中何等の不安あるなし。 |
| 大いなる悲觀は大いなる樂觀に一致するを。 |
| ホレーショとはシェイクスピア『ハムレット』の登場人物を指すと言われている劇中、ハムレットがホレーショに以下のように語るシーンがある。 |
| "Therearemorethingsinheavenandearth,Horatio.Thanaredreamtofinyourphilosophy.(世界には君の哲学では思いも寄らないことがある)"。 |
| 遺書の5行目と類似したセリフであり、遺書の不可知論的内容と関連づけて説明されることが多い。 |
| 西洋古典学者の逸身喜一郎は、「ホレーショ」はローマ詩人ホラティウスではないかと指摘している。 |
| この場合藤村は、「未来に思い悩まされることなく、一日一日を楽しめ」というホラティウスの快楽主義を批判していることになる。 |
| (逸身喜一郎『ラテン語のはなし』2000年大修館書店ISBN978-4-469-21262-4。 |
| 「終に死を決するに至る」の箇所を「終に死を決す」としている資料が多いが、誤りである。 |
自殺の波紋
| 彼の死は、一高で彼のクラスの英語を担当していた夏目漱石の精神にも大きな打撃を与えた。 |
| 漱石は自殺直前の授業中、藤村に「君の英文学の考え方は間違っている」と叱っていた。 |
| この事件は漱石が後年、うつ病となった一因とも言われる。 |
| また、黒岩涙香、井上哲次郎、坪内逍遥ら当時の知識人の間でも、藤村の死に対する評価を巡って議論が交わされた。 |
| 当時のメディアでも、『萬朝報』の主催者であった黒岩涙香が「藤村操の死に就て」と題した講演筆記朝倉喬司、『自殺の思想』太田出版p.14ISBN4-87233-945-2や叔父那珂道世の痛哭文を載せ、『近時画報』が「巌頭の感」の写真版を載せたのを始め、雑誌も多くこの事件を取り挙げた。 |
言及の例
| 夏目漱石『吾輩は猫である』十より。 |
| 打ちゃって置くと巌頭の吟でも書いて華厳滝から飛び込むかも知れない。 |
| 余の視るところにては、かの青年は美の一字のために、捨つべからざる命を捨てたるものと思う。 |
| 朝倉喬司、『自殺の思想』p.44の引用より。 |
| 「趣味の何物たるをも心得ぬ下司下郎の、わがが卑しき心根に比較して他を賤しむに至っては許しがたい」「ただその死を促すの動機に至っては解しがたい。 |
| 去れども死その物の壮烈をだに体し得ざるものが、如何にして藤村子の所業を嗤い得べき。 |
| かれらは壮烈の最後を遂ぐるの情趣を味い得ざるが故に、たとい正当の事情のもとにも、到底壮烈の最後を遂げ得べからざる制限ある点において藤村子よりは人格として劣等であるから、嗤う権利がない者と余は主張する。 |
| 」同p.45の引用より。 |
偽書の登場
| 1907年『煩悶記』也奈義書房出版、岩本無縫篇。 |
| 内容は藤村操が実は生き延びて書いたとする偽書。 |
| 出版直後に発売禁止処分になる。 |
| 藤村は自殺未遂後、下山し、海賊船で世界を巡り、パリで悟りを開く。 |
| それを原稿にまとめて知人に託したものをまとめたものとする。 |
| 「予は迷ひ初めたり。 |
| 予は疑ひ初めたり。 |
| 予は泣きたり、煩悶したり」と始まる。 |
| 内容は社会主義や無政府主義の強い影響を受けており、発禁処分もそのためとも言われる。 |
| 現在、3冊しか存在が確認されていない希少本であり、神田古本まつりに出展された際には、147万円の高値がついたことがある。 |
| そのうちの一冊は、野間光辰が所有していたことが判明し、また別の一冊を谷沢永一が所有しており、その全文が『遊星群時代を語る好書録明治篇』谷沢永一『遊星群時代を語る好書録明治篇』2005年、和泉書院、ISBN978-4757602878に掲載されている |
自殺の原因
| 自殺直後は、遺書「巌頭之感」の影響もあって、藤村は哲学的な悩みによって自殺をしたものと推測された。 |
| 今日でもこのように考える者は多い。 |
| しかし、自殺の前に藤村が失恋していたことが明らかになり『滑稽新聞』(宮武外骨)、これを自殺の原因と考える者もいる。 |
| 恋慕の相手は、菊池大麓の長女多美子である。 |
| なお、藤村の自殺の年に多美子は美濃部達吉と結婚した。 |
| また、自殺ではなく自決だとの考えもあり、自らの命を軽んずる自殺とは違い、恥の文化による武士道精神に則った行動との解釈も存在する。 |
| 事実、藤村の死は日露戦争を前に、巨大な西洋文明に対峙し、足下をゆるがされていた多くの知識人を大いに勇気づけた。 |
事件への取り上げ方
| 藤村の学力については、基本的なレベルにおける英文読解力が欠如していたとの指摘がある柴田耕太郎『英文翻訳テクニック』筑摩書房。 |
関連項目
| 藤山一郎-藤村操にちなんで芸名をつけた。 |
| 岩波茂雄-岩波書店創業者。 |
| 一高では藤村操の一学年先輩で、藤村の自殺に強い影響を受けたと言われる。 |
| 尾崎放哉-一高時代の同級生。 |
| 漫画『GTO』-単行本の17巻にて最も印象的とされる場面に「巌頭之感」の一節が用いられた。 |
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