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プロフィール
- 西尾幹二とは
- 生い立ち
- 論壇・文壇への登場
- ニーチェの研究家
- 政治的論客として
- つくる会での活動
- 最近の自民党政治への評価
- 皇室に関する発言
- その他の主張
- 著書
- 翻訳
- 共著
- 共編著
- 関連サイト
西尾幹二(にしおかんじ、1935年7月20日-)は、日本のドイツ文学者、思想家、評論家。学位は文学博士(東京大学)。電気通信大学名誉教授。
生い立ち
| 少年時代は文学少年であり、詩人を目指していたという。 |
| 終戦を疎開先の茨城県東茨城郡で迎える。 |
| 終戦の際、10歳だった西尾は得体の知れない不安感・虚脱感にさいなまれ、また疎開先の村落での大人たちの奇妙な集団行動を目の当たりにしたと自著『国民の歴史』『わたしの昭和史』で語っている。 |
| 東京都立小石川高等学校を経て、1958年東京大学文学部独文科卒。 |
| 1961年同大学院修士課程を修了。 |
| 東京大学文学部の同期には大江健三郎がおり(大江はフランス文学科)またドイツ文学科の同期生には小堀桂一郎、同じくドイツ文学科の一年後輩に古井由吉がいる。 |
| 東京大学での研究指導教官は手塚富雄であった。 |
論壇・文壇への登場
| 1965年-1967年ミュンヘン大学研究員として西ドイツに留学。 |
| この際の経験をもとに執筆した論考が論壇に注目され、論考集が処女作『ヨーロッパ像の転換』になった。 |
| この処女作では、ヨーロッパに伝統的に根ざす怜悧な個人主義、また現状におけるヨーロッパの文明的行き詰まり等が冷静かつ多面的な視点から描かれており、そののちに展開される西尾のヨーロッパ論の先駆け的な内容をなしている。 |
| また文芸評論家として文壇にもデビュー、小林秀雄論をはじめ様々な文学論を発表した。 |
| 三島由紀夫の自死に関して、その文学の本質を鋭く抉った三島論(「不自由への情熱」、雑誌「新潮」に掲載)も文壇デビューまもない時期の執筆作品である。 |
| 後述のように生前の三島と西尾は交友があった。 |
| また小林秀雄と会った際に西尾は、ブルクハルトについて小林と議論している。 |
ニーチェの研究家
| アカデミズムの世界にはニーチェの研究と翻訳で登場する。 |
| 『悲劇の誕生』、『偶像の黄昏』、『アンチ・クリスト』、『この人を見よ』などのニーチェの書の翻訳、また『ニーチェとの対話』をはじめとする様々なニーチェ論を発表する。 |
| ニーチェ以外のドイツ哲学者についての仕事は中央公論社の「世界の名著」シリーズのアルトゥル・ショーペンハウアー篇の『意志と表象としての世界』の翻訳、および翻訳に寄せたショーペンハウアー論「ショーペンハウアーの思想と人間像」)などがある。 |
| 電気通信大学助教授を経て1975年に同大学教授。 |
| 1979年、「初期のニーチェ」により東京大学より文学博士を授与される。 |
政治的論客として
| 以上のような論壇・文壇・アカデミズムでの活動とパラレルな形での政治的言論活動を1970年代後半以降、旺盛に展開する。 |
| 冷戦の中のソ連を訪問、ソ連の文学官僚と様々な議論を行い(『ソ連知識人との対話』所収)また冷戦崩壊後には、精神的荒廃に直面している東欧を訪れ東欧各国の知識人と、自由その他の思想的テーマをめぐり対話・論争を展開した(『全体主義の呪い』所収)国内的には外国人労働者受け入れ問題での受け入れ懐疑派としての主張、また中教審委員としての教育問題へのかかわり(『教育と自由』所収)などでメディアに広く知られるようになった。 |
| 後者の教育問題へのかかわりは、のちの新しい歴史教科書をつくる会運動に結びついていくものである。 |
| 政治図式的には保守派論客として取り上げられることが多いが、党派的な保守主義やナショナリズムに対しては警戒心を絶えずもっており、『保守の怒り』などの近著において「カルト系右翼」や「神社右翼」など硬直化した保守派やナショナリストに対し、厳しい批判を加えている。 |
| 一例として、台湾独立運動について保守派の多数が唱えている一面的な台湾賛美とは一線を画す議論を展開している。 |
| 「台湾も所詮は中国と同根の反日集団の面をもっており、かならずしも擁護に値しない」と雑誌『正論』などで主張し、親台湾派の金美齢や小林よしのりらから非難された。 |
| 特に小林は、「まるで、後ろから斬りつけるような卑怯な姿勢だ」と西尾を強く非難した。 |
| ところが小林はその後まもなくして、小林の著作『台湾論』を台湾内の反日勢力に問題にされ、台湾政府に一時的に入国禁止にされてしまい、皮肉にも西尾の主張の正しさが小林自身の台湾とのかかわりによって証明されてしまう形になった。 |
| しかし協調・賛同できる面では共同行動している。 |
| 2007年には南京大虐殺虚構論を唱える映画「南京の真実」に西部邁たち多くの右派・保守系知識人と共に賛同、西尾は製作記者会見に出席し、東京裁判の不当性を訴えた。 |
| これはNHK批判や人権擁護法批判に関しても同様である。 |
| 政党政治では一党優位政党制を政治原理的に支持しているが、「保守政党が永続的に政権を握り続けられるような制度を法的に整備する」事を前提としており、ヘゲモニー政党制支持に近い主張のようである。 |
つくる会での活動
| 新しい歴史教科書をつくる会の設立人の一人であった。 |
| 1996年8月、西尾と藤岡信勝が出会い、各界有志に呼びかけを行ったことで、「つくる会」が発足した。 |
| 翌1997年1月30日、「つくる会」の初代会長に就任2001年に会長の座を田中英道に譲り、名誉会長となった。 |
| だが2006年1月17日に、「若い人と話が通じなくなった」という言葉を残し「つくる会」を離脱する。 |
| だが、会を離脱していながら西尾を慕う関係者を通じ依然として会に影響力を有しているともされている。 |
最近の自民党政治への評価
| 小泉内閣に関しては、政権中期までは好意的で、2003年9月に小泉が自民党総裁に再選された際には、北朝鮮に対する融和姿勢への懸念を除けば高く評価していた。 |
| 1990年代の自民党の左傾化に終止符を打ち派閥政治の象徴だった竹下派支配と派閥順送り人事を小泉が徹底的に破壊しつくし、その直後に安倍晋三を幹事長に据え自身の後継候補として育て上げたと礼賛している。 |
| 西尾の小泉への評価は第二次訪朝あたりから批判的なものに転じる。 |
| 同政権の対北朝鮮・対アメリカ外交、郵政民営化をはじめとする規制緩和路線などを徹底的に批判し(月刊誌『Voice』2005年10月号では「狂人宰相」とまで呼んでいる)している。 |
| 郵政民営化路線も批判し、同年の総選挙では城内実、衛藤晟一、古屋圭司などの造反議員の応援演説までしている。 |
| 父親が旧鉄道省官僚だったことに加え、かつて旧郵政省の関係団体である財団法人「逓信協会」の機関誌『逓信協会雑誌』に、長年にわたり評論文などを寄稿し、また編集長を務めた池田俊二と、共著「自由と宿命」(洋泉社新書y、2001年)を出していることも遠因とされる。 |
| なお城内の父で、警察庁長官を務めた城内康光とは同期の友人でもある。 |
| 小泉批判に関しては自身も反論を受けた(→小泉訪朝における空白の10分間事件を参照)。 |
| これについて本人は「小泉政権の陰謀」だと再批判している。 |
| また、その際には小泉を野中広務や加藤紘一と同一視し、批判に拍車をかけた。 |
| 郵政解散以降は、小泉が2001年の自民党総裁選の公約通り2006年の終戦の日に靖国神社を参拝した際にも、小泉を痛罵しているほどである。 |
| また麻生太郎についても辛辣であり、「安倍晋三以下、バカ太郎」と名付けている日本文化チャンネル桜日本よ、今...闘論!倒論!討論!2009平成21年6月26日。 |
| 安倍、麻生の両元首相については、共に首相就任前は村山談話や河野談話を批判していながら、首相就任後にあっさり踏襲したことを特に厳しく非難する。 |
皇室に関する発言
| 皇室の現状を非常に憂慮しており、皇太子徳仁親王に対して月刊誌『WiLL』2008年5月号から「皇太子さまに敢えて御忠言申し上げます」と題して連続的に執筆をおこなった。 |
| これらの論考は実質的に皇太子妃雅子についての問題を扱ったものであった。 |
| 「雅子妃は健康であり、公務を欠席しているのは仮病である」と『WiLL』(「皇太子さまに敢えて御忠言申し上げます」)で主張、さらにこの雅子妃の問題は、皇室の日本的伝統に、安易に欧米的価値観を侵入させてしまうことの是非の問題でもあるとも論じた。 |
| これら一連の論考以外に、「朝まで生テレビ!」(2008年8月30日)「たかじんのそこまで言って委員会」(2008年8月17日)などのテレビメディアでも繰り返し同様の主張を展開した。 |
| 西尾のこの雅子妃への指摘は、以前から雅子妃の行動に疑問や不透明を感じつつもなかなか発言できなかった保守派論壇に大きな波紋を投げかけることになった。 |
| 賛成の見解も多かったが、『WiLL』(久保紘之など)や『正論』で批判の論考が掲載され、(教科書運動で共同活動した)日本会議らの保守運動とも袂を分った。 |
| 皇室論では、今上天皇同級生の橋本明と対談したりもしている。 |
| なお女系天皇の是非の問題に関しては、男系天皇論を一貫して強力に主張している。 |
| なお『WiLL』2008年8月号で「これが最後の皇太子さまへの御忠言」にて、会田雄次が1968年に語った「いまの皇太子(今上天皇)は、あんな不自由な寒くてしょうがないところはいやだといって、都ホテルへ泊まられるのですよ。 |
| この点は、訓練の相違もあるんでしょう。 |
| これは大きな問題だと思うのです」を引用しているが、宮内庁報道室から当時の資料からそのような事実はないとの注意を受け、誌上での訂正を求められ、著書(84ページ)でその旨を記している。 |
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その他の主張
| 留学経験も有したドイツ文学者として、ドイツの文化に造詣がきわめて深く、ドイツ社会の現状や言論事情などにも精通しているが、ドイツに対してはそうした豊富な知識・分析をふまえた上での批判的な発言が多い。 |
| 『異なる悲劇・日本とドイツ』(文藝春秋)をはじめとする著作や寄稿において、ナチス・ドイツを批判することとあわせて、「戦後ドイツが戦後日本よりも大戦を反省している」と言った戦後ドイツの政治的狡猾さを手厳しく批判している。 |
| このことに関して「想像を絶するジェノサイド国家だったナチス・ドイツと、通常の戦争遂行国家であった日本を同一の次元で論じることがそもそも間違いであること」「戦後ドイツ人は、ナチスという団体をドイツ人が選んだことの反省を表明しているだけであって、実は自分たち自身の反省を表明しているのではないこと」などの指摘をしている。 |
| 1995年に起きたマルコポーロ事件においても「ナチスのすさまじい極悪さを少しも理解していない」と言う理由で、旧知の間柄である文藝春秋を批判した。 |
| (『宝島30』1995年4月号)ただし、その一方で、「ホロコースト」の事実関係については、「日本人には、ガス室の有無は検証できない」とする言わば不可知論の立場を表明し、ガス室については、議論を棚上げする姿勢を取っている。 |
| 慰安婦問題に対しては「性奴隷説」に異議を唱える立場であり、2007年7月13日に米国大使館に手渡された米下院121号決議全面撤回を求める日本文化チャンネル桜主導の抗議書 |
| 現代中国に対しては一貫して批判的立場をとっており、とりわけ2010年に起きた中国漁船の尖閣諸島近海での日本領海侵犯事件後、『尖閣戦争・米中挟み撃ちにあった日本』(青木直人との共著)などで中国の対日侵略計画に注意すべきとする主張を強くしている。 |
| アメリカの覇権に対しても批判的であり、米中両国の世界戦略の狭間で日本が独立的な政治路線を採れていない現状に対して警鐘を鳴らしている。 |
| アメリカに関しては、GHQが終戦後の日本占領に際して、緻密かつ広範囲に当時の日本の文献を焚書していたという言論統制の事実を暴露している『GHQ焚書図書開封』で刊行中)。 |
| かつて江藤淳が1980年代から度々問題提起した、占領下にGHQなどによる「閉ざされた言語空間」の歴史問題に、大きく具体的な形で踏み込んだ形であり、またこうしたアメリカの歴史的実態を解明することで、西尾の反米主義が、単なるスローガンに過ぎない西部邁や小林よしのりの反米主義と違った、厚みのある「反」であることを示している。 |
| 核武装の積極的推進論者である。 |
| 一方原子力発電に対しては、かつては肯定派的立場であったが、福島原発事故を受けて、段階的に縮小し最終的には全廃するという否定論立場に転じた。 |
| 原発推進を事故後も唱える保守派言論界を「思慮の欠如、ないし思考の空想性を覚えるだけでなく、ある種の「怪しさ」や「まがまがしさ」を感じている」と批判する一方、以前より原発反対を主張していた広瀬隆などを高く評価している。 |
| 生前の三島由紀夫は、西尾の才覚に早くから注目し高く評価していた。 |
| 西尾の処女作である『ヨーロッパ像の転換』について「この書は日本人によってはじめて書かれた「ペルシア人の手紙」である」と帯文で絶賛している。 |
| 交友期間は三島の自決事件により短期間で終わったが、三島の親友であった澁澤龍彦は、三島の死後さまざまな論者によって書かれた三島論の中で、本質を把握した三島への考察は西尾の三島論だけであったと評し、この澁澤の評価がきっかけで西尾と澁澤の間にも、澁澤の死に至るまでの交友が続いた。 |
| 一方、三島について、侮蔑に近い軽視を三島事件前後に言っていた江藤淳に対しては、西尾は相当な違和感を江藤の死に至るまでもっていたと『三島由紀夫の死と私』で表明している。 |
| 江戸時代の日本の思想哲学について、世界的にみてたいへん優れたものであったとしている(『江戸のダイナミズム』)とりわけ荻生徂徠の古文辞学に思想的先進性を認めている。 |
| 自身のブログの執筆にも力を入れており、またインターネットで秀逸な論考を発見すると自身のブログで紹介することもある。 |
| 21世紀は現実的出版とインターネット世界の相互協力、棲み分けの時代になると近著『西尾幹二のブログ論壇』で主張している。 |
著書
| ヨーロッパ像の転換 新潮選書,1969。 |
| ヨーロッパの個人主義-人は自由という思想に耐えられるか講談社現代新書,1969。 |
| 「個人主義とは何か」に改題加筆され、PHP新書,2007。 |
| 悲劇人の姿勢新潮社,1971。 |
| <ちくま学芸文庫>筑摩書房.全2巻、2001年4月・5月-初版書評を巻末解説とした。 |
| ソ連知識人との対話文藝春秋, 1979、中公文庫,1986。 |
| 戦略的「鎖国」論 講談社,1988、講談社文庫,1992。 |
| 「日本はナチスと同罪か」に改題され、ワックブックス, 2005 ISBN4898315399。 |
翻訳
| 『悲劇の誕生』 ニーチェ、中央公論社:「世界の名著46」(第1回配本)、初版1966/新版:中公クラシックス、2004 。 |
| 『意志と表象としての世界』 ショーペンハウエル、中央公論社:「続世界の名著10」、初版1975/新版:中公クラシックスⅠ・Ⅱ・Ⅲ、2004。 |
| 『ブルクハルト歴史の中に立つ人間』 カール・レーヴィット、瀧内槙雄共訳 TBSブリタニカ 1977/ちくま学芸文庫 1994、※第一部「ブルクハルトとニーチェ」を担当。 |
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1935年
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井尻千男(いじりかずお、1938年8月2日-)は日本の保守派評論家、コラムニスト。拓殖大学名誉教授。 |
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西尾幹二さんについてのひとこと紹介
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