| 1973年-テレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』を企画。 |
| 1974年-オフィス・アカデミーで『宇宙戦艦ヤマト』を製作。 |
| 1979年-アカデミー製作で『宇宙戦艦ヤマト新たなる旅立ち』を製作。 |
| 1984年-10月12日付『報知新聞』で「ヤマト復活3ヵ年計画」を発表。 |
| その内容は、1985年『デスラーズ・ウォー』、1986年『戦艦スターシャ』、1987年『宇宙戦艦ヤマト誕生編』を公開するというもの。 |
| 1994年-2月、バンダイビジュアルよりビデオ『宇宙戦艦ヤマト胎動篇-ヤマト!!わが心の不滅の艦』発売。 |
| 映画『宇宙戦艦ヤマト復活編』とOVA『YAMATO2520』のメイキングプロモーション。 |
| 1995年-2月『YAMATO2520』のVol.1を発売開始。 |
| 1996年8月発売のVol.3を最後に未完に終わる。 |
| 1996年-『海のトリトン』『ワンサくん』『宇宙戦艦ヤマト』『宇宙空母ブルーノア』などの著作権などを対象とする譲渡契約を東北新社と締結。 |
| 1997年-『宇宙戦艦ヤマト』などの商標権を長男に移転登録。 |
| 1998年-『宇宙戦艦ヤマト』などの著作権などにつき東北新社と西崎・ウエストケープコーポレーションの破産管財人が譲渡契約の履行を選択する。 |
| 『宇宙戦艦ヤマト』などの商標権移転につき、破産管財人が抹消を求めて提訴。 |
| 東北新社の許諾によりバンダイおよびバンダイビジュアルが製作したプレイステーション用ソフト『宇宙戦艦ヤマト遙かなる星イスカンダル』および『さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち』の複製・譲渡・貸与の禁止および損害賠償を求めて、西崎が東北新社、バンダイ、バンダイビジュアルを提訴。 |
| 『宇宙戦艦ヤマト』などの著作物の著作者が、松本零士であることの確認を求めて、松本が西崎を提訴。 |
| 『宇宙戦艦ヤマト』の著作権などにつき東北新社と西崎・ウエストケープコーポレーションの破産管財人の間で譲渡代金の支払の司法和解が成立。 |
| 著作権者は東北新社であることが確定。 |
| 『宇宙戦艦ヤマト』などの商標権移転取消請求事件に東北新社が参加。 |
| 『宇宙戦艦ヤマト』などの著作物の著作者が、西崎であることの確認を求めて、西崎が松本零士に反訴。 |
| 『宇宙戦艦ヤマト』などの商標権移転登録抹消の判決。 |
| プレイステーション用ソフト『宇宙戦艦ヤマト遙かなる星イスカンダル』および『さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち』の複製・譲渡・貸与の禁止および損害賠償の請求を棄却する判決。 |
| 西崎はこれを不服として控訴。 |
| 『宇宙戦艦ヤマト』などの著作物の著作者人格権は西崎である旨の判決。 |
| 松本零士は控訴。 |
| 『宇宙戦艦ヤマト』などの著作物は西崎と松本零士の共同著作物であるが、松本はスタッフに過ぎず著作者人格権は西崎であり筆頭著作者とする法廷外和解が成立した。 |
| これにより松本は『宇宙戦艦ヤマト』の漫画本(これはアニメの2次的著作物)の権利以外の主張は全くできなくなった。 |
| 両者は互いに新著作物『宇宙戦艦ヤマト復活編(仮題)』『大銀河シリーズ大ヤマト編(仮題)』の制作を認め、控訴・反控訴を取り下げる。 |
| しかし、松本の製作する新著作物においては、似て類なる作品は西崎の許可が必要とされ、西崎は『大銀河シリーズ大ヤマト編(仮題)』を許諾しなかった。 |
| 著作権者である東北新社が同和解に関し見解を発表。 |
| 「新作を製作する権利は東北新社が所有しており、同和解に含まれる新著作物『宇宙戦艦ヤマト復活編(仮題)』『大銀河シリーズ大ヤマト編(仮題)』につき東北新社は何ら許諾していない」としているが、西崎と東北新社間の『宇宙戦艦ヤマト』の著作権譲渡契約において、新作・続編を製作する権利は西崎に留保されており、同社の権利主張は事実を誤認させている。 |
| 西崎没後は、養子である西崎彰司が新作・続編を製作する翻案権を含む製作権および2次的著作物の商品化権、新作映像の監修権を引き継いでいる。 |
| 西崎と東北新社、バンダイ、バンダイビジュアルの間の控訴審で和解が成立。 |
| 3社は西崎に対し「『宇宙戦艦ヤマト』の原作者である旨を公表しても異議を唱えない」ことを認めた。 |
| 『新宇宙戦艦ヤマト復活編』の製作が養子である株式会社エナジオ社長の西崎彰司より発表される。 |
| 2007年-12月20日、総監修した「宇宙戦艦ヤマトデスラー総統ワインセット」と「宇宙戦艦ヤマトバイクヘルメット」の販売を発表して活動を再開する「 |
| 2月22日に発売される『宇宙戦艦ヤマト』DVD-BOXに特典の監修を担当。 |
| これに伴う形で、2月発売の『週刊プレイボーイ』(2月25日号NO.8)と『オトナファミ』の「2008Apri」で庵野秀明との対談記事により出所後初めてマスメディアに登場した。 |
| 7月31日に東京都練馬区にアニメスタジオ「ヤマト・スタジオ」を開き、2009年公開のアニメ映画『宇宙戦艦ヤマト復活編』の製作を発表。 |
| 2009年-12月12日、初監督作品となる劇場用アニメーション映画『宇宙戦艦ヤマト復活篇』を公開。 |