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プロフィール
- 西村徳文とは
- 幼少期
- 中学・高校時代
- 国鉄時代
- コーチ時代
- 監督就任後
- 打撃
- 走塁
- 人物・エピソード
- 年度別打撃成績
- 年度別監督成績
- タイトル
- 表彰
- 記録
- 背番号
- 著書
- 関連項目
- 関連サイト
西村徳文(にしむらのりふみ、1960年1月9日-)は、宮崎県串間市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。から、千葉ロッテマリーンズの監督を務める。愛称は「走る将軍」。
幼少期
| 1960年に宮崎県で生まれる。 |
| 幼少期は地元の方言で「おちゃかろ」と言われるほどの悪戯好きな子供だった週刊ベースボール、1990年6月11日号、P.30。 |
| 串間市立有明小学校には野球部が存在しなかったため、兄とキャッチボールで遊び、串間市立福島中学校に進学してから本格的に野球を始めている。 |
| 中学まではそれほど俊足ではなかったが、走り幅跳びでは裸足で6m以上跳んだ週刊ベースボール、1990年6月11日号、P.31。 |
中学・高校時代
| 中学生から野球の練習に励み、1974年には主将を務めて当時完成間もない宮崎市営球場で行われた宮崎県大会で優勝している。 |
| 宮崎県立福島高等学校進学後は1年生からベンチ入りし、走力などを高く評価されていた週刊ベースボール、1990年6月11日号、P.32。 |
| しかし、厳しい練習やオートバイへの憧れから1年生の秋には一時退部もしている。 |
| 1976年の夏には第58回全国高等学校野球選手権大会に1番・二塁手として出場したが、初戦で新潟県立高田商業高等学校に敗れ、自身も無安打だった。 |
国鉄時代
| 高校卒業後は安定した就職先として日本国有鉄道に入社し、鹿児島鉄道管理局野球部で野球を続けた。 |
| 業務と野球の両立に悩んでいたが、入社3年目の1980年にスカウトが視察に来るとプロ入りを目指す。 |
| 1981年のドラフト会議において、ロッテオリオンズ・ヤクルトスワローズ・南海ホークスからそれぞれ5位指名を受け、ロッテオリオンズへ入団した(串間市出身のプロ野球選手は水谷実雄に続き2人目)。 |
コーチ時代
| 人望に優れて選手の信頼も厚く、より監督に就任することが発表された生え抜き選手の監督就任は八木沢荘六以来16年ぶりとなった。 |
| 背番号はコーチ時代と同じ78となり、年俸5,000万円(推定)で2年契約を結んでいる読売新聞、2009年10月9日付朝刊、P.15。 |
監督就任後
| 就任1年目となるは、チームスローガンとして「和」を掲げた。 |
| 順位予想でロッテを最下位とみなす声が多い中で朝日新聞、2010年4月16日付朝刊、千葉地方面開幕戦を勝利で飾り、開幕から1ヶ月を経過しないうちに貯金を10に乗せる。 |
| 後半戦に入ると選手の疲労や離脱などで7連敗を喫し、8月4日には審判への抗議で自身初の退場処分も受けた。 |
| しかし、主力選手と個人面談を行なった翌日から3連勝し、結果的にこの一日が節目となって読売新聞、2010年11月16日付朝刊、P.26シーズン最終戦に勝利して3位を確保し、3年ぶりのクライマックスシリーズ出場を決める。 |
| クライマックスシリーズでは第1ステージ(対埼玉西武ライオンズ戦)、第2ステージ(対福岡ソフトバンクホークス戦)ともに全試合が相手主催試合ながら勝ち抜き、日本プロ野球史上初となる、レギュラーシーズン3位から日本シリーズ出場権を勝ち取った朝日新聞編集委員の西村欣也はスポーツ面のコラム「EYE」(11月9日付)で、「レギュラーシーズン1位のチームがリーグ優勝者となる現在の度はおかしいのではないか。 |
| CSを勝ち抜いたロッテこそ真のリーグ優勝チームだ」と述べている。 |
| 同年の日本シリーズ(対中日ドラゴンズ戦)も4勝2敗1分で、チームを5年ぶり4度目の日本一に導いた。 |
| 監督就任1年目の日本一達成は史上9人目前回は、に埼玉西武ライオンズの渡辺久信が達成している。 |
| 、ロッテでは湯浅禎夫(毎日オリオンズ)以来60年ぶりの快挙となった。 |
| 傑出した選手が少なく故障者も多い中でチームを束ね、史上初めてレギュラーシーズン3位から日本一を達成した業績が評価され読売新聞、2010年11月16日付朝刊、P.26、11月15日に正力松太郎賞を受賞した。 |
| 11月25日、新設された串間市民栄誉賞を受賞した。 |
打撃
| プロ入り後のスイッチヒッター転向時には、朝起きると指が痛くて開かないほどの素振りや打撃練習を重ねて左打ちを習得した。 |
| 利き腕である右の方が腕力が強いため、左打ちで下からバットが出てフライが出やすく、これを防ぐために右手と左手を約2cm離してバットを押し出すなどの工夫を重ねている。 |
| こうした努力もあって、左打席に入ることで内野安打を増やし、プロで通用する打撃を確立した。 |
| なお右と左では好不調に差があり、どちらも好調を維持したのはの2年ぐらいだったという。 |
| また、毎年のキャンプ入り直後は左打ちが上手く行えず、両打ちを維持するためには人一倍の練習が要求された。 |
走塁
| 4年連続の盗塁王や通算363盗塁を記録するなど、特に盗塁に関してプロ野球史上有数の記録を残した。 |
| 本人が盗塁で最重要視したのはスタートで、平行にした右足を少し後に下げてつま先をやや開いた状態から、低重心で左足を右足に交錯させて一気にトップスピードに上げていた週刊ベースボール、1988年12月26日号、P.36。 |
| この際に交錯が大きすぎるとバランスが崩れ、小さすぎると加速が不十分だったという。 |
| 技術に関しては球団から渡されたビデオテープを基に独学し、盗塁王を獲得してからは盗塁の判断を基本的に任されていた。 |
| 投手の牽制球や捕手の配球についても研究し、リードを広げて変化球の時に盗塁することを目指した。 |
| なお、スタートを失敗した際でも帰塁できるようになったことで、盗塁数が大きく増加している。 |
| スパイクシューズについては、頃まで「こだわりがない」とコメントしていたが、チーム契約と異なる用具メーカーの製品を使用して、1986年から改良を重ねてきた。 |
| そして、1989年からは当時の平均(260g)よりもかなり軽い200gのものを使用し、刃は16mmのものに加えて、軟らかいグラウンド用に19mmの長い刃も用意していた。 |
人物・エピソード
| 家族は妻と2女で、妻は元ミス鹿児島「ガンバレ日本プロ野球!?」(JSPORTS)2010年シーズン・第3回にも選ばれた。 |
| 焼酎を好み、QVCマリンフィールドの監督室にはブランド焼酎のボトルが数多く並んでいるという。 |
| 愛称の「走る将軍」は、水戸黄門で水戸光圀を演じていた西村晃と同姓だったことに由来する。 |
| 西村のレギュラーを奪取した諸積兼司や、同郷の黒木知宏には特に慕われる。 |
| 現役時代は数々のタイトルを獲得しており、当時を代表する名選手であったが、当時のパ・リーグは人気低迷期で成績も芳しくなかったために知名度が低く、その影の薄さが漫画のネタにもなった。 |
| 木梨憲武に似てることや自身の名前と相まって、流行していた仮面ノリダーという愛称がついていた。 |
| のオープン戦から、ロッテが勝利すると現役時代の応援歌に合わせてファンが外野席で「西村ダンス」を行なっている。 |
| 現役時代の歌詞を変えたもので、QVCマリンフィールドではスピーカーから音も流れる。 |
| 開幕以降は新しく歌詞が付いた。 |
タイトル
| 首位打者:1回(1990年)。 |
| 最多盗塁:4回(1986年-1989年)。 |
表彰
| ベストナイン:2回(1985年、1990年)。 |
| ゴールデングラブ賞:2回(1985年、1990年)。 |
| 串間市民栄誉賞(2010年 制定第1号)。 |
| 正力松太郎賞(2010年)。 |
記録
| 初出場:1982年9月14日、対阪急ブレーブス戦、9回に代走で初出場。 |
| 初安打・初打点・初盗塁・初本塁打:不明。 |
| オールスターゲーム出場:5回(1985年、1987年、1988年、1990年、1993年)。 |
| 通算1000試合出場:1991年8月18日(史上296人目)。 |
背番号
| 32(1982年-1986年)。 |
| 3(1987年-1997年)。 |
| 78(1998年-)。 |
著書
| 『和-信じぬく力』(潮出版社:2011年3月)-ISBN978-4267018688。 |
| 『和のちから』(ダイヤモンド社:2011年3月)-ISBN978-4478015322。 |
関連項目
| 宮崎県出身の人物一覧。 |
| 千葉ロッテマリーンズの選手一覧。 |
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1960年
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宮崎県で生まれる西村 徳文(にしむら のりふ... |
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1974年
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主将を務めて当時完成間もない宮崎市営球場で... |
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投票数
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つながりの強いひと
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高橋慶彦
日本の元プロ野球選手(内野手)である。現在は千葉ロッテマリーンズ二軍監督。 |
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井口資仁
千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(内野手)。 |
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落合博満
秋田県南秋田郡若美町(現:男鹿市)出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球監督。2004年より中日ドラゴンズ監督。 |
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渡辺俊介
千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(投手)。世界一低いと言われるアンダースローが特徴で、通称は「ミスターサブマリン」。 |
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成瀬善久
千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(投手)。 |
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野村謙二郎
大分県佐伯市出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球監督。から広島東洋カープ監督である。愛称は「ノムケン」。 |
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ボビー・バレンタイン
アメリカ合衆国コネティカット州出身の元プロ野球選手、監督。日本プロ野球では千葉ロッテマリーンズの監督を2期・7年に渡って務めた。千葉大学・千葉商科大... |
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里崎智也
千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(捕手)。 |
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今江敏晃
千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(内野手)。 |
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渡辺久信
群馬県出身の元プロ野球選手(投手)。より埼玉西武ライオンズ監督。愛称は「ナベ」、「ナベQ」。 |
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西岡剛
西岡剛のブログやプロフィールなど、西岡剛のいろいろな情報を掲載しています。 また、西岡剛のみんなの評価や関連記事もあり、西岡剛についてのみんなからの... |
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秋山幸二
熊本県八代郡宮原町(現:氷川町)出身の元プロ野球選手(外野手)、プロ野球監督、野球解説者。現役時代は鉄人と呼ばれた。シーズンからは、福岡ソフトバン... |
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西村新
税理士タウン 税理士一覧 西村新(ニシムラ アラタ) プロフィール 〔履歴〕 生れた年 昭和27年 最終学歴 明治大学経営学部 卒 ... |
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江川卓
福島県いわき市出身の元プロ野球選手、野球解説者。 |
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与田剛
福岡県北九州市生まれ、千葉県君津市出身の元プロ野球選手(投手)。の登録名は「与田剛士」(読み同じ)。現在はNHK野球解説者、東京中日スポーツ野球評論家... |
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金泰均
千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(内野手)。 |
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宮崎県都城市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。現在は千葉ロッテマリーンズ一軍ブルペンコーチ。 |
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石川県金沢市出身の元プロ野球選手(外野手、捕手)・指導者・野球解説者。1985年から1992年の登録名は「金森永時」(読み同じ)。学生時代「鈍臭い亀」とい... |
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小林宏之
日本航空が運航した全ての国際路線と主な国内線。 総飛行時間は地球800周に相当する18500時間。 その他、首相特別便機長、湾岸危機時の邦人救出機機長など。 ... |
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今岡誠
千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(内野手)。兵庫県宝塚市出身。愛称は「ゼブラくん」、「誠の救世主」、「フクちゃん」など。夫人はネイリスト... |
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西村徳文さんについてのひとこと紹介
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