| 大阪学芸大学付属天王寺中学校(現大阪教育大学附属天王寺中学校)、大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎を経て一浪後京都大学に入学。 |
| 大学には八年在学した西村眞悟著『真悟の憂国』241頁に「なにしろ、父親が亡くなったうえは、奮起して生活路線を築くというのが大学卒業を控えた息子の通常の姿ではないか。 |
| しかし、僕はその反対をころがりはじめた。 |
| 大学は卒業するどころか、八年も在学してしまった。 |
| 裏表といえば聞こえはいいが、僕の場合は裏裏だった。 |
| 八年で大学を放り出されるのが判っていても、将来の進路が定まらない。 |
| それでおふくろは、あるとき、突然僕にこう言った“明日、職安へいけ”と…」とある。 |
| -京都大学法学部卒業。 |
| -神戸市職員になる。 |
| -司法試験合格。 |
| 37期司法修習生となる(なお、この時の同期に同じく弁護士を経て政治家になった稲田朋美がいる)。 |
| 7月-第16回参議院議員通常選挙大阪府選挙区に連合の会公認、社会党・民社党・社民連推薦で出馬し、落選。 |
| 7月-第40回衆議院議員総選挙旧大阪5区に民社党公認・新生党推薦で出馬し初当選。 |
| 12月-民社党解党。 |
| 10月-第41回衆議院議員総選挙大阪17区に新進党公認で出馬し当選(2期目)。 |
| 12月-新進党解党。 |
| 翌年1月小沢一郎を党首とする自由党結成に参加。 |
| 10月5日-小渕内閣第2次改造内閣の防衛政務次官に就任。 |
| (同月20日辞任)。 |
| 6月-第42回衆議院議員総選挙大阪17区に自由党公認で出馬し小選挙区で落選するも比例代表で復活当選(3期目)。 |
| 9月-自由党解党。 |
| 11月-第43回衆議院議員総選挙大阪17区に民主党公認で出馬し当選(4期目)。 |
| 9月-第44回衆議院議員総選挙大阪17区に民主党公認で出馬し小選挙区で落選するも比例代表で復活当選(5期目)。 |
| 11月28日-弁護士法違反容疑(弁護士資格がない法律事務所元職員に、弁護士印を使用させるなど自分の名義貸しをした容疑)で逮捕される。 |
| この際の主任検事は、大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件で逮捕された前田恒彦である。 |
| 11月29日-民主党が除籍処分を常任幹事会で決定。 |
| 3月18日-衆議院本会議で西村に対する議員辞職勧告決議案が可決した。 |
| 9月25日-大阪地裁に於いて、弁護士法違反(弁護士の名義貸し)として懲役2年、執行猶予5年の判決。 |
| 組織犯罪処罰法(犯罪収益収受)に関しては無罪判決。 |
| 検察側、弁護側ともに控訴しなかったため、弁護士法違反の判決が確定し、弁護士資格剥奪が確定。 |
| 1月9日-長男が議員宿舎の自らの部屋から転落死した。 |
| この件に関して、西村は旧知の記者を通じて「強いうつ病の症状があり、前日に慶應大学病院の医師の診察を受けており、当日も同病院まで連れて行く予定があった」との手記を発表した |
| 9月24日-改革クラブへ参加し、同クラブの衆議院代表に就任した。 |
| 西村の参加により改革クラブは所属議員が衆参合わせて5名となり、政党助成法に基づく政党要件を満たした。 |
| 無所属代議士として臨む総理大臣指名選では前年は民主党代表小沢一郎支持、前々年は自民党総裁安倍晋三支持したが同年は平沼赳夫支持(平沼自身は麻生太郎総裁支持)。 |
| 8月-第45回衆議院議員総選挙大阪17区に改革クラブ公認で出馬するも、小選挙区、比例区ともに落選。 |
| 7月9日-眞悟の時事通信にて「たちあがれ日本の運動員」という言葉を使い、たちあがれ日本に参加したことを明かした。 |
| のちにたちあがれ日本に入党、同党の大阪17区支部長となる。 |