1788
1892
24695
%E8%AB%B8%E6%A9%8B%E8%BD%8D%E6%AC%A1
%E8%AB%B8%E6%A9%8B%E8%BD%8D%E6%AC%A1
%E8%AB%B8%E6%A9%8B%E8%BD%8D%E6%AC%A1
%E8%AB%B8%E6%A9%8B%E8%BD%8D%E6%AC%A1
%E8%AB%B8%E6%A9%8B%E8%BD%8D%E6%AC%A1
0
|
他の画像検索結果
他人の画像が選択されている・混じっている場合
画像候補は人物名で顔画像を検索したものです。
人物として適切でない画像も含まれてしまう可能性があります。
適切な画像になるよう 諸橋轍次の画像検索結果ページで修正できます
|
|
ネットワーク
|
タグ
キーワード
|
|
|
|
|
|
プロフィール
- 諸橋轍次とは
- 経歴
- 伝記・回想
- 関連項目
- 関連サイト
諸橋轍次(もろはしてつじ、1883年6月4日-1982年12月8日)は、漢字の研究者で、大著『大漢和辞典』や『広漢和辞典』(ともに大修館書店刊)の編者。文学博士。東京文理科大学名誉教授。都留短期大学および都留文科大学の(四年制大学としての)初代学長。本人によると 直江兼続の子孫である。
経歴
| 新潟県南蒲原郡森町村(後の下田村、現在の三条市)に生まれる。 |
| 東京高等師範学校卒業。 |
| 青年時代、中国にも留学。 |
| このとき満足できる辞書がなかったことが、のちの大漢和の製作に繋がっていったと言われる。 |
| 1925年、大修館の鈴木一平が訪れ、巨大な漢和辞典の構想を持ちかけられる。 |
| 本格的な製作の開始は1929年。 |
| 1943年、第1巻が完成。 |
| これにより翌年の朝日賞を受賞。 |
| しかし1945年、東京大空襲で大修館が罹災。 |
| 組み上がっていた印刷用の版がすべて溶けてしまったため、戦後、完成していた巻と、校正刷りをもとに再スタート。 |
| 1946年、長年の無理が祟って右目を失明し、左目も明暗がやっとわかる程度にまで悪化。 |
| 1955年に右目の開眼手術を受ける。 |
| 1948年、國學院大學文学部教授。 |
| 1957年、都留文科大学(このときは短期大学)学長に就任。 |
| 2年後に退任。 |
| 1960年、四年制大学への移行と同時に初代学長として就任。 |
| 同職を1964年まで務める。 |
| 1960年、大漢和辞典全13巻が完成。 |
| この功績により1965年、文化勲章受章。 |
| 数十年に渡り、修訂し刊行された。 |
| 1972年、講談社で『中国古典名言事典』(のち講談社学術文庫、数十版を重ねている)。 |
| 1975年-77年、『著作集』全10巻が、大修館書店で刊行。 |
| 1976年、勲一等瑞宝章受章。 |
| 1982年11月、大漢和の縮小版である『広漢和辞典』を刊行。 |
| 同年12月8日永眠。 |
| 静嘉堂文庫理事長の諸橋晋六は三男、三菱商事社長・会長を務めた。 |
伝記・回想
| 鎌田正 『大漢和辞典と我が九十年』(大修館書店 2001年)。 |
| 諸橋轍次 『誠は天の道 東洋道徳講話』(麗澤大学出版会 2002年)、私の履歴書を収む。 |
| 「漢学の里・諸橋轍次記念館」編 『諸橋轍次博士の生涯』(新潟県南蒲原郡下田村役場、発売元・大修館書店、1992年)ISBN4-469-23085-5。 |
| 原田種成 『漢文のすゝめ 諸橋「大漢和」編纂秘話』(新潮選書 1992年)。 |
| 『東方学回想Ⅲ 学問の思い出〈1〉』(刀水書房、2000年)、門下生らと座談会での回想。 |
| 岡本文良・高田勲 『ことばの海へ雲にのって 大漢和辞典をつくった諸橋轍次と鈴木一平』(PHP研究所、1982年)ISBN4-569-28178-8、児童向け著作。 |
関連項目
| 文化勲章受章者の一覧。 |
| 文化功労者の一覧。 |
| 道の駅漢学の里しただ-諸橋轍次記念館がある。 |
|
1925年
|
大修館の鈴木一平が訪れ、巨大な漢和辞典の構... |
|
1943年
|
第1巻が完成 |
|
投票数
0
| ふりがな |
|
| 性別 |
|
| 出身地 |
|
| 生年月日 |
|
| 血液型 |
|
| 職業 |
|
| 所属 |
|
| Twitter |
|
|
|
|
関連商品
|
|
|
|
つながりの強いひと
|
|
鎌田正
ホームページ > 各科担当医師のご紹介 > 鎌田 正 センター長、診断・治療高度化研究グループリーダー 経歴 1979年 : 北海道大学医学部卒業 資格 日本医... |
|
|
鈴木一平
北海道札幌市出身のシンガーソングライター。 |
|
|
荘子
中国の戦国時代の宋国(現在の河南省)に産まれた思想家で、道教の始祖の一人とされる人物である。荘周(姓=荘、名=周)。字は子休とされるが、字について... |
|
|
宇野哲人
宇野哲人(うのてつと、明治8年(1875年)11月15日-昭和49年(1974年)2月19日)は儒学者で、東洋学の開拓者の一人。東京大学名誉教授。東方文化学院院長、実... |
|
|
諸橋晋六
日本の実業家。三菱商事の社長・会長を歴任した。同社ロンドン支店長時代には『三菱ダイヤモンド・サッカー』(テレビ東京)の番組開始に協力し、主に欧州で... |
|
|
中村元
障害者高齢者の顧客起点の観光再生に成功し、2007年度国土交通省大臣表彰、2008年度内閣府特命大臣表彰を授賞した。 著書は「水族館の通になる」(祥伝社新書... |
|
|
石川忠久
石川忠久(いしかわただひさ、1932年4月9日-)は古典中国文学者、桜美林大学名誉教授。博士(文学)(東京大学、1992年)(学位論文「陶淵明研究」)。漢詩の... |
|
|
白川静
漢文学者・古代漢字学で著名な東洋学者。学位は文学博士(京都大学)。立命館大学名誉教授、名誉館友。福井県福井市生まれ。 |
|
|
金田一京助
日本の言語学者、民俗学者。アイヌ語の研究で知られ、彼の成し遂げた研究は「金田一学」と総称されている。 |
|
|
渋沢栄一
幕末から大正初期に活躍した日本の武士(幕臣)、官僚、実業家。第一国立銀行や東京証券取引所などといった多種多様な企業の設立・経営に関わり、日本資本主... |
|
|
良寛
良寛(りょうかん、宝暦8年10月2日〔1758年11月2日〕-天保2年1月6日〔1831年2月18日〕)は江戸時代後期の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家。俗名、山本栄蔵... |
|
|
安岡正篤
安岡正篤(やすおかまさひろ、1898年(明治31年)2月13日-1983年(昭和58年)12月13日)は陽明学者・思想家。 |
|
|
小林信明
小林信明 (Nobuaki Kobayashi) 東京弁護士会所属 【主な経歴】 1979.3 中央大学法学部卒 1983.4 弁護士登録 2000.4 小林総合法律事務所に参... |
|
|
阿辻哲次
日本の中国文学者・言語学者(中国語)、中国文字文化史研究者。京都大学大学院人間・環境学研究科教授。文化庁文化審議会国語分科会漢字小委員会委員で、201... |
|
|
ヒメサユリ
秋葉山のヒメサユリをふやそう会 分野:自然 活動主会場: 秋葉山を中心とした西山ふるさと公園 活動目的: 絶滅寸前の「秋葉山のヒメサユリ」の 保護・保全... |
|
|
嘉納治五郎
嘉納治五郎(かのうじごろう、万延元年10月28日(1860年12月9日)-1938年(昭和13年)5月4日)は明治から昭和にかけての柔道家、教育者である。講道館柔道の... |
|
|
新村出
日本の言語学者、文献学者。京都大学教授・名誉教授で、ソシュールの言語学の受容やキリシタン語の資料研究などを行った日本人の草分けである。 |
|
|
新渡戸稲造
流麗な英文で書かれ、長年読み続けられている。日本銀行券のD五千円券の肖像としても知られる。拓殖大学名誉教授。 |
|
|
金谷治
日本の東洋学者。専門は中国哲学、特に中国古代思想史。三重県伊賀市出身。長男は金谷茂則(大阪大学大学院工学研究科生命先端工学専攻教授)。 |
|
|
諸橋轍次さんについてのひとこと紹介
|
|
|
|