31743
32018
366254
%E8%B0%B7%E5%8D%9A
%E8%B0%B7%E5%8D%9A
%E8%B0%B7%E5%8D%9A
%E8%B0%B7%E5%8D%9A%20-%E8%B0%B7%E5%8D%9A%E4%B9%8B%20-%E8%B0%B7%E5%8D%9A%E4%B9%8B%20-%E8%B0%B7%E5%8D%9A%E5%96%84%20-%E8%B0%B7%E5%8D%9A%E5%B9%B8%20-%E8%B0%B7%E5%8D%9A%E8%A1%8C
%E8%B0%B7%E5%8D%9A
0
|
他の画像検索結果
他人の画像が選択されている・混じっている場合
画像候補は人物名で顔画像を検索したものです。
人物として適切でない画像も含まれてしまう可能性があります。
適切な画像になるよう 谷博の画像検索結果ページで修正できます
|
|
ネットワーク
|
タグ
キーワード
|
|
|
|
|
|
プロフィール
- 谷博とは
- 来歴・人物
- サヨナラインフィールドフライ事件
- 不可解な退場事件
- エピソード
- 審判出場記録
- 関連項目
谷博(たにひろし、1953年6月20日-)は元プロ野球審判員。徳島県出身。審判員袖番号は19(1988年初採用から。谷は関西審判部で袖番号が初採用された年度の中で最古参であった)。
来歴・人物
| 徳島県立海南高等学校では野球部で尾崎健夫と同期。 |
| 京都産業大学を経て1976年にセントラル・リーグ審判部入局。 |
| 井野修審判部長とは同期入局である(井野は公募で合格、谷はアマ時代の経験を買われて入局)。 |
| 入局1年目の4月25日の阪神-大洋戦(甲子園)での左翼外審で一軍試合出場を果たす。 |
| バース・掛布雅之・岡田彰布の3人によるバックスクリーン3連発があった1985年の巨人対阪神戦では一塁塁審をしており、その18年後の平成の3連発では二塁塁審をしていた。 |
| オールスターでは1999年第1戦で球審。 |
| 日本シリーズでは2000年に第3戦、1999年・2005年に第4戦、1992年・2008年に第7戦の球審を務めている。 |
| なお、第7戦で2回球審を務めたのは、セ・リーグにおいては岡田功以来2人目である。 |
| 2006年より、役職が副部長から「審判部部長待遇」へ昇格。 |
| また、2007年4月13日の阪神-横浜1回戦において2500試合出場を達成した。 |
| 2009年には55歳の定年に達したため副部長職及び部長待遇を返上し、嘱託審判員となった。 |
| 2010年9月12日の阪神-ヤクルト戦(甲子園)で球審を務めたのを最後に一軍での審判を引退した。 |
| 2010年に引退するまでの通算出場試合数は2752試合、オールスター出場4回(1988年、1992年、1999年、2005年)、日本シリーズ出場10回(1992年、1995年、1997年~2001年、2003年、2005年、2008年)。 |
| 2011年から審判技術委員(関西)となる。 |
サヨナラインフィールドフライ事件
| 1991年6月5日に横浜スタジアムで行われた大洋-広島戦、2-2で迎えた9回裏に大洋は一死満塁から打者清水義之が本塁付近に力のない飛球を打ち上げ、球審の谷は「インフィールドフライ・イフ・フェア」を宣告した。 |
| この打球を広島の捕手達川光男が意図的に捕球せず、フェアゾーンでワンバウンド捕球したため打者清水が一塁に走り出すと塁上の走者もスタートを切った。 |
| 達川はそのまま本塁を踏み一塁へ送球した。 |
| 併殺でチェンジだと思った大洋の三塁走者山崎賢一がベンチに戻る際に本塁を踏むと谷は山崎の得点を認め、試合終了「ゲーム」を宣告した。 |
| 野球の試合終了の宣告は「ゲームセット」ではありません。 |
| 「ゲーム」と宣告します。 |
| ルールでは、インフィールドフライが宣告された場合打者走者は打球がファウルボールにならない限り無条件でアウトとなるため、塁上の走者には走塁の義務はなく、フォースアウトは成立しない。 |
| 達川は本塁を踏むのではなく、山崎に触球しなければいけなかったのである。 |
| なおこのプレイでは達川にエラーが記録されているが、達川ばかりでなく、大洋の選手達(特にワンバウンドしたのを見て慌てて走った打者の清水と三塁走者の山崎)や、広島ベンチ(試合終了後に谷に抗議をしていた山本浩二監督)もインフィールドフライのルールを知らなかった可能性が高い。 |
| 球審の谷は、この咄嗟(とっさ)の出来事を完璧に裁いたナイスジャッジにより連盟から表彰を受けている。 |
不可解な退場事件
| 2003年6月5日、降板する際に球審を務めていた谷に向けてボールを投げつけたとして、広島東洋カープの高橋建投手に退場処分を宣告した。 |
| 高橋はボールボーイに返球したものと主張し、山本浩二監督も抗議を行ったが、退場処分は覆らなかった。 |
| この判断に関して、試合後に選手会がコミッショナーとセ・パ連盟会長に抗議文書を提出する事態となった。 |
エピソード
| 2006年5月7日の広島対中日戦で責任審判と三塁塁審を務めた。 |
| ブラウン監督が一塁ベースを投げたため退場を宣告した谷は「抗議は冷静で紳士的なものだった。 |
| ロマノ投手をかばっていた。 |
| 一塁ベースを投げていなければ、退場にはなっていなかった」と語っている。 |
| 2009年、朝日放送の「探偵ナイトスクープ」で、将来、谷のような審判になりたいという男子小学生のリクエストに応え、関西独立リーグ協力のもと実試合球審としてまで指導。 |
| 試合には川藤幸三(元阪神)、石毛博史(元巨人)などが参加。 |
| 試合終了後、誰のサインが欲しいかと尋ねられた少年は「谷さんのサインがほしい。 |
| 」と返答した。 |
審判出場記録
| 初出場:1976年4月25日、阪神対大洋4回戦(甲子園球場)、右翼外審。 |
| 出場試合数:2752試合。 |
| オールスター出場:4回。 |
| 日本シリーズ出場:10回。 |
| (記録は2010年シーズン終了時)。 |
|
1953年
|
谷 博(たに ひろし)は元プロ野球審判員。徳... |
|
1976年
|
セントラル・リーグ審判部入局 |
|
投票数
0
| ふりがな |
|
| 性別 |
|
| 出身地 |
|
| 生年月日 |
|
| 血液型 |
|
| 職業 |
|
| 所属 |
|
| Twitter |
|
|
|
|
関連商品
|
|
|
|
つながりの強いひと
|
|
井野修
群馬県出身のプロ野球審判員。セ・パの審判部が完全統合された2011年より、審判長を務める。 現役時代の審判員袖番号1。 |
|
|
岡田彰布
大阪府大阪市中央区出身の元プロ野球選手(内野手)、監督、野球評論家。からオリックス・バファローズの監督を務める。 |
|
|
掛布雅之
千葉県千葉市出身の元プロ野球選手(内野手)。現在はスポーツ報知・毎日放送の野球解説者。新潟県三条市生まれ、大阪府豊中市在住。4代目ミスタータイガース。 |
|
|
友寄正人
セントラル・リーグのプロ野球審判員。沖縄県出身であり、同県出身のプロ野球審判員第一号である。審判員袖番号22。 |
|
|
嶋田哲也
山口県出身の元プロ野球選手。現プロ野球審判員。野球中継で解説者や実況に、名字の読みをしばしば「しまだ」と読まれていたことがあるが、正しくは「しまた... |
|
|
中村稔
■ 中村稔典さん
宇都宮市出身。老舗材木屋の三代目として生まれる。大阪学院大学卒業後、2×4住宅系のハウスメーカーに入社、新人営業トップセールスを獲得、... |
|
|
佐藤純一
秋田県出身のプロ野球選手、プロ野球審判員。審判員袖番号は21(1991年採用から)。 |
|
|
山本隆造
山本隆造(やまもとりゅうぞう、1956年3月5日-)は元プロ野球審判員、元プロ野球選手。 |
|
|
岡田功
プロ野球選手、プロ野球審判員。元セントラル・リーグ審判副部長。兵庫県尼崎市出身。 |
|
|
尾崎健夫
同期
健夫がドライバーショットを放つとボールがジェット機のように強烈な勢いで飛んでいくのに驚いたからであり、以来この呼び方が定着している。因みに「ジャン... |
|
|
真鍋勝己
岡山県倉敷市生まれの元プロ野球選手、セントラル・リーグのプロ野球審判員。眞鍋とも表記される。 |
|
|
橘高淳
橘高淳(きったかあつし、1962年12月17日-)は滋賀県出身の元プロ野球選手(捕手)、プロ野球審判員。旧名は橘高敦。 |
|
|
前川芳男
前川芳男(まえかわよしお 1941年11月20日-)は元プロ野球審判員。2010年まで審判部特命顧問。 |
|
|
渡田均
渡田均(わたりだひとし、1958年5月1日-)は広島県出身のプロ野球審判員。審判員袖番号は31(1988年の袖番号初採用時から)。 |
|
|
丹波幸一
日本の プロ野球審判員 。 来歴・人物 神港学園高 から 京都産業大 を経て、 1993年 パシフィック・リーグ の関西審判部に入局。 1994年 6月2日 のオリックス... |
|
|
田中俊幸
山口県下関市出身のプロ野球選手・プロ野球審判員。 |
|
|
達川光男
広島県広島市出身の元プロ野球選手(捕手)・プロ野球監督、野球解説者。現在はフジテレビ・テレビ新広島・ニッポン放送・JSPORTS解説者、スポーツ報知評論家... |
|
|
谷博さんについてのひとこと紹介
|
|
|
|