| 5歳までに東京に戻り、小学校から横浜へ移り六浦尋常小学校へ通う『「家」の履歴書』、104-106頁。 |
| 子供のころには幻覚や幻聴の症状があり、夜に月が2つ見えたり、天井が膨らんで落ちてくるように見えたり、夜中に『ゴムまりを突く音』や『泥棒の足音』が聞こえたりした。 |
| 非常な恥ずかしがりやながらサービス精神のある子供で、「お手伝いさんを驚かそう」と硬くなった犬のフンをかじったことがある。 |
| また、小学生時代は、級友の前で落語を演じていた。 |
| 中学入試に失敗したため、国民学校高等科に1年通う。 |
| この不合格の際も「落ち込んでいることがばれないよう」口笛をふきながら上機嫌で帰ってきたという。 |
| その後、軍需工場で働く。 |
| 1945年4月に旧制逗子開成中学校に進学。 |
| 入学式の時のブラスバンドの演奏でトロンボーンに出会い、一目惚れして、当時の音楽部(現:吹奏楽部)に入部。 |
| しかし、トロンボーンという名前を知らず、また、あの楽器はなんというのかとも聞けず、担当楽器を決める際に適当にチューバを希望し担当した。 |
| 8月に敗戦を迎えると、進駐軍がジャズを持ち込み、それを聞いて「こんなに楽しい音楽があったのか」と夢中になる。 |
| また、大量に上映されたアメリカ産のコメディ映画にも夢中になる。 |
| 逗子開成高校時代から、キャバレーでバンドマンのアルバイトをしていた。 |
| 関東学院大学経済学部に進むが、高校時代の音楽仲間を追って中央大学経済学部に転学。 |
| 音楽研究会に所属し、バンドを組んでキャバレーや米軍向けに演奏していた。 |
| 中央大学音楽研究会時代の後輩には高木ブーがいる。 |
| 一方、喜劇俳優にもなりたくて、劇団民藝や俳優座を訪ねたが相手にされなかった。 |
| 在学中に米軍相手のコミカルな演奏が原信夫に注目され、シャープス&フラッツに参加。 |
| 本格的な演奏のほかに、トロンボーンのスライドを足で動かして吹くなどのコミカルな演奏も行う。 |
| 「スイングジャーナル」誌上でトロンボーン奏者として上位にランキングされるようになる。 |
| 芸名の由来は、アメリカの名コメディアン、ダニー・ケイを日本語風にしたもの。 |
| 名乗り始めた当初は、「ダニー・ケイを敬う」という意味で『谷敬』だったが、ファンから「谷敬という字はいけません。 |
| なぜかというと、谷底でいつも敬っているんじゃ、ずっと底にいることになるから」という指摘を受け五歩一勇『シャボン玉ホリデースターダストを、もう一度』p.152(日本テレビ放送網、1995年)、『谷をひらく』という意味の『谷啓』と改名した。 |
| ただし、髪型や芸風は、『アボット・コステロ』のルウ・コステロに似せている。 |
| 『クレージーキャッツ』の他のメンバーはみな、ミュージシャン志望で役者になろうとは全然思っていなかったが、ただ一人、谷だけがコメディアン志望でもあった。 |
| 1953年、フランキー堺から「スパイク・ジョーンズのような音楽をやろう」と誘われ、谷もスパイク・ジョーンズの大ファンだったため、フランキー堺とシティ・スリッカーズに参加し、音楽ギャグを盛んに行う。 |
| だが、フランキーが日活に引き抜かれ、フランキー不在のシティ・スリッカーズは『普通のジャズバンド』になってしまう。 |
| そのため、同じバンドの植木等の紹介でハナ肇に会い、ハナのバンド『キューバン・キャッツ』に1956年2月に移籍。 |
| のちにバンド名はクレージーキャッツと変わる。 |
| ジャズ喫茶に出演し、多彩なギャグで人気を博す。 |
| 1959年の『おとなの漫画』以降、コメディアンとして多くのTVバラエティ番組に出演。 |
| 「ガチョン」(当時は伸ばさなかった)「びろーん」「アンタ誰?」「ムヒョーッ」といった各種のギャグで不動の人気を獲得した。 |
| 「谷だァ!」というギャグも一時期使っていたが、これは当時の流行語にもなった青島幸男の「青島だァ!」に対抗する形で発せられたもの。 |
| 青島の葬儀・告別式では弔辞を担当し、「『谷だァ!』…(『青島だァ!』が返ってこないので)…寂しいです」と呼びかけた。 |
| 俳優としてもテレビドラマや映画に多数出演している。 |
| 1975年には、かねてからの夢だった本格的ミュージカル、森繁久彌主演の『屋根の上のバイオリン弾き』に出演、肉屋のラザール役を演じ、4年の間出演した。 |
| 演出家の福田陽一郎の『好みの役者』で、福田が演出する舞台に多数出演している。 |
| 1975年ごろから、自身のバンド『谷啓とザ・スーパーマーケット』を結成し活動していた(結成時には、キーボード担当として、若き日の近田春夫も参加していた)。 |
| またハナ肇が晩年に結成したバンド『ハナ肇&オーバー・ザ・レインボー』(ドラム:ハナ肇、トロンボーン:谷、ピアノ:宮川泰、トランペット:中川善弘、ベース:江藤勲、テナーサックス:稲垣次郎)にも参加し、ハナが亡くなる直前まで活動していた。 |
| 晩年はバラエティ番組への出演がめっきりと減ったが、1990年代後半にはスーツにサングラス姿で、『笑う犬の冒険』のオープニングMCを務めた。 |
| 2006年から2009年まで『美の壺』(NHK教育テレビジョン)に出演、飄々としたご隠居の主人として番組の案内役を務めた。 |
| 2008年ごろから体調を崩し始め、2009年3月までにレギュラー番組をすべて勇退し、療養生活に入っていた。 |
| ハナ肇の付き人を務め、長く親交があったなべおさみによると「2008年ころから(谷さんは)物忘れがひどくなっていた。 |
| 今年(2010年)春に見舞いに訪れた際にはもう私(なべおさみ)のことが分からないようだった」と語り、晩年の谷に認知症の傾向があったことを示唆している |
| 2010年9月10日、私邸の階段から転落し、頭などを強打したために杏林大学医学部付属病院に搬送されたが、9月11日午前5時7分脳挫傷により急逝{{Citenews。 |
| 9月20日には谷のこれまでの業績を讃えてしたまちコメディ映画祭in台東において谷に『第3回コメディ栄誉賞』を授与した(なお、生前から受賞が決定していた)。 |
| 谷の死去を受けて、追悼番組として日本放送協会は9月26日深夜に『美の壺』の第2回「盆栽」(2006年4月14日放送)をNHK教育テレビジョンで、10月24日には『NHKアーカイブス谷啓〜飄々と時代を駆け抜けた名脇役〜』をNHK総合テレビジョンで放送した。 |
| 2010年11月11日には関係者対象の「お別れの会」がザ・プリンスパークタワー東京で行われた。 |
| 司会を徳光和夫が担当し、約800人が参列した。 |
| 西田敏行、松任谷正隆・由美夫妻、犬塚が代表してあいさつを務めた。 |
| 他に桜井、青木さやか、アグネス・チャン、浅香光代、いしのようこ、内田裕也、加藤和也、上川隆也、加山雄三、グッチ裕三、小松政夫、小柳ルミ子、島崎俊郎、城田優、せんだみつお、高見恭子、地井武男、仲本工事、中山秀征、鳩山邦夫、ビビる大木、布施明、藤村俊二、松本明子、ミッキー・カーチス、三宅裕司、恵俊彰、モト冬樹、山田邦子、山田洋次、アンガールズ、ネプチューン、我が家らが参列した。 |
| 2010年11月19日、第52回日本レコード大賞で特別功労賞を受賞。 |