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プロフィール
- 豊田英二とは
- 概要
- 生い立ち
- 学生時代
- トヨタ自動車工業
- 国外進出
- 顕彰
- 佐吉の思い出
- 家族
- 役職
- 栄典
- 著書・参考文献
豊田英二(とよだえいじ、1913年9月12日-)は、日本の実業家。勲等は勲一等。トヨタ自動車株式会社最高顧問。 豊田佐吉の甥。トヨタ自動車工業株式会社社長(第5代)、トヨタ自動車株式会社会長(初代)、社団法人日本自動車工業会会長(第2代)、財団法人トヨタ財団理事長(初代)、学校法人トヨタ学園理事長(初代)、学校法人トヨタ東京整備学園理事長(初代)などを歴任した。
概要
| 豊田で自動車開発に当たり、昭和20年(1945年)取締役、常務、専務を経て昭和42年(1967年)トヨタ自動車工業社長。 |
| 昭和57年(1982年)工販合併でトヨタ自動車発足、会長。 |
| 『私の履歴書昭和の経営者群像8』156頁。 |
| 2010年2月より体調を崩し、現在は名古屋市内の病院に入院している。 |
生い立ち
| 愛知県西春日井郡金城村(現・名古屋市西区堀端町)に豊田平吉の二男として生まれた。 |
| 平吉は明治の末期に兄佐吉から独立、織機を据えて布を織る工場を持った『私の履歴書昭和の経営者群像8』159頁。 |
学生時代
| 愛知県立第一中学校、第八高等学校(現・名古屋大学)を経て、1936年に東京帝国大学工学部機械工学科を卒業。 |
| 豊田自動織機に入り、自動車部に配属された『私の履歴書昭和の経営者群像8』178頁。 |
トヨタ自動車工業
| 1941年に日本が第二次世界大戦に参戦すると、トヨタの生産能力は軍のトラック製造に向けられた。 |
| そのため航空機開発は中断された。 |
| 戦後GHQの財閥解体はトヨタにも影響を及ぼしたが、代わりにその後トヨタは自動車の製造によって日本の再建の一端を担うこととなる。 |
| しかし需要の増加にもかかわらず、終戦直後はほとんど破産しかかった状態で、大規模なリストラによって難をしのいだ形となった。 |
| 1967年10月、中川不器男社長(三井銀行出身)の急逝に伴い社長に就任。 |
| 工・販統合直前の1982年6月まで14年9か月にわたって社長を務めた。 |
| この間、日本自動車工業会会長なども兼任。 |
国外進出
| 英二は1950年代初頭にミシガン州のディアボーンにあるフォードの工場を訪れた。 |
| トヨタは13年間自動車製造に着手してきたものの、製造した自動車は2500台を越えるに留まっていた。 |
| フォードの工場では随時一日にして8000台もの自動車を製造しており、英二はアメリカ方式の大量生産方法を採用することを決意した。 |
| 1960年にトヨタは日本での自動車製造においてフォードとの合弁事業を提案した。 |
| 元々の提案は4割、4割、2割に分けた内2割分の所有権を日本の流通業者に割り当てるというものだった。 |
| 後にフォードの割り当てが5割に引き上げられたが、種々の理由により拒否された。 |
| 英二は「フォードの拒否の方法には遺憾な点が多い。 |
| 」と述べている。 |
| トヨタは1980年に再び試みたものの、すぐにレーガン政権が日本車の輸入に関して自主規制する協定を強要した。 |
| それならと、今度はアメリカ国内での共同生産を提案した。 |
| 「我々は戦前、戦後計4回提案を行ったが、いずれも努力が実を結ばなかった。 |
| 我々はパートナーたる運命にないのだろうかと考えている。 |
| 」と記している。 |
| 2001年、フォード社長ジャック・ナッサーはトヨタ社長奥田碩と会談し、その中で小型車の製造においての合弁事業を提案した。 |
| 1983年、ゼネラルモーターズとの合弁会社であるNUMMI(NewUnitedMotorManufacturing)が設立され、カローラやそれに基づいた自動車を製造している。 |
| 1987年、トヨタはカナダオンタリオ州のケンブリッジに北アメリカでは初の完全所有の工場を開設する。 |
| 続いて翌年にはアメリカ合衆国にもケンタッキー州のジョージタウンに初の完全所有の工場が開設した。 |
| アメリカ合衆国には他にも1998年にインディアナ州Pricetonに開設、2006年にはテキサス州のサンアントニオにも開設した。 |
| 1955年、トヨタは既にクラウンの大量生産を始めており、日本国内では成功を収めたが、1957年のアメリカへの輸出の際には市場にはあまり注目されなかった。 |
| しかしながら、1960年代にはコロナ及びカローラは相当なアメリカへの市場参入を達成している。 |
| 1975年までにフォルクスワーゲンに輸入車第一位の地位を受け渡した。 |
| その後、1992年まで会長に在任、1983年には高級車市場への本格進出を決め1989年にレクサスを発表した。 |
佐吉の思い出
| 伯父豊田佐吉について豊田英二の『私の履歴書』によると、「おやじの兄弟、つまり豊田佐吉、平吉、佐助は異常に仲が良かった。 |
| みんな酒好きだが、末っ子の佐助が一番強かった。 |
| うちのおやじも好きだが一番弱い。 |
| 長男の佐吉は真ん中ぐらいだろう。 |
| おじいさんの伊吉は大工だった。 |
| 大工は毎日仕事があるわけではないから、農業もやる。 |
| 大工の仕事があると、それをやって現金収入を得ていたのであろう。 |
| 佐吉も見よう見まねで大工仕事をやっていた。 |
| 初めは伊吉が教えていたのだろうが、親はなかなか教えにくい。 |
| だから豊橋の大工の棟梁(とうりょう)に弟子入りさせた。 |
| 佐吉が最初につくった“かせ繰り機”は、機械といっても、要は大工仕事の延長であったわけだ。 |
| 私がものごころついたころ、豊田の織機は御木本の真珠、鈴木のバイオリンとともに有名になっており、佐吉は名声をはせていた。 |
| しかし、小さいころから佐吉を身近にみてきたせいか、生前、佐吉を“伯父さん”としてみたことはあっても“発明家佐吉”としてみたことはなかった」という。 |
| 『私の履歴書昭和の経営者群像8』165-166頁。 |
役職
| 財団法人トヨタ財団評議員。 |
| 財団法人2005年日本国際博覧会顧問。 |
| 社団法人日本自動車会議所顧問。 |
| 財団法人科学技術交流財団特別顧問。 |
| 財団法人がん研究振興財団理事。 |
| 財団法人助成財団センター顧問。 |
| 財団法人国際文化交換協会評議員。 |
| 社団法人日本ポルトガル協会理事。 |
| 財団法人立松財団評議員。 |
| 財団法人大河内記念会顧問。 |
| 財団法人日本美術協会相談役。 |
栄典
| 1983年11月-勲一等瑞宝章。 |
| 1990年11月-勲一等旭日大綬章。 |
著書・参考文献
| ''Toyota:FiftyYearsinMotion''EijiToyoda1987年講談社ISBN0870118234。 |
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1913年
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豊田 英二(とよだ えいじ)は、日本の実業家... |
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1936年
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東京帝国大学工学部機械工学科を卒業 |
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