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貂蝉
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プロフィール
貂蝉とは
概略
モデルとなった人物
伝承
貂蝉(ちょうせん)とは、架空の人物であり、後漢の
臣王允
の養女とされる。
楊貴妃
・
西施
・
王昭君
と並び、古代
中国四大美人
の一人に数えられる。史実にその名は見えず、小説『三国志演義』に登場する。
概略
『三国志演義』第八回から登場。
朝廷を牛耳り、洛陽から長安に遷都するなど、暴虐の限りを尽くす
董卓
を見かねた
王允
が、
董卓
誅殺を行う為に当時十六歳とされる養女・貂蝉を使い、
董卓
の養子の
呂布
と仲違いさせる計画を立てた。
王允
はまず
呂布
に貂蝉を謁見させ、その美貌に惚れさせる。
だが、次に
王允
は
呂布
とは別に貂蝉を
董卓
に謁見させ、
董卓
に貂蝉を渡してしまう。
怒った
呂布
が
王允
に詰問すると、「
董卓
には逆らえない」と言い繕い、その場を円く納めた。
その後、
呂布
と貂蝉が度々密会し、貂蝉が
呂布
のもとにいたいという意思表示をする。
2人が密会していることに
董卓
はいったん怒ったが、腹臣の
李儒
の進言により貂蝉を
呂布
の元に送るように言う。
だが、一方で貂蝉は
董卓
にも「乱暴者の
呂布
の元には行きたくない」と泣きつき、
董卓
の下を動こうとしない。
それに怒った
呂布
が
王允
と結託し、
董卓
を殺害した。
これが「美女連環の計」である(「連環の計」は二つあり、赤壁の戦いにおいても、船同士を環(鎖)を連ねて動けなくするという、文字通りの計略が見られ、それと区別するため「美女連環の計」と言う)。
董卓
亡き後の貂蝉は
呂布
の妾となったが子ができなかった。
(第十六回)下邳の攻防戦では、陳宮に掎角の勢を進言されこれに従い出陣しようとした
呂布
を正妻の厳氏ともに引き止めている。
下邳陥落後の貂蝉については記述がない。
モデルとなった人物
中国においては、史書『三国志』の「
呂布
が
董卓
の侍女と密通し、発覚をおそれて
王允
に相談したが、
董卓
打倒を考えていた
王允
はこの際、
董卓
を討てと進言し
呂布
はそれを実行した」を引き、この「
董卓
の侍女」こそがモデルで、後世の講談や物語において架空の名前をつけたとする説がある。
伝承
民間伝承では貂蝉はひどく不美人で、
王允
が華佗にそのことを打ち明けたところ、華佗は首を
西施
のものと取替え、それでも度胸がなく行動に移せないのを嘆いたところ、今度は肝を
荊軻
のものと取り替えたという話がある。
元代の雑劇『錦雲堂美女連環計』では姓を任、名を紅昌、小字を貂蝉と設定している。
その後の展開としては、貂蝉を巡り曹操と関羽が争うが曹操が降りて関羽に譲る、または関羽が心の動揺を鎮めるため貂蝉を斬ってしまう、など作品によって異同が見られる。
日本国内で広く知られる
吉川英治
の小説、それを元にした
横山光輝
の漫画『三国志』では連環の計を遂げた貂蝉が自害して果てるという翻案がなされている。
貂蝉 - Wikipedia
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