| 1994年(平成6年)11月場所後ついに横綱昇進が決定。 |
| 11月23日に行われた昇進伝達式で「謹んでお受けします。 |
| 今後も『不撓不屈』(自身大関昇進の伝達式でも用いた)の精神で、力士として相撲道に『不惜身命』を貫く所存でございます」と使者に答えた。 |
| 横綱として最初の2年近く、1995年(平成7年)1月場所~1996年(平成8年)9月場所は他を寄せ付けない圧倒的な強さで、11場所中8場所も制覇した。 |
| 1995年(平成7年)11月場所は実兄で当時大関・若乃花と優勝決定戦での兄弟対決となったが結果的には下手投げで敗れ、若乃花が幕内優勝となった。 |
| 1996年は年明けから3場所連続で14勝1敗の成績を残した(1月場所は同部屋の大関・貴ノ浪と優勝決定戦に進出したが、河津掛けで敗れた)。 |
| 3月場所から9月場所では自身初の4連覇達成。 |
| 9月場所は4度目の全勝優勝。 |
| さらに同9月場所で幕内連続12勝以上勝利が、北の湖の12場所を超える、13場所目の新記録(当時)を達成した(現在は白鵬に次ぎ歴代2位)。 |
| 当時まだ24歳という年齢で、幕内優勝15回という実績や、ほとんど隙のない当時の取り口から考えると、大鵬や千代の富士の優勝回数を抜くのは、時間の問題であるとさえ言われていた。 |
| しかし、1996年(平成8年)9月場所後の巡業中、背筋の肉離れを起こすケガにより緊急帰京。 |
| 肉離れが完治しない中、同年11月場所を一旦強行出場する事を表明したが、場所初日の前日に急性腸炎による発熱で入院、結局11月場所は自身初土俵以来初めて本場所を全休する事となる。 |
| この休場をきっかけに、貴乃花の相撲に陰りが見え始め、また休場中の間に上体だけが肥えてしまい、1997年(平成9年)以降は体をのしかけて潰す相撲に変貌してしまう。 |
| 更に強引にねじ伏せたり浴びせ倒したりする等、明らかに相撲の質が落ち、好角家からも批判されるようになった。 |
| 大型力士に対抗するために自らの判断で体重を増やしたが、あまり上手くいかなかった兄の花田勝は洗脳騒動で話題になった整体師に過食を勧められたからであると自身の著書で述べた。 |
| だが、貴乃花自身は2005年(平成17年)に「大変お世話になった人。 |
| 洗脳騒動は母と兄によって捏造されたものだ」と否定している。 |
| 話題となった整体師は何も語っておらず、真相は不明である。 |
| それまではかなり熱心で体の毛も生えない程だった稽古も、準備運動は入念にするものの実戦的な稽古量が激減するという事態に陥ってしまった。 |
| 1997年(平成9年)は過去の稽古の貯金もあって3度優勝して横綱の面目は十分に保てたが、1998年(平成10年)以降はその貯金も底を突いた状態となった。 |
| 1998年(平成10年)1月場所終盤、急性上気道炎による高熱と原因不明の湿疹で勝ち越しながらも途中休場(これにより同年2月に開催された長野オリンピック開会式及び横綱土俵入りも欠席する。 |
| 横綱土俵入りの代役は曙。 |
| 翌場所も序盤から崩れて、肝機能障害によりまたも途中休場に追い込まれた。 |
| 7月場所と9月場所は連覇して優勝回数を20回の大台に乗せたが、その後は怪我や病気に苦しみ、2年以上優勝から遠ざかる事になった。 |
| 特に1999年(平成11年)は年明けから大崩れ。 |
| 1月場所は序盤から崩れて盛り返すことなく8勝7敗。 |
| 3月場所は10日目の相撲で左肩を骨折して途中休場。 |
| 5月場所は全休、復帰した7月場所は序盤は好調だったものの、9日目の出島との取り組みで左手薬指を脱臼し、その影響で終盤崩れて9勝。 |
| 9月場所は怪我が治らないのに何故か出てきて一つも勝てずに3日目から休場。 |
| 再起を賭けた11月場所も初日に敗戦して最後を思わせるほどになってしまった。 |
| しかしこの場所は中盤から持ち直して、千秋楽まで優勝争いをして望みを繋いだ。 |
| またこの頃から稽古量が上向きになり、2000年(平成12年)は12勝、11勝、13勝と復活間近を思わせた。 |
| 7月場所に上腕二頭筋を断裂してまたもや途中休場、翌9月場所を全休してしまうが、休場明けの11月場所に11勝で繋ぎ不振脱出の兆しを見せた。 |
| ;復活、最後の優勝。 |
| 2001年(平成13年)1月場所は初日から14連勝したが、千秋楽で横綱武蔵丸に敗れて14勝1敗。 |
| 武蔵丸と同点となり優勝決定戦に廻るも、その一番では武蔵丸に雪辱勝利を果たし、14場所ぶり21度目の復活優勝を遂げた。 |
| 一度変貌した相撲内容は更に変貌し、嘗ての自在の内容に代わり、完全に腰を固め、充分に捕まえて逡巡せず勝負に出るようになって新生貴乃花を印象付けた。 |
| 安定感はやや低下したものの、力強さは逆に最盛期以上とも思える相撲振りを印象付けた。 |
| そして2001年(平成13年)5月場所は初日から13連勝して完全無敵の強さだった。 |
| しかし14日目の武双山戦で、土俵際で巻き落としを喰らって右膝半月板を損傷する大けがを負った。 |
| 二子山親方ら関係者も休場するよう貴乃花に勧めたが、幕内優勝が掛かっていたため、周囲の休場勧告を振り切り、翌日の千秋楽は無理矢理強行出場した。 |
| 予想通り千秋楽結びの一番の武蔵丸戦では、自ら負けるような内容で全く相撲にならず、武蔵丸と相星となった。 |
| 続く優勝決定戦は誰もが武蔵丸の勝利を確信せざるを得なかったが、大方の予想を覆し、武蔵丸を豪快な上手投げで破った。 |
| 勝利を決めた直後の鬼の形相と奇跡的な優勝に、当時の首相であった小泉純一郎は表彰式で「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!おめでとう!」と貴乃花を賞賛した。 |
| 全休となった2001年(平成13年)7月場所後、大けがをした右膝をフランスで手術を受けて再起を目指す事となる。 |
| しかし貴乃花は2001年7月場所から2002年(平成14年)7月場所まで、1年以上も全ての場所で休場となってしまう(なお7場所連続全休は大相撲史上ワースト1位である)。 |
| 世間も最初は「休場してゆっくり治せば良い」と温かい目で見ていたが、休場が1年近くになった頃から、貴乃花に対する風当たりは強くなり、一部の横綱審議委員(渡邊恒雄など)からも苦言を呈するようになった。 |
| 注目された初日の高見盛戦では勝利したものの、序盤の2日目・旭天鵬戦と5日目・琴龍戦でそれぞれ金星を献上してしまい、この場所途中での引退さえ囁かれた。 |
| しかしその後中盤の6日日から終盤14日目にかけて星を伸ばして12勝2敗、千秋楽に武蔵丸と横綱同士の相星決戦にまで持ち込み、敗れはしたものの12勝3敗の準優勝を果たした。 |
| 他の幕内力士との実力の違いを見せつけたが、場所終盤には再び右膝の怪我の状態が悪化したため、翌11月場所はまたも全休することとなる。 |