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プロフィール
- 赤堀元之とは
- アマチュア時代
- リリーフ時代
- 先発転向後
- プレイスタイル
- 年度別投手成績
- タイトル
- 表彰
- 記録
- 背番号
- 関連項目
赤堀元之(あかほりもとゆき、1970年4月7日-)は、静岡県藤枝市出身の元プロ野球選手(投手)。現役時代は大阪近鉄バファローズの守護神としてチームを支えた。
アマチュア時代
| 静岡県藤枝市下青島で生まれ、小学校4年生で野球を始めた週刊ベースボール、2001年6月18日号、P.40。 |
| 藤枝市立青島中学校では県大会で4試合に登板して37イニング無失点で優勝し朝日新聞、1996年2月10日付朝刊、静岡地方面、強豪校である静岡高校に進学。 |
| 野球部の同級生には梶山義彦、天野義明らがいた。 |
| 高校から硬式野球を始め、2年生の夏にはエースナンバーを付けて夏の選手権大会に出場している。 |
| 関西高校戦では5回から救援で登板し、6安打を浴びて4失点の内容で、チームは4対6で試合に敗れた週刊ベースボール、2001年6月18日号、P.38。 |
| なお2年時は球速が124km/h程度にとどまり、カーブやスラーブを中心に投球を組み立てる軟投派だった。 |
| 秋には野手転向も検討されて内野手や捕手を務めたが、冬期に初めて本格的なウエイトトレーニングを行なうと筋肉が急激に成長し、3年の夏には140km/h近くまで球速が増した。 |
| ビデオで見た北別府学の投球フォームも参考になったという。 |
| 夏の静岡県大会は初戦で静岡西高校に4対5で敗れたものの、1年生の時から腕の振りを小田義人スカウトが評価していた事もあり、1988年のドラフト会議で近鉄バファローズに4位指名され、入団した。 |
| 契約金と年俸はそれぞれ3,000万円、400万円(金額はいずれも推定)だった読売新聞、1988年12月4日付朝刊、P.19。 |
リリーフ時代
| 近鉄では仰木彬監督の目に止まり、開幕は二軍だったものの5月3日の対ロッテ戦で一軍初登板を果たす。 |
| 初先発となった6月7日の対ダイエー戦では1回持たずにわずか14球でKOされたが、この経験をバネに練習を積んだ週刊ベースボール、2004年12月13日号、P.105。 |
| 翌は球宴明けから一軍に定着し、シュートを多用する山下和彦の強気のリードもあって21試合で4勝を挙げ中継ぎとして一定の成果を残しているNumber、1993年1月20日号、P.50。 |
| 3年目のは開幕から吉井理人とともにストッパーを任されるようになった週刊ベースボール、1997年3月31日号、P.120。 |
| 同年は6月16日の対西武戦で石毛宏典の打球が当たって右手の甲を骨折したが、立花龍司コーチとともにリハビリを行ない、9月に一軍に復帰してシーズンで9セーブを上げた週刊ベースボール、2004年12月13日号、P.106。 |
| なお、5月29日の対オリックス戦(日生球場)では延長11回表にドン・シュルジーに本塁打を浴びて敗戦投手となっている。 |
| これはパ・リーグがDH制を採用して以降、初の投手による本塁打だった。 |
| 一方で依然として先発転向の願望は強く、1997年オフにはハワイのウィンターリーグに先発として参加している週刊ベースボール、1999年3月8日号、P.30。 |
| 球団の要請で大塚晶文が一人立ちするまでという条件でもリリーフを務めることになり、年明けにパ・リーグの投手最高額となる1億8,500万円(推定)で近鉄では初の複数年となる2年契約を結んでいる朝日新聞、1998年1月18日付朝刊、P.23。 |
| しかし、右肩の故障と腰の張りで一軍登録は6月27日と同年は出遅れた。 |
| ロングリリーフを中心に中継ぎを務めてシーズン終盤には先発転向し、9月19日の対オリックス戦では自身2度目となる完封勝利を挙げている。 |
先発転向後
| 術後は早く投げたいという焦りを抑えながら、フロリダ州でリハビリに専念した週刊ベースボール、2004年12月13日号、P.107。 |
| は8月9日のウエスタン・リーグでの対サーパス戦で1年4ヶ月ぶりに実戦に登板した朝日新聞、2000年8月10日付朝刊、P.21が、一軍では3試合の登板に終わった。 |
| オフには年俸1億円(推定)で契約を更改している読売新聞、2001年1月25日付夕刊、P.3。 |
| 翌は4月8日の対オリックス戦に先発して723日ぶりの勝利を挙げるも、5月18日の対ロッテ戦で敗戦投手となると右肩の違和感から再び長期離脱を余儀なくされている。 |
| ヒジの痛みは解消していたが焦りから右肩に負担がかかっていたといい、以後は右肩痛が引退まで続いた。 |
| そのため、1989年に続いて2001年の近鉄リーグ優勝時にも、日本シリーズに登板せず、シリーズ未登板のまま現役を引退することになる。 |
プレイスタイル
| ストッパー時代は外角低めに集める150km/h近い速球を軸に、そこから出し入れするスライダーを武器に活躍した週刊ベースボール、2001年6月18日号、P.41。 |
| この2種類を同じところに投げ分けられる優れた制球力を持ち、さらにスライダーはそれぞれ縦と横に変化する2種類を使い分け、直球並みの球速があるシュートも投げていた。 |
| 抑えの1イニングであれば、このような力で押す投球が非常に有効だったという。 |
| 的山哲也は、現役時代の中で一番印象に残っている投手として赤堀を挙げている。 |
| 「ストレートもスライダーなどの変化球も、口で説明するのは難しいが本当に素晴らしかった。 |
| それが最多セーブの複数回獲得に繋がっていると思った。 |
| 」と語っている週刊ベースボール、「惜別球人」。 |
| イチローには相性が良く1994年からの4年間で25打数4安打(打率.160)に抑えていた週刊ベースボール、1998年4月6日号、P.136。 |
| ストッパーの仕事はルーチン的に感じる面もあったといい、「1点差なら緊張感もあるが、2点差なら1点取られても問題ないし同点で延長に入ってもいい」と冷静に投げていたと語っている。 |
| 一方で他の選手が勝ち試合を作った場面で送り出されるため、働きや信頼に応えようという気持ちになっていたという。 |
| 抑えの時は展開によって6回裏か7回表にウォームアップを行ない、その内容は直球8球、カーブ2球、スライダー3球、内角の直球を3球、シュートを2球、外角への直球を2球という合計20球に必ず決めており、登板直前に直球2球とスライダー1球を投げていたNumber、1994年9月1日号、P.5。 |
| 先発転向を強く望んだ理由としては、毎日肩を作る負担が大きかったこと週刊ベースボール、1999年3月8日号、P.29、役割やスタイルを変えてモチベーションを高めることや打者との駆け引きを楽しみたかったこと週刊ベースボール、2001年6月18日号、P.37を挙げている。 |
| 転向の際には、同じくストッパーから先発になった吉井理人に調整法などを相談し、野茂英雄からは打たれても気持ちを切らさず試合を壊すな、と助言を受けた週刊ベースボール、1999年3月8日号、P.28。 |
| また転向時にフォークボールを習得した吉井を見習い、カーブやチェンジアップなどをマスターして球種を増やし、緩急をつけた幅広いピッチングを心がけた。 |
| また、現役時代は山下和彦、光山英和、古久保健二の3人が捕手として併用されていた。 |
| それぞれの持ち味について、光山は強気のリード、古久保は外角中心のオーソドックスなスタイル、山下は両方を兼ね備えて臨機応変だったと述べている。 |
| それぞれ学ぶ点があり、いずれも投げやすかったという。 |
タイトル
| 最優秀防御率:1回(1992年)。 |
| 最優秀救援投手:5回(1992年-1994年、1996年、1997年)5度の受賞は佐々木主浩と並ぶプロ野球タイ記録。 |
表彰
| 月間MVP:1回(1994年6月)。 |
| ファイアマン賞:5回(1992年、1993年、1994年、1996年、1997年)。 |
記録
| 初登板:1989年5月3日、対ロッテオリオンズ5回戦(藤井寺球場)、9回表に救援登板・完了、1回無失点。 |
| 初奪三振:1989年5月27日、対オリックス・ブレーブス6回戦(西宮球場)、7回裏に藤井康雄から。 |
| 初先発:1989年6月7日、対福岡ダイエーホークス10回戦(平和台野球場)、1/3回2失点で敗戦投手。 |
| 初勝利:1990年8月26日、対オリックス・ブレーブス22回戦(西宮球場)、2回裏2死に2番手として救援登板、4回1/3無失点。 |
| 初セーブ:1990年9月8日、対日本ハムファイターズ25回戦(水戸市民球場)、6回裏に2番手として救援登板・完了、4回無失点。 |
| 初先発勝利:1990年10月18日、対ロッテオリオンズ26回戦(藤井寺球場)、5回1失点。 |
| 初完投勝利・初完封勝利:1992年10月5日、対福岡ダイエーホークス24回戦(藤井寺球場)、被安打3 奪三振4 四死球3。 |
| 100セーブ:1996年6月1日、対西武ライオンズ9回戦(西武ライオンズ球場) ※史上9人目。 |
| オールスターゲーム出場:3回(1992年-1994年)。 |
背番号
| 40(1989年-1991年)。 |
| 19(1992年-2004年)。 |
| 87(2005年-2009年)。 |
| 74(2010年)。 |
| 98(2011年-)。 |
関連項目
| 静岡県出身の人物一覧。 |
| 大阪近鉄バファローズの選手一覧。 |
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1970年
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赤堀 元之(あかほり もとゆき)は、静岡県藤... |
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1989年
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続いて2001年の近鉄リーグ優勝時にも、日本シ... |
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投票数
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