| 前135年、閩越王鄒郢が南越へ侵攻する事件が発生した。 |
| 王位を継承して間もない趙眜は民心が不安定であったことから、前漢武帝に上書し、閩越による南越攻撃を伝え、同時に漢朝による事件の処理を上奏した。 |
| 武帝はこの上奏に応え、王恢、韓安国を派遣し閩越討伐を計画した。 |
| しかし漢軍が南嶺を越える前に閩越王弟の余善は叛乱を起こし、鄒郢を殺害し前漢朝に帰順し、軍事行動は停止された。 |
| 武帝はその後余善立を新たな閩越王に封じ、中大夫厳助を南越に派遣し事件の善後策を講じた。 |
| これに深い感謝した趙眜は事件の処理が完了した後に自ら前漢に入朝し武帝に謁見すると厳助に伝えると同時に太子の趙嬰斉を前漢に送り宿衛とさせた。 |
| 厳助が帰国すると、武帝により漢朝にとどめ置かれ、南越が亡国となることを恐れた南越の大臣は趙佗の遺訓を以って趙昧に対し入朝中止を要請する。 |
| この要請を容れた趙昧は病気を理由に入朝を拒絶した。 |
| 前122年、趙眜が重病となると、太子の趙嬰斉をの帰国を前漢朝に上奏、薨去後は趙嬰斉により王位が継承された。 |