| 京都市東山区(現在の山科区域)に生まれる。 |
| 京都府立洛東高等学校に入学。 |
| 演劇部に所属し、ボクシングも習っていた。 |
| 高校演劇コンクールでは、銀賞を受賞している。 |
| 高校を卒業し、母親が一人で営んでいた小料理店を継ぐために老舗料理店で板前修行をする。 |
| 大広間で寝泊りし、5千円の給金を母親に仕送りし続けたが、いわゆる伝統的日本料理界の厳しさに嫌気がさし、3ヶ月で辞めてアングラ劇団「ドラマ工房」を作り活動する(「週刊文春」2001年10月25日号)。 |
| 実家「めなみ」は現在も木屋町にあり、甥が営んでいる。 |
| 京都の松竹でエキストラをしていた20歳のころ、助監督たちに「大船へ来ないか」と誘われ単身上京。 |
| 東京でエキストラをしていた1965年、新橋の喫茶店で、知り合いと打ち合わせをしていた現在の星野事務所代表と初めて会い、簡単な紹介を受ける。 |
| それから1年近くのち、『『エロ事師たち』より〜人類学入門』の坂本スミ子の息子役を見つけられずにいた今村昌平に、「関西弁ができて、なんか気が弱そうで、妙な色気がある。 |
| そんな若者いないかな」と相談を受けた星野が、近藤を思い出し、京都に戻っていた近藤にすぐに連絡をとり、今村に会わせたのがデビューのきっかけとなる。 |
| 既に映画はクランクインに入っていた。 |
| 今村は、会ったその夜に「あの子を探してたんだよ」と、礼を言ったという。 |
| のちに山本晋也が『カンゾー先生』を撮影中の今村に、昼食を共にしながら当時の近藤の話を聞いたところ、「うん、京都であんな良いのが“めっかる”とは思わなかった」と答えたという。 |
| (NHKラジオ第1『わが人生に乾杯!』より)。 |
| 続いて中島貞夫の監督昇進第一回作品『893愚連隊』の軟派なヤクザ役に抜擢。 |
| 中島はこの映画で京都映画祭監督新人賞を受賞。 |
| この映画のアフレコが明け方まで及んだ時、近藤がソワソワし始めたので何事かと聞くと、「僕、きょう新婚旅行ですねん。 |
| 行けますやろか」と答えたという話を中島は述懐している(『映像のスリットわが映画人生』芸艸堂)。 |
| ちなみに結婚40年を超える妻は、小学校の時からの幼なじみで同級生。 |
| 一度は準主役を射止めたものの、その後もしばらく東映京都などで仁侠映画や時代劇の端役が続く。 |
| この時期、まだ日当の仕事をしていたという。 |
| 当時、『懲役十八年』を劇場で見ていた山本晋也が「武闘派じゃない人がああやってニヤリと笑うから、凄みが出て怖いんだよね。 |
| それで覚えてんの」と話した時、「よく覚えてますねえ。 |
| 嬉しいなあ…」と感激した様子で答えている。 |
| (「わが人生に乾杯!」)。 |
| 1970年、大河ドラマ『樅ノ木は残った』の端役が決まり、NHKのプロデューサーに上京を勧められていた頃、『柔道一直線』の主人公(桜木健一)のライバル・結城真吾役が決まり、再び上京し出演したこのドラマで、1971年、一気に人気に火がつくことになる。 |
| 以後は『冬の雲』『春の嵐』『地の果てまで』と立て続けに出演。 |
| 1973年には大河ドラマ『国盗り物語』で後半の中心人物・明智光秀役を演じる。 |
| 映画でも『流れの譜』(1974年、監督:貞永方久)、新幹線の運転を妨害しようとする青年医師を演じた『動脈列島』(1975年、監督:増村保造)、『赤穂城断絶』(1978年)など。 |
| 『神津恭介シリーズ』などドラマ・舞台で活躍。 |
| 帝国劇場で上演の『ラ・カージュ・オ・フォール』では主人公のドラァグクイーン・ザザ役で妖艶な女装姿を見せた。 |
| 関西弁を話す愛嬌のある性格で、そのキャラクターから、バラエティ番組にも多く出演し、1985年-1987年にはABCテレビ制作(テレビ朝日系)『クイズなんでも一番館』の司会を務めたり、金鳥「キンチョウリキッド」のCMで、タヌキや河童の被り物をしたシリーズで長らく出演。 |
| トーク番組などではとぼけたところも見せ、旧知の仲である水谷八重子は「非常にシャイで、それを人に知られるのが恥ずかしいのね。 |
| タヌキのCMは皆さん驚かれたようだけど、私たちはみな、お茶目な面を知っていたから“あ、やったな”って思いましたよ」と話している。 |
| ただし、これを本人に言わせれば「カッコいいのもタヌキになってヒョーキンなのも、どっちも“嘘”なワケ。 |
| 僕にとっては同じことなんです」とのこと。 |
| (『婦人公論』1992年12月)。 |
| 青春時代に憧れた俳優はジェームス・ディーン。 |
| 彼の仕草などを随分研究したという。 |
| 中学時代からエルヴィス・プレスリーのファン。 |
| ラジオから流れてきた「ハートブレイク・ホテル」に衝撃を受けたのだという。 |
| 趣味は、釣りや陶芸、山菜採り。 |
| 1983年の日曜劇場『岐れ路』(脚本・金子成人)のロケで、初めて訪れた岐阜・郡上八幡の自然と、住む人々の人柄に魅せられたのがきっかけで、天野礼子、野田知佑らと共に自然保護運動にも参加し、パンダの着ぐるみを着てデモ行進をしたこともある。 |
| 海や魚をこよなく愛し、スクーバダイビングの経験も豊富、熱帯魚の飼育やアマゾン川での釣りなども行ってきたが、最近はもっぱら渓流釣り一本とのこと。 |
| アルコール飲料は本人曰く「全くダメ」。 |
| 好きな食べ物はお茶漬け、カニ。 |
| 嫌いな食べ物はチーズ。 |
| 大道芸人のギリヤーク尼ヶ崎と懇意で、近藤が彼に贈った幟は、毎回の大道芸の際に立てられるのが恒例。 |
| 父方の叔父に人間国宝で染付けの大家・近藤悠三(1902年-1985年)がいる。 |