| 大学時代は建築学を学んでおり、設計士になるのが夢だったという。 |
| そのためドラフト指名された当初は固くプロ入りを拒否していた。 |
| しかし地元福島へ帰る電車の中でスカウトが粘り強く説得した結果、入団にこぎつけたという。 |
| 「当時東北新幹線があったら遠藤は入団していなかっただろう」とはそのスカウトの弁である。 |
| 入団直後、当時の別当薫監督から不可解なサイドスロー転向を命じられ、二軍でフォーム改造に取り組んでいたが、当時の二軍投手コーチだった堀本律雄が転向を中止させ、別当には「フォーム改造中」とウソの報告を行ない、オーバースローのまま育て上げた。 |
| もし堀本がフォーム改造を中止させていなければ、後の活躍はありえなかったといわれる。 |
| 入団時はチーム名が大洋ホエールズから横浜大洋ホエールズへまさに変更した時であり、引退時は横浜大洋ホエールズから横浜ベイスターズへ変更を決めた時であった。 |
| つまり、遠藤の現役期間は『横浜大洋ホエールズ』の歴史と全く同じである。 |
| CDなどに収録されていた彼の応援歌は他の選手に比べて長い。 |
| 当時絶好調だった巨人のウォーレン・クロマティは、安打を打つたび投手に向かって自分の側頭をつつき、「お前らとはここが違うんだよ」とばかりに挑発していた。 |
| これに憤慨した遠藤は1986年、クロマティに対して決め球のフォークボールを投げると見せかけてストレートで三振にしとめ、ベンチに戻るクロマティに向かって得意げに頭をつついて見せた。 |
| この時、先にベンチに戻っていた捕手の若菜嘉晴も同じく頭をつついて見せている。 |
| その行為にクロマティは激怒。 |
| 代名詞と言われた切れ味鋭いフォークボールは入団後にベテラン捕手の辻恭彦と共同開発で磨き上げた。 |
| 辻は阪神在籍時に村山実のフォークを受けており、この時の経験を全て遠藤に伝えた。 |
| 全盛時のフォークは「わかっていても打てない」と恐れられていたが、実は阪神や巨人には事前にサインがばれていた。 |
| 悩んだ末に「わかっていても打てないフォークを投げればいい」と三種類のフォーク(カウントを取る、空振りを取る、内野ゴロを打たせる)を編み出した。 |
| ちなみにフォークがばれていたのは遠藤自身のクセではなく、当時のレギュラー捕手福島久晃の構えによるもので、フォークを投げる時には三塁コーチから口笛や声で打者に伝達されていたという。 |
| 遠藤の引退試合は消化試合での巨人戦であったが、最後の勇姿を見ようと詰め掛けたファンで横浜スタジアムは満員となる。 |
| 最後にバッテリーを組んだ先発捕手は、東海大時代からの後輩、市川和正であった。 |
| 2回を無失点、140km/hを超えるストレートとフォークで有終の美を飾った。 |
| 引退セレモニーではチームのほとんどの選手が涙で引退を惜しみ、1年先輩の斉藤明夫とは、共に号泣して抱き合った。 |
| なおこの試合は「横浜大洋ホエールズ」としての最後の試合でもあった。 |
| 同い年、そして同じ福島の生まれであった江川卓を学生時代から常にライバル視していた。 |
| 「江川は初恋の人以上の存在」とは遠藤本人の弁である。 |
| そのものズバリ、著書に『江川は小次郎、俺が武蔵だ!』(1986年刊)を書いた程。 |
| 通算勝利数も、24歳でプロ入りし9年間でマウンドを去った江川が135勝、アキレス腱断裂などもあり遠藤が1つ及ばない134勝、また1980年代の奪三振数は1位遠藤の1357個で2位が江川の1228個だったが、遠藤の1988年と1989年(江川引退以降)の奪三振を抜くと1221個となり運命的とも言うべき数字となった。 |
| 引退直後の1993年、竣工したばかりの横浜ランドマークタワーのテレビコマーシャル(三菱地所)に、その知的な風貌からスーツを纏ったビジネスマンの役で出演していた。 |
| また、『半熟卵』(1994年・フジテレビ系)、『愛とは決して後悔しないこと』(1996年・TBS系)とテレビドラマにも出演歴がある。 |
| 横浜二軍コーチ時代の1998年10月8日、一軍が阪神甲子園球場で38年ぶりのリーグ優勝を決めた。 |
| このとき遠藤は同じく二軍打撃コーチだった田代富雄と共に、横浜スタジアムで行われたパブリックビューイング(PV)に駆けつけた。 |
| 優勝決定の瞬間を迎えると、感極まった遠藤はグラウンド内で人目をはばからず号泣。 |
| PVの司会であった玉置宏がそれを見て、「遠藤が泣いております。 |
| 」とアナウンスすると、不遇の時代をエース・四番として支えた両名に集まったファンから歓声が起きた。 |
| やくみつるは歴代の大洋・横浜の投手の中でも遠藤を深く尊敬している。 |
| これは江川事件でアンチ巨人を公言していたものの応援するチームがなかった際、当時連載していた漫画誌の編集長に連れられて横浜スタジアムの試合を観戦した時、遠藤が巨人相手に好投したのがきっかけで大洋ファンになったからである。 |
| そのため遠藤の引退試合には友人達と「EndohisourGod.(遠藤は私達の神様だ)」と書かれたTシャツを着て観戦した。 |
| また遠藤が打席に立っている折に遠藤がアキレス腱に古傷を抱えているのを承知の上でホームスチールを敢行して成功させた高木豊に対して激怒。 |
| また遠藤の引退試合を高木が打率3割維持のため欠場したこともあり、以後公然と「アンチ高木」を唱えるようになった。 |