| 曹操が郭嘉に河北において大勢力を有する袁紹への対応を相談したところ、郭嘉は「公には十の勝因があり、袁公には十の敗因があります。 |
| それは道・義・治・度・謀・徳・仁・明・文・武でございます」と言った。 |
| それ即ち、「道」においては面倒な礼・作法に縛られる袁よりは自然体である曹が優れており、「義」においては天子に逆する袁より奉戴を目指す曹が優れており、「治」においては寛(締りの無さ)を以て寛を救おうとする袁より厳しい曹が優れており、「度」においては猜疑心と血縁で人を用いる袁より才能を重んずる曹が優れており、「謀」においては謀議ばかりして実行しない袁より曹が優れており、「徳」においては上辺を飾る人々が集まる袁より栄達と大義を目指す曹のほうが優れており、「仁」においては目に触れぬ惨状を考慮出来ぬ袁より曹が優れており、「明」においては讒言がはびこる袁より曹が優れており、「文」においては信賞必罰な曹は袁より優れており、また、「武」においては虚勢と数を頼みにする袁より要点と用兵を頼みにする曹は優れているのである、といった論旨であった。 |
| 同時に、袁紹の北進と勢力拡張に合わせて曹操に呂布を撃破するよう進言した(以上、『傳子』)。 |
| 劉備が曹操の元に逃れてくると、曹操は劉備を豫州牧に任命した。 |
| ある人が曹操に対し、劉備を殺害するよう進言したが、郭嘉は高名な劉備を殺害することにより、曹操の評判が落ち、賢者が曹操に仕官することをためらうことを重視して、それに反対し、曹操に喜ばれた(『魏書』、ただし『傳子』によると郭嘉は劉備の殺害を進言している)。 |
| 198年、曹操が呂布を討伐した際、下邳に籠城する呂布を攻めあぐね、曹操が退却を決意しかけた時、荀攸とともに(「荀攸伝」)攻囲を継続することを主張し、沂水と泗水の水を引いて水計を行う進言をした。 |
| 郭嘉曰く、「呂布の参謀の陳宮は知謀がありますが優柔不断で謀がなかなか定まりません。 |
| 奴の謀が定まらない今はまさに好機にございます。 |
| 沂水と泗水の水を引いて水計を行うのです」。 |
| 水計が実行されると、水攻めにあった呂布の軍は戦意を喪失して瓦解した「武帝紀」によると、建安3年(198年)冬10月から11月頃のこと。 |
| 呂布はこの戦いで捕らえられ、縛り首となった。 |
| 曹操は徐州を得た。 |
| 曹操は袁紹と一触即発の状況にあったが、このとき、袁術が北上し青州の袁譚と徐州で合流しようとしていた建安4年(199年)。 |
| 曹操は袁術に備えるため、曹操は徐州に劉備を派遣しようとした。 |
| 郭嘉は程昱と共に車で曹操の元を訪れその措置に反対した。 |
| 結局、劉備は叛いたため、曹操は後悔したという(『傳子』、「武帝紀」)。 |
| 曹操は劉備を討伐しようと考えたところ、人々は袁紹に背後を襲われることを心配してそれに反対したが、郭嘉は袁紹が決断を欠く人物であるから迅速に行動できないと判断して、劉備を討つことを勧めた。 |
| これは曹操の考えとも一致するところであったので「武帝紀」建安5年(200年)春正月、曹操は劉備を攻撃し、敗走させた。 |
| 袁紹はやはり攻撃してこなかった。 |
| 200年、ようやく南下を開始した袁紹と曹操は一大決戦に及んだ(官渡の戦い)。 |
| 郭嘉もこの戦いに従軍した。 |
| 曹操が袁紹と官渡で対峙している最中、孫策が許都を急襲する構えを見せ、人々は戦々恐々となった。 |
| だが郭嘉は孫策が江東制圧を急ぐあまりに苛烈な粛清を行って多くの人間から恨みを買っており、それを警戒してもいないため、近いうちに暗殺されるだろうと予測した。 |
| 果たして孫策は狩猟中にかつて殺害した許貢の食客に襲撃されて重傷を負い、これがもとで命を落とした。 |
| 官渡の戦いで敗れた袁紹は病没した後、袁譚と袁尚が袁家の後継をめぐり争った。 |
| 曹操は内紛につけこんで袁譚・袁尚と黎陽で戦い、これを破った。 |
| 一気に袁家を滅ぼそうという諸将に対し、郭嘉は次のように語った。 |
| 「袁紹は、袁譚と袁尚のどちらが後継者か指名しないまま死んだので、このまま攻撃して両者を団結させずとも、放っておけば後継者争いを始めます。 |
| 南の劉表を討伐すると見せかけて変化が起こるのを待つのがよいでしょう」。 |
| この言を採用して曹操が撤兵し、劉表を攻撃するため西平に出兵すると、たちまち袁家は骨肉の争いを始めた「武帝紀」によると、曹操の西平出兵は建安8年(203年)秋8月。 |
| 後継者争いに敗れ平原に落ち延びた袁譚が辛毗を派遣して曹操を頼った。 |
| 郭嘉は辛毗と対面し、その使者としての役割を果たすことに協力した(「辛毗伝」)。 |
| 曹操は袁譚の降伏を受け入れ、袁尚を破り鄴を陥落させた後、約束違反を咎めて袁譚を攻撃し、南皮で斬り、冀州を平定した。 |
| 郭嘉は洧陽亭侯に封じられた。 |
| 郭嘉は北方の人材を曹操の元に集めるのに功績があったという(『傳子』)。 |