| 栗栖トレーニングジムで半年間トレーニングを積み、1990年6月に入門。 |
| 11月7日に和歌山・岩出町立町民総合体育館での小原道由戦でデビュー。 |
| 当初から「生涯一ジュニア(ヘビー)」を宣言する。 |
| 1991年にメキシコに武者修行へ行きタイガーマスクに酷似した覆面をかぶり「キング・リー」と名乗っていた。 |
| 、1992年に帰国後「3代目タイガーマスク」に抜擢されるが、自身のスタイルとアクロバットを主体とするタイガーマスクとのギャップに悩み、1年もしないうちに覆面を脱いだ。 |
| その後は米国遠征を経て心機一転。 |
| タイガーマスク時代に磨きを掛けた蹴りと空中殺法にラフ殺法を織り交ぜ、開花。 |
| 1995年にはIWGPジュニア、UWAジュニアの2冠王者となった。 |
| 1997年頃になると、よりハードヒットな打撃やラフ殺法といったケンカファイトに磨きを掛け始める。 |
| この金本の一貫した激しいファイトスタイルや試合内容が徐々に新日ファンの支持を集めていき、1999年~2000年頃にはジュニアという枠を飛び越え、女性を中心に新日レスラーの中でも屈指の会場人気を誇るようになる。 |
| この頃には金本が入場時に女性ファンから多くの花束を貰うのが定番になっていた。 |
| 2003年11月3日の村上和成戦で負傷。 |
| 2004年はG1CLIMAXにも初出場した。 |
| 2005年12月、現在の新日本に対しての極度の不満や問題を感じつつ、試合を続けていたことを告白。 |
| 井上亘を巻き込む形で、2か月近く会社と揉め続けたが結局は残留した。 |
| 2006年5月3日、福岡国際センターでは、第49代目IWGPジュニアヘビー級王座であるタイガーマスクをファルコンアローで破り3年ぶり5度目のIWGPジュニアヘビー級王座に君臨。 |
| しかし5月から6月にかけて行われたベスト・オブ・ザ・スーパージュニアXIIIでは、タイガー、井上亘に敗れ4大会ぶりに決勝トーナメントに進めなかった。 |
| 8月にはG1CLIMAXに出場し、初めて決勝トーナメントに進出。 |
| 準決勝で全日本プロレスの小島聡に敗れ決勝進出はならず。 |
| 10月8日にベスト・オブ・ザ・スーパージュニア初優勝を遂げた稔とIWGPジュニアヘビー級王座を賭け対戦し、アンクルホールドで見事タップを奪い防衛に成功。 |
| G1TAGLEAGUEでは棚橋弘至とタッグを組んで準優勝という戦績を収めた。 |
| 2007年2月18日、両国国技館においてジュニア選手として史上初となるIWGPヘビー級王座に挑戦。 |
| 王者・棚橋弘至と互角の戦いを繰り広げるも、最後はドラゴン・スープレックス・ホールドでピンフォール負けを喫した。 |
| 2009年2月12日にDRAGONGATEに乗り込みB×Bハルクに勝利を収めると3月22日に土井成樹が所持するオープン・ザ・ドリームゲート王座に挑戦するも、マスキュラーボムで沈んだ。 |
| 5月6日、プロレスリング・ノアへ獣神サンダー・ライガーと共に乗り込み金丸義信、平柳玄藩組と対戦。 |
| 自らを仲本工事とわざと名前を間違える平柳をアンクルホールドでギブアップを奪い勝利。 |
| 6月に行われたベスト・オブ・ザ・スーパージュニアではライガー、田口隆祐、タイチ、飯伏幸太らから勝利を収めBブロックを1位通過し、決勝戦ではプリンス・デヴィットに変型アンクルホールドで勝利し、V3を達成。 |
| 7月20日にIWGPジュニアヘビー級王者であるタイガーマスクとベルトを賭け対決するもデストロイ・スープレックス・ホールドで敗れた。 |
| 12月にSUPERJ-CUP1回戦でフジタ"Jr"ハヤトと対戦。 |
| 激しい打撃戦を制し2回戦進出を果たすも、田口隆祐に敗れベスト8に終わった。 |
| 2010年5月8日、SUPERJTAGにエル・サムライと共にエントリー。 |
| 決勝で田口、プリンス・デヴィット組との激闘を繰り広げ、優勝。 |
| 同時に第25代IWGPジュニアタッグ王座に君臨。 |
| 7月19日に同タッグチームと初防衛戦を行ったが、サムライがピンフォールを奪われ、同王座に陥落した。 |
| 2011年の契約を年間試合数を半減することで更改した。 |
| 理由として「連チャンで試合数をこなすより、要所要所の方がガッツリ行ける。 |
| そのほうが気持ちを入れやすいし、プロレスを楽しみたい」と今後は地元神戸・兵庫をメインに限定出場の形をとることになった。 |
| 本人はモチベーション維持の為であり、年齢・肉体面の問題は無いと主張し、新日本プロレスのシリーズに帯同しない間は、他団体への積極参戦も見据えている。 |