1722
1826
23632
%E9%87%91%E6%B3%B3%E4%B8%89
%E9%87%91%E6%B3%B3%E4%B8%89
%E9%87%91%E6%B3%B3%E4%B8%89
%E9%87%91%E6%B3%B3%E4%B8%89
%E9%87%91%E6%B3%B3%E4%B8%89
0
|
他の画像検索結果
他人の画像が選択されている・混じっている場合
画像候補は人物名で顔画像を検索したものです。
人物として適切でない画像も含まれてしまう可能性があります。
適切な画像になるよう 金泳三の画像検索結果ページで修正できます
|
|
ネットワーク
|
タグ
キーワード
|
|
|
|
|
|
プロフィール
- 金泳三とは
- 大統領になるまで
- 内政
- 外交
- アジア通貨危機
- 退任後
- 逸話
- 関連文献
- 外部リンク
- 関連サイト
金泳三( キム・ヨンサム、1927年12月20日-)は、大韓民国の政治家。元大統領(在任1993年-1998年)。本貫は金寧金氏。号は「巨山」(コサン、)。略称はYS。実家は網元。植民地時代における創氏改名時の日本名(1945年まで)は金村康右(かねむらこうすけ)。日本語読みでは「きんえいさん」。早稲田大学特命教授。称号は名誉法学博士(早稲田大学)。
大統領になるまで
| 1952年に張沢相国務総理(当時)の秘書官に就いたのを経て、1954年第3代国会議員選挙で自由党候補として巨済にて立候補して、当時の最年少国会議員として当選、政界入りする。 |
| 後に、自分のもとを訪れた日本の大学生達に「反日の話を相当しないと、当選できないような時代だった」と述懐した事がある。 |
| 議員となって以後、長らくは野党の立場で活動し、軍事政権時代にはニューヨーク・タイムズ紙記者とのインタビュー記事等をめぐり国会議員除名(金泳三総裁議員職除名波動)となったり(1979年)、自宅軟禁を受けたりといった弾圧を受けたりもしたが、1970年代から1980年代にかけて金大中とともに代表的な野党政治家の一人であった。 |
| 1985年3月6日に全斗煥大統領により政治活動を解禁される |
| 1987年に全斗煥の退任に伴って行われた第13代大統領選挙にて金泳三と金大中が共に盧泰愚に敗北した後、1990年に、盧泰愚、金鍾泌と手を握り、三党合同に参加することとなる(盧泰愚の民主正義党、金鍾泌の新民主共和党、金泳三の統一民主党が合同し、巨大与党である民主自由党が誕生した)。 |
| この後、民主自由党の大統領候補となり、1992年の第14代大統領選挙にて大統領に当選した。 |
内政
| 朴正煕政権以来32年間続いていた軍事政権は消滅し、金泳三政権は文民政権と呼ばれることになった。 |
| 金泳三は軍部政権の残滓を徹底して排除するため、軍内の派閥「ハナ会」を潰し、会員を退席させるなど、軍の改革を進めた。 |
| また、野党政治家や政治運動家などを積極的に登用し、国家安全企部長、外務大臣、統一院長官などに大学の教授を迎えた。 |
| さらには、高級官僚の不正の追及にも乗り出し、大法院院長や検事総長、警察庁長官などが辞任することになった。 |
| 政治と経済の癒着を嫌悪し、「任期中はいかなる献金も受け取らない」と宣言、質素さをアピールするため、「青瓦台での昼食はカルクッス(韓国式うどん)にする」と明言したカルクッスは朴正煕の好物でもあり、これが朴の清廉さという評判の一因にもなっていた。 |
| ただ、金政権の側近には不評で、青瓦台付近の焼肉屋がこのおかげで繁盛したという。 |
| 経済面でも、不正の温床となっている仮名口座での金融取引をなくすため、「金融実名制」を実施した。 |
外交
| 金泳三政権は「歴史の立て直し」を主張し、行動した。 |
| まず、対北朝鮮の懸案となっていた非転向長期囚李仁模を1993年3月19日に北朝鮮に送還した。 |
| 次いで、1993年8月には旧朝鮮総督府の解体を決定。 |
| 1995年8月15日には解体が行われた。 |
| 1993年3月19日に北朝鮮が核拡散防止条約から脱退し、朝鮮半島全土に核危機が訪れるが、危機回避の会談はアメリカと北朝鮮間のみで行われ、韓国は一切手出し出来なかった。 |
| 1994年7月8日に金日成が死去すると、金泳三政権は哀悼の意も表明せずに全軍に厳戒態勢を指示し、弔問のため訪朝しようとした勢力を弾圧。 |
| 朝鮮半島情勢が一時期悪化した。 |
| 日本に対しては、常にその歴史認識を問題にし、1995年には当時の中国の江沢民国家主席との会談の中で、「日本のポルジャンモリの悪い癖を直してやる!」などと発言したこともあり、常に反日的な姿勢を顕著にしていた(「ポルジャンモリ」とは、日本語で「バカたれ」などに相当する、上の立場の者のが下の者を叱る韓国語の俗語)。 |
| この発言自体に対しては韓国内からも批判の声が上がった。 |
| また、現在まで続く両国の領土問題である竹島問題についても任期中の1995年に政府として強硬態度を打って出た。 |
| この際、韓国政府は「日本をしつけ直す」と、自らの立場が上であるとの自負のもとに大々的にキャンペーンを行い、韓国国内では歓喜をもって迎えられた。 |
| 就任前後に日本で高まった統一教会による誘拐事件への対応では日本側に不興の声も上がった。 |
| また、いわゆる「光復」50周年を記念して行われた歴史立て直し事業では、上述の旧朝鮮総督府解体のほか、風水に基づく全国規模での鉄杭除去などを推進した。 |
アジア通貨危機
| 任期終盤の1997年、東アジアや東南アジア各国を襲った経済危機(アジア通貨危機)にて、韓国も起亜自動車の倒産を皮切りに経済状態が悪化。 |
| 国際通貨基金(IMF)の援助を要請する事態となったことは韓国国民からは恥辱的とも受け取られ、そのまま任期で大統領を退任する。 |
| IMFの指導を受け入れる前、日本から単独金融支援を獲得して事態を彌縫しようとつとめたが、これは拒絶された。 |
| このような経済政策の失敗から、1999年6月3日午前には日本に向けて出発しようと金浦空港に着いて沿道の人々と握手をしていた時、71歳の男がペンキ入りの卵を彼の顔に炸裂させるという事件が起きた。 |
| 金の顔とスーツが真っ赤に染まった姿は世界中に配信され、男は「金融危機を招き、国を危機に陥れた罪を償い、深く反省しなければならない」と叫びながら、「IMF事態にまで国を滅ぼした金泳三は、国民に対して謝罪しなければならない」という内容のビラをばら撒いていた。 |
| この事件には、一部の国民の間には拍手を送るような雰囲気すら感じられた。 |
退任後
| 直情径行の面があり、退任後の行動などでも韓国国民の不評を買う場面もあり、現在の韓国内の評価は高くないとも言われる。 |
| 2002年より早稲田大学の特命教授に就任。 |
| 公共経営研究科への特別講義や大学全体への公開講演会の開催など年に約2回の訪日時には、本人は「もう大分忘れてしまった」と謙遜気味に語ってはいるが、流暢な日本語での講義を受け持っており、テレビ出演もしている。 |
逸話
| 韓国マスコミでは金大中が「智将」とされるのに対して、金泳三は「徳将」と呼ばれる。 |
| ほとんど読書をしないので有名。 |
| そのため発言には稚拙な部分が多いといわれている。 |
| ただし読書はしないが多数の著書を出しており、「金泳三の出した本の数と金大中の読んだ本の数は同じ」といわれる。 |
| 外遊先でも毎朝のジョギングを欠かさないことでも有名だった。 |
| 祖父が当時としては珍しいクリスチャンで教会に通っており、母1960年5月24日に、侵入してきた北朝鮮のスパイに殺害される。 |
| も教会で仕事をしていたこともあり、敬虔なプロテスタント教徒として知られる。 |
| 就任当初ネオン街追放に乗り出したのはその熱心な信仰が原因と言われている。 |
| 好きな飲み物はバナナ牛乳。 |
| 対日強硬派のイメージがあるが、対日穏健派とみられていた後任の金大中が公式な場は勿論、私的にもほとんど日本語を話さないことにしていたのに対して、上記の早稲田大学での講義や日本人ジャーナリストとのインタビュー等では、基本的に日本語で対応する。 |
| 小泉元首相の靖国神社参拝には反対姿勢を表明し、戦犯をリストから除名するのは「問題ない」とコメントしている。 |
| 盧武鉉を見出したのも彼であるが、後年のJNN報道特集記者団とのインタビューでは「彼を政治家にしたのは大きな間違いだった」と発言している。 |
| 当初は北朝鮮に対して宥和姿勢で臨み北朝鮮も久々の文民出身大統領であることから非難を差し控えていた。 |
| しかし、党内強硬派の圧力が強まるに従い対北朝鮮強硬姿勢に転じたため、平壌放送で「人間のくずの金泳三」と放送されたことがある。 |
| 同時に(就任後時間が経ってから)お決まりの「反動」規定を受けた。 |
| 金大中大統領が南北首脳会談の実績によってノーベル平和賞を受賞した際に「ノーベル賞の権威は地に落ちた」と批判したことがある。 |
| これは1994年に行われるはずだった南北首脳会談が金日成の急死によって開催できなかったことと仮に開催できていれば金泳三自身がノーベル平和賞を受賞していた可能性があることも背景として挙げられる。 |
| 2000年10月13日、高麗大学校政経学部政治学科の教授の招待によって、大統領学という講義で特別講演をする予定だった。 |
| しかし、キャンパスに到着した午前11時頃、総学生会の主催で集まったメンバー約150人余りが「IMFを招いたYS(泳三)、我々はあなたを招待した覚えはない」などの立て看板が掲げて正門に立ちはだかり、12時間以上もの間、金泳三が乗った車を学校に入れないようにした。 |
| こうして、車の中で籠城した挙句、講義ができないまま帰宅させられてしまった。 |
| 応接間には、故郷の巨済島の港町を描いた洋画が飾られており、日本人記者団に「私は死んだら、ここに埋めてもらうつもりです」と語ったことがある。 |
| 孫命順夫人とは、大学生時代に知り合い、恋愛結婚だったテレビ番組『平成日本のよふけ』出演時に発言。 |
| 日韓国会議員サッカー大会の前日に山本順二を自宅に招き日本語で会話するなど、日本とは非常に親しい関係である。 |
関連文献
| 『私とわが祖国の真実』記録社、1985年。 |
| 『新韓国の創造』姜尚求訳、東洋経済新報社、1994年。 |
| 『新韓国21世紀へのビジョン』玄于享訳、エムティ出版、1993年。 |
| 木村幹『韓国現代史 大統領たちの栄光と蹉跌』中公新書、2008年。 |
| 池東旭『韓国大統領列伝 権力者の栄華と転落』中公新書、2002年。 |
| 尹昶重『金泳三大統領と青瓦台の人々 韓国政治の構造』平井久志訳、中央公論新社、1995年。 |
| 小林慶二『金泳三 韓国現代史とともに歩む』 原書房、1992年。 |
|
1927年
|
金 泳三(キム・ヨンサム)は、大韓民国の政... |
|
1952年
|
張沢相国務総理(当時)の秘書官に就いたのを... |
|
投票数
0
| ふりがな |
|
| 性別 |
|
| 出身地 |
|
| 生年月日 |
|
| 血液型 |
|
| 職業 |
|
| 所属 |
|
| Twitter |
|
|
|
|
|
|
|
|
つながりの強いひと
|
|
金大中
大韓民国の政治家、第15代大統領(在任:1998年-2003年)。本貫は金海金氏。号は「後廣」(フグァン、)。ニックネームは忍冬草。略称はDJ。日本時代は豊田大... |
|
|
盧武鉉
大韓民国の政治家、第16代目韓国大統領(2003年-2008年)。本貫は光州盧氏。カトリック教徒で、洗礼名はユストゥスだが、妻は仏教徒で遺骨も実家近くの仏教寺... |
|
|
キム・ヨンサム
「キム・ヨンサム」で始まる言葉 - 辞書すべての検索結果 すべて 国語 類語 英和 和英 中日 日中 国語辞書 の検索結果 1~1 / 全1件 キム‐ヨン... |
|
|
盧泰愚
大韓民国の軍人・政治家。第13代韓国大統領(在任:1988年-1993年)。2011年現在最後の軍人出身の大統領。号は「庸堂」(ヨンダン、)。 |
|
|
全斗煥
大韓民国(韓国)の軍人、政治家。韓国第11・12代大統領(在任:1980年-1988年)。号は「日海」(イレ、)。日本では、漢字の日本語読みで「ぜん・とかん」と... |
|
|
朴正煕
大韓民国の軍人・政治家。クーデターで政権を奪取して第5-9代大統領(在任:1963年-1979年)を務め、軍事独裁・権威主義体制を築いた。号は「中樹」(チュン... |
|
|
金鍾泌
大韓民国の政治家。忠清南道扶余郡出身。号は雲庭(ウンジョン、)。金泳三・金大中とともに韓国政治史上に三金時代を築いた。5・16軍事クーデターの中心人物... |
|
|
李明博
韓国の政治家。現第17代大統領、元ソウル市長。日本の大阪府大阪市平野区出身。1945年までの日本での通名は月山明博(つきやまあきひろ)。本貫は慶州李氏。... |
|
|
金日成
朝鮮半島の抗日運動家・革命家で、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の政治家、軍人。1948年から1972年までは同国の首相であり、1972年から1994年に死去する... |
|
|
李承晩
朝鮮の独立運動家で、大韓民国の初代大統領(在任1948年-1960年)。本貫は全州李氏。号は「」(ウナム、)。字は「承龍」(スンニョン、)。日本ではかつて「... |
|
|
李会昌
韓国の政治家。本貫は全州李氏。カトリック教徒で、洗礼名はオラフ。号は俓史(キョンサ、) |
|
|
崔圭夏
大韓民国第10代大統領。号は「玄石」(ヒョンソク、)。字は「瑞玉」(ソオク、)。日本統治時代に使用した日本名は梅原圭一(うめはらけいいち)。 |
|
|
江沢民
中華人民共和国の政治家。鄧小平引退後の中華人民共和国の最高指導者で、中国共産党中央委員会総書記、中華人民共和国主席、中国共産党中央軍事委員会主席、... |
|
|
高建
高建(コ・ゴン、1938年1月2日-)は韓国の政治家。ソウル出身。同国首相(第30・35代)。 |
|
|
朴正熙
朴正熙、最後の一日 ――韓国の歴史を変えた銃声 趙甲済 著 / ベ・ヨンホン 訳 1979年10月26日の大統領暗殺に至る最後の24時間を綿密な取材により再構成。... |
|
|
姜尚求
『 板門店 』 著者: 李浩哲 /姜尚求 出版社: 作品社 サイズ: 単行本 ページ数: 194p 発行年月: 2009年05月 【内容情報】(「BOOK」データベースより) ... |
|
|
金賢哲
拡大写真 出馬宣言した金賢哲氏=23日、巨済(聯合) 金泳三(キム・ヨンサム)元大統領の二男、金賢哲(キム・ヒョンチョル)氏が22日に記者会見し、第18... |
|
|
木村幹
日本の政治学者、神戸大学教授。専門は比較政治学、朝鮮半島地域研究。博士(法学)。大阪府河内市(現・東大阪市)生まれ。京大での指導教授の木村雅昭と血... |
|
|
金九
朝鮮の指導者・教育家,韓国の政治家・右翼運動家。本名は金昌洙(、キム・チャンス)、改名して(キム・グ、漢字表記は金龜または金九)、幼名は昌巖(、チャ... |
|
|
金泳三さんについてのひとこと紹介
|
|
|
|