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プロフィール
- 鈴木善幸とは
- 前半生
- 大平の急死
- 鈴木政権
- 晩年
- 略歴
- 栄典
- 著書
- 参考文献
- 関連項目
- 関連サイト
鈴木善幸(すずきぜんこう、1月11日-7月19日)は、日本の政治家。位階勲等は正二位大勲位。郵政大臣(第15代)、 内閣官房長官(第26代)、厚生大臣(第43代)、自由民主党総務会会長(第15・17・23代)、農林大臣(第48代)、自由民主党総裁(第10代)、内閣総理大臣(第70代)などを歴任した。
前半生
| 岩手県下閉伊郡山田町のアワビ、スルメ漁、水産加工業を営む網元の家に生まれた。 |
| 水産学校を経て水産講習所(後の東京水産大学・現東京海洋大学)に入学、学生時代の弁論大会で網元制度の前近代性に疑問を投げかける主張を行ったこともあり、就職時には思想傾向を理由に不採用になったこともある(共産主義思想と見なされた)。 |
| 大日本水産会、全国漁業組合連合会、県漁業組合連合会などに勤務したのち、に日本社会党から第23回衆議院議員総選挙に出馬、初当選。 |
| 後、社会革新党を経て吉田茂率いる民主自由党に移り、以後保守政治家となる。 |
| 池田勇人の宏池会に所属。 |
| 池田に可愛がられたこともありサンデー毎日、1980年7月27日号181頁--->、その後はトントン拍子に保守政界での地位をのぼりつめるサンデー毎日、1980年7月27日号181頁。 |
| 1960年第1次池田内閣の郵政大臣として初入閣。 |
| 第3次池田内閣改造内閣では内閣官房長官に就任するが、すぐに池田首相が病気で退任を受けた第1次佐藤内閣で前内閣のメンバーが留任させる居抜き内閣を取る中、官房長官人事のみ佐藤派の橋本登美三郎を就任させたため、退任となった。 |
| その後、改造内閣では官房長官退任となった代わりとして厚生大臣に就任した。 |
| その後、福田赳夫内閣で農林大臣などを歴任。 |
| 党総務会長を10期務めるなど、裏方で力を発揮する調整型の政治家とみなされていた。 |
| 一方では岩手県田老町にグリーンピアを地元選挙区に建設したり、当初の計画では仙台駅までの予定であった東北新幹線を構想を発表する直前の段階で地元の盛岡駅まで延伸させるよう強い圧力をかけたとされるなど利益誘導による地元還元をする政治家としての側面も存在した。 |
大平の急死
| 大平が死去したとき、伊東正義官房長官が内閣法の規定により首相臨時代理を、西村英一自民党副総裁が総裁臨時代行を務めたが、選挙は主流派を代表する形で、総務会長の鈴木善幸が財界との交渉も含め取り仕切った。 |
| 鈴木は総理を目指すのではなく、大平を総理にすることに努力してきた人間であったただし鈴木は大平首相が緊急入院した際、暗に大平の自発的な退陣を求める発言をし、病床の大平を「浅薄な腹黒者。 |
| 不謹慎極まりない」と激怒させている。 |
| 選挙が圧勝で終わったとき、不信任の可決から始まった騒動だけに、大平を追い込んだ形となった河本敏夫、福田赳夫ら反主流派が名乗りを上げるのは困難だった。 |
| 有力候補の1人だった内閣官房長官の伊東正義は大平の親友であり、「親友が亡くなったばかりなのに、とても首相になる気はしないよ」と固辞。 |
| 西村副総裁は選挙で落選したため首相候補から外れ、田中派は依然として総裁を出しにくく、また中曾根康弘は不信任案に反対したものの、キング・メーカーであった田中角栄の信頼をまだ勝ち取っていなかった。 |
| こうして、引き続き大平派から総裁を出すのが自然な流れとなったが、派の総裁候補の筆頭宮澤喜一を田中は好まず、また大平との関係もやや疎遠だったことがマイナスに作用した。 |
| 結果として大平・田中連携の要の位置にあった鈴木が大平政権を継承する形で総理・総裁の座に就任することになった。 |
| 鈴木は、大平の初盆の日に、自民党両院議員総会で総裁に選出されたとき、「もとより私は総裁としての力量に欠けることを十分自覚している。 |
| しかし、その選考の本旨に思いを致し、総裁の大役を引き受ける決意をした」と、異例の挨拶を行った。 |
| なお、後に鈴木は「カネを一銭も使わないで総裁になったのは、僕がはじめてじゃないか」と述べている升味準之輔著『日本政治史4』。 |
| なお、日本社会党在籍経験のある内閣総理大臣としては、片山哲以来であり、社会党在籍経験のある初めての自民党総裁である。 |
| 首相に選出された際、海外での知名度不足からアメリカのメディアに「ゼンコーフー?(Zenkowho?)」と言われた。 |
| 明治生まれとしては、最後の内閣総理大臣である。 |
鈴木政権
| 自民党ではハプニング解散まで引き起こした党内抗争を倦む空気が強かったこともあり、鈴木は「和の政治」をスローガンに掲げた。 |
| 財政収支が悪化していた国庫財政を立て直すため、財政改革では1984年(昭和59年)までの赤字国債脱却を目標としながら増税論を抑えてながら無駄な支出の削減するという方針を示し「増税なき財政再建」を掲げた。 |
| 第二次臨時行政調査会(会長土光敏夫)を発足させ、伴食大臣にみなされがちな行政管理庁長官に「ポスト鈴木」に意欲を燃やしていた中曽根康弘を充てるなど人事調整も巧みであった。 |
| 様々な派閥及び族議員による支出要求に揉まれる中で鈴木は持ち前の絶妙なバランスを生かしながら主流派離脱を抑えながら少しずつ支出の削減を進め、最終的には全派閥を主流派入りさせた上で反執行派閥という存在を事実上無くし、自民党内で究極の「和の政治」を実現した。 |
| 行政改革方針は後の中曽根行革への道筋をつけることになった。 |
| 金権選挙の問題があった参議院の全国区選挙については拘束名簿式比例代表制に改めた。 |
| また現職の内閣総理大臣として初めて北方領土と、復帰後の沖縄を視察した。 |
| 一方で、元々社会党から政界入りしたこともあって外交面ではハト派色が強い一方で、苦手だった安全保障外交を中心に度々発言を修正することがあるなど発言に隙が出た。 |
| 5月のレーガン大統領との会談後、記者会見で日米安保条約は軍事同盟ではないと発言。 |
| これに宮澤喜一内閣官房長官も同調したが、外務大臣の伊東正義は「軍事同盟の意味合いが含まれているのは当然だ」と反発して辞表を提出し、外相を辞任した。 |
| また中国と韓国から戦争に関する記述に反発する歴史教科書問題に直面した際には、外交懸念を抑えるために中韓の意向を受けることになったが、後世で保守派から「鈴木首相、宮澤官房長官は事実確認を怠ったまま謝罪に走った」と激しく批判されている。 |
| 首相就任以来、一部マスコミからは直角内閣、暗愚の宰相と揶揄されていた。 |
| また、世界同時不況の渦中に日本経済が巻き込まれ、税収減の恐れと支出削減の限界が出てきたため、増税無しではまで赤字国債脱却が困難な状況に直面した。 |
| これらの経緯により対米関係が著しく悪化したため、岸信介らの親米派により倒閣の動きが起こっていたが、党内事情では総理総裁の地位を脅かすまでには至らず、の総裁選で再選されれば長期政権も視野に入っていたが、1982年(昭和57年)10月に至って突然総裁選不出馬を表明。 |
| 10月12日の退陣会見では「自分が総裁の座を競いながら党内融和を説いても、どうも説得力がないのではないか。 |
| この際、退陣を明らかにして人身を一新して、新総裁のもとに党風の刷新を図りたい。 |
| 真の挙党体制を作りたい」と述べた。 |
| 田中派の処遇を中心とする党内各派のバランスに苦慮していたことや米国政権に不信感を持たれ日米関係がこじれたことが背景にあるとされているが、不出馬の真相は明らかになっていない。 |
| 首相在任記録は864日間で、首相在任中に大型国政選挙を経験していない首相としては日本国憲法下では最長記録である。 |
| 後継の中曽根内閣では、日米軍事同盟路線を強調し日米関係修復に努める一方で、鈴木の党内融和と行政改革推進の方針は継承され、鈴木の「和の政治」は、鈴木退陣後の自民党内抗争にも大きな影響を与えた。 |
| 1970年代の角福戦争のような怨念も絡んだ抗争を繰り広げた迫力のある政治家はいなくなった。 |
晩年
| 内閣退陣後も当面宏池会の会長を務めたが、中曽根おろしを目論んだ二階堂擁立構想が頓挫し、影響力が低下。 |
| 会長職を宮澤喜一に禅譲する。 |
| 、政界引退。 |
略歴
| 1911年(明治44年):岩手県山田町に父・鈴木善五郎、母・ひさの長男として生まれる。 |
| 1935年(昭和10年):農林省水産講習所(現・東京海洋大学)卒業、大日本水産会、全国漁業組合連合会、県漁業組合連合会などに勤務。 |
| 1947年(昭和22年):日本社会党から第23回衆議院議員総選挙に出馬、初当選。 |
| 1948年(昭和23年):社会党を離党、社会革新党結成に参加、秋に民主自由党(のちの自由党)に入党。 |
| 1960年(昭和35年):池田勇人内閣の郵政大臣で初入閣。 |
| 1964年(昭和39年):内閣官房長官就任。 |
| 1965年(昭和40年):厚生大臣就任。 |
| 1972年(昭和47年):自民党総務会長就任。 |
| 1976年(昭和51年):農林大臣就任。 |
| 1980年(昭和55年):自民党総裁・内閣総理大臣就任。 |
| 1981年(昭和56年):放送大学学園法公布・施行。 |
| 1982年(昭和57年):内閣総理大臣辞任。 |
| 1990年(平成2年):政界引退(通算当選16回)。 |
| 2000年(平成12年):宏池会分裂(加藤の乱)、宮澤喜一とともに反加藤派を支持。 |
| 2004年(平成16年)7月19日:午後9時15分死去、。 |
栄典
| 2004年(平成16年)7月19日:大勲位菊花大綬章。 |
著書
| 『伊谷以知二郎伝』(大日本水産会、1939年)。 |
| なおこの著作は直木賞作家の綱淵謙錠、日本現代詩歌文学館館長太田俊穂らが高く評価している。 |
| 綱淵謙錠『史談往く人来る人』(毎日新聞社のち文春文庫)所収の「ある伝記執筆者」。 |
参考文献
| 早川隆『日本の上流社会と閨閥(鈴木・小川・宮沢家門閥ゼロからのスタート)』角川書店1983年153-157頁。 |
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つながりの強いひと
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大平正芳
日本の大蔵官僚、政治家。位階は正二位。勲等は大勲位。衆議院議員(11期)、内閣官房長官(第21・22代)、外務大臣(第92・93・100・101代)、通商産業大臣(... |
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