6017
6146
80884
%E9%95%B7%E6%B2%A2%E8%8A%A6%E9%9B%AA
%E9%95%B7%E6%B2%A2%E8%8A%A6%E9%9B%AA
%E9%95%B7%E6%B2%A2%E8%8A%A6%E9%9B%AA
%E9%95%B7%E6%B2%A2%E8%8A%A6%E9%9B%AA
%E9%95%B7%E6%B2%A2%E8%8A%A6%E9%9B%AA
0
|
他の画像検索結果
他人の画像が選択されている・混じっている場合
画像候補は人物名で顔画像を検索したものです。
人物として適切でない画像も含まれてしまう可能性があります。
適切な画像になるよう 長沢芦雪の画像検索結果ページで修正できます
|
|
ネットワーク
|
タグ
キーワード
|
|
|
|
|
|
プロフィール
長沢芦雪(ながさわろせつ、宝暦4年(1754年)-寛政11年6月8日(1799年7月10日))は、江戸時代の絵師。 円山応挙の高弟。長澤蘆雪とも。名は、政勝、魚。字は、氷計、引裾。通称、主計。芦雪の他、別号に千洲漁者、千緝なども用いた。 円山応挙の弟子で、師とは対照的に、大胆な構図、斬新なクローズアップを用い、奇抜で機知に富んだ画風を展開した「奇想の絵師」の一人。
略歴
| 丹波国篠山に生まれる。 |
| 後記の南紀滞在の際に芦雪自身が、自分の父がはじめ篠山城主青山下野守に、その後淀藩に出仕した上杉彦右衛門であると述べたという資料が残っている。 |
| 同時代の高名な絵師と比べるとその履歴を示す資料は少なく、いつ応挙の弟子になったかさえはっきりとはわからないが、現存中で最も早い時期の作「東山名所図屏風」(紙本銀雲淡彩六曲一隻、個人蔵)安永7年(1778年)芦雪25歳の時には既に応挙に弟子入りしていたことがわかる。 |
| その性格は奔放で、ある意味快活である一方、傲慢な面があったと伝えられる。 |
| そのせいか、「後年応挙に破門された」というような悪評とも言うべき根拠不明な巷説や異常な行動を伝える逸話は多い。 |
| その最たるものがその死である。 |
| 毒殺とも自殺とも言われ、少なくとも普通の死ではなかったとされてきたが、事実は不明である。 |
| その絵は伝えられる性格そのままに、自由奔放、奇抜なもので同時代の曽我蕭白、伊藤若冲とともに「奇想の画家」(辻惟雄評)、「奇想派]」などと言われる。 |
| 黒白、大小の極端な対比や、写実を無視した構図など師である応挙の作風から逸脱しており、この傾向は南紀滞在の折の障壁画にはっきり表れている。 |
| 作風は基本的に明るく軽快であるが、晩年になって『山姥』のような時折グロテスクで陰惨な印象の作品を残した。 |
| 1786年-87年(天明6-7年)、南紀に滞在した折に多くの障壁画を残している。 |
| 現在、串本の無量寺、古座の成就寺、富田の草堂寺に計180面の障壁画が残る。 |
| 無量寺境内には応挙芦雪館が開設されている。 |
| 蘆雪の後は、養子と言われる長沢芦州、更に芦州の子長沢芦鳳が継ぎ、芦鳳は芦雪の肖像画を描いている(千葉市美術館蔵)。 |
代表作
| 竜図(島根県西光寺)紙本墨画襖8面。 |
| 薬王院成就寺障壁画(和歌山県古座町)天明6年(1786年)重要文化財。 |
| 内訳は『山水図』襖5面、『群雀図』絹本墨画淡彩襖4面、『曹孟徳図』襖8面、『唐獅子図』紙本墨画襖12面、『林和靖図』襖7面壁貼付1面、『花鳥郡狗図』紙本墨画淡彩襖8面。 |
| 本作は芦雪が現地で描いたのではなく、京都で描いて南紀へ送ったか、芦雪が持ってきた可能性が指摘されている。 |
| 錦江山無量寺障壁画(和歌山県串本町、串本応挙芦雪館)天明6年(1786年)重要文化財。 |
| 内訳は『薔薇に鶏・猫図』紙本墨画淡彩襖8面、『虎図』『竜図』紙本墨画襖各6面、『芦に鶴図』襖6面、『唐子琴棋書画図』紙本墨画淡彩襖8面。 |
| 天明6年(1786年)。 |
| 現在これらの襖絵は収蔵庫に収められており、本堂には精巧な複製がはめられている。 |
| 南昌山草堂寺障壁画(和歌山県白浜町)天明7年(1787年)重要文化財。 |
| 内訳は本堂の『虎渓三笑図』紙本墨画襖8面、『栽松・焚経図』紙本墨画襖4面(現在は二曲一双屏風に改装)、『虎図』襖8面、『枯木鳩図』紙本墨画襖12面、『竹に鶴図』襖6面、『牛図』襖8面。 |
| 南書院の『張良吹笛図』襖2面、『征師図』襖4面、『朝顔図』襖4面紙本墨画。 |
| 『群猿図屏風』(草堂寺)六曲一双紙本墨画天明7年(1787年)重要文化財。 |
| 『寒山拾得図』(和歌山県田辺市高山寺)1幅紙本墨画天明7年(1787年)2月重要文化財。 |
| 『正宗寺旧方丈障壁画』(愛知県豊橋市正宗寺)42幅附3幅の計45幅重要文化財。 |
| 『宮島八景図』(文化庁保管)絹本墨画及び淡彩1帖8面寛政6年(1794年)重要文化財。 |
| 『猿之間』(兵庫県香美町大乗寺)紙本淡彩襖8面壁貼付3面寛政7年(1795年)重要文化財。 |
| 『山姥図』(広島県廿日市市厳島神社)絹本著色1面寛政9年(1797年)頃重要文化財。 |
| 『月夜山水図』(兵庫県西宮市頴川美術館)1幅絹本墨画重要美術品。 |
参考資料
| 狩野博幸監修『長沢芦雪千変万化のエンタ-テイナー』平凡社〈別冊太陽日本のこころ181〉、2011年3月ISBN978-4-582-92181-6。 |
| 展覧会図録『長沢芦雪奇は新なり』MIHOMUSEUM、2011年ISBN4-903642-08-9。 |
| 司馬遼太郎「蘆雪を殺す」(短編集『最後の伊賀者』講談社文庫に収録ISBN978-4-061-83865-9) 。 |
|
2011年
|
狩野博幸監修 『長沢芦雪 千変万化のエンタ-... |
|
投票数
0
| ふりがな |
|
| 性別 |
|
| 出身地 |
|
| 生年月日 |
|
| 血液型 |
|
| 職業 |
|
| 所属 |
|
| Twitter |
|
|
|
|
|
|
|
|
つながりの強いひと
|
|
円山応挙
師匠
江戸時代中期の絵師。近現代の京都画壇にまでその系統が続く「円山派」の祖であり、写生を重視した親しみやすい画風が特色である。諸説あるが「足のない幽霊... |
|
|
伊藤若冲
近世日本の画家の一人。江戸時代中期の京にて活躍した絵師。名は汝鈞(じょきん)、字は景和(けいわ)。初めは春教(しゅんきょう)と号したという記事があ... |
|
|
酒井抱一
江戸時代後期の絵師、俳人。権大僧都。本名は忠因(ただなお)、幼名は善次、通称は栄八、字は暉真(きしん)。ほか、屠牛、狗禅、鶯村、雨華庵、軽挙道人、... |
|
|
俵屋宗達
江戸時代初期の画家。通称は野々村宗達。号は「伊年」あるいは「対青軒」ほか。 |
|
|
尾形光琳
江戸時代の画家。工芸家。尾形光琳は、後代に「琳派」と呼ばれる装飾的大画面を得意とした画派を生み出した始祖であり、江戸時代中期を代表する画家のひとり... |
|
|
雪舟
室町時代に活動した水墨画家・禅僧。「雪舟」は号で、諱(いみな)は「等楊」(とうよう)と称した。備中に生まれ、京都相国寺で修行した後、大内氏の庇護の... |
|
|
岩佐又兵衛
江戸時代初期の絵師。又兵衛は通称で、諱は勝以(かつもち)。 |
|
|
辻惟雄
日本の美術史学者。専門は日本美術史。東京大学名誉教授、多摩美術大学名誉教授、MIHOMUSEUM館長。 |
|
|
東山魁夷
画家、著述家。昭和を代表する日本画家の一人といわれる。文化勲章受章者。千葉県市川市名誉市民。本名は東山新吉(ひがしやましんきち)。 |
|
|
池大雅
日本の江戸時代の文人画家、書家。本来の苗字は池野(いけの)だが、中国風に池と名乗った。幼名は又次郎(またじろう)など。諱は勤(きん)、無名(ありな... |
|
|
鈴木其一
江戸時代後期の絵師。江戸琳派の祖・酒井抱一の弟子で、その最も著名な事実上の後継者である。もと姓は山本。通称、為三郎、諱は元長、字は子淵。其一は号で... |
|
|
歌川国芳
江戸時代末期の浮世絵師。画号は一勇斎。江戸時代末期を代表する浮世絵師の一人である。画想の豊かさ、斬新なデザイン力、奇想天外なアイデア、確実なデッサ... |
|
|
冷泉為人
冷泉為人(れいぜいためひと、1944年3月2日-)は兵庫県出身の日本美術史家。専攻は近世絵画史。上冷泉家第25代当主。 |
|
|
葛飾北斎
日本の近世にあたる江戸時代に活躍した浮世絵師であり、とりわけ後期、文化・文政の頃(化政文化)を代表する一人。代表作に『富嶽三十六景』や『北斎漫画』... |
|
|
岸駒
江戸時代の画家。姓は佐伯。名は昌明。幼名は乙次郎、又は健亮。字は賁然。華陽、鳩巣、天開翁、同功館、可観堂、虎頭館と号す。岸派(きしは)の祖。 |
|
|
狩野山雪
江戸時代初期の狩野派の絵師。京狩野の画人狩野山楽の婿養子で後継者。本姓は秦氏。号は「蛇足軒」「桃源子」「松柏山人」。息子は狩野永納。垂直や水平、二... |
|
|
長谷川等伯
安土桃山時代から江戸時代初期にかけての絵師。狩野永徳、海北友松、雲谷等顔らと並び桃山時代を代表する画人である。 |
|
|
森狙仙
森狙仙(もりそせん、1747年(寛延元年)-1821年8月18日(文政4年7月21日))は日本の江戸時代後期の絵師。通称は八兵衛、名を守象、字は叔牙。号としては祖... |
|
|
長沢芦雪さんについてのひとこと紹介
|
|
|
|