| 妻は元女優の南田洋子、実弟は俳優の津川雅彦、父は沢村国太郎、母はマキノ智子、叔父に加東大介、叔母に沢村貞子、祖父には「日本映画の父」と呼ばれる牧野省三、狂言作者の竹芝伝蔵、姪に女優の真由子をもつという芸能一家。 |
| 沖縄アクターズスクール校長マキノ正幸は母方のいとこ。 |
| 真由子からは「アーチー」(意味は晃夫おじさん)と呼ばれた。 |
| 南田との間に子供はいなかった。 |
| 京都府京都市中京区生まれ。 |
| 花園高等学校卒業から立命館大学文学部中退。 |
| 元阪神タイガース監督の吉田義男は同学年であり大学時代の同期だが、吉田も中退している。 |
| 映画初出演は1940年の『続清水港』。 |
| 第二次大戦前の少年期から名子役として広く知られた。 |
| 学生時代は俳優を一時休業するが、戦後、映画製作を再開した日活に入社。 |
| 太陽族映画の第一作となる『太陽の季節』に主演し、デビュー間もない石原裕次郎と共演したほか、今村昌平監督とコンビを組み、印象深い演技を残した。 |
| しかし、実弟の津川や後輩の石原らに人気を奪われる形となった。 |
| 1961年に南田と結婚、翌1962年に日活を退社してフリーとなり、各社の映画に出演するほか、テレビドラマにも進出。 |
| 大映テレビ作品や2時間ドラマなどに出演した。 |
| 1983年からKBS京都が主催する交通遺児支援のチャリティー番組『かたつむり大作戦』のキャンペーンパーソナリティー(南田は1984年から)として出演を続けていた。 |
| なお同大会は2005年で終了した。 |
| 同い年の愛川欽也、大橋巨泉、財津一郎、坂上二郎、藤村俊二、睦五郎、森山周一郎らと「昭和九年会」を結成しチャリティ事業などに取り組んだ。 |
| 1985年11月に『洋子へ』(データハウス)を出版。 |
| 妻の南田への告白という形で、自身の奔放な女性関係などを実名で赤裸々に記し、いわゆる暴露本として世を騒がせた。 |
| これに対し実名を書かれた女優池内淳子などが強く反発。 |
| 長門(データハウス)側は初版を回収し、問題箇所を書き直した改訂版を出したうえ、池内に対しては新聞に謝罪広告を掲載した。 |
| 長門は「ゴーストライターによる口述筆記だったため真意が伝わらなかった」などと弁明したが、南田とともにすべての出演番組、CMの降板を余儀なくされるなど、この騒動が以後の芸能活動に大きなダメージを与えたとされる。 |
| ワイドショーの多数の取材を受け、長門が「こんな本はダメです!」と、自著を机に叩き付ける場面がテレビで放送された。 |
| 長年かけ復調し、脇役や敵役を含むゲスト出演を多くこなし活躍した。 |
| 晩年は「(浮気や、前記の著書で迷惑をかけた人々へのお詫びなどを含め)苦労をかけた洋子への恩返し」として認知症になった南田の介護に取り組みつつ、「リタイアした洋子の分まで」と発起し、精力的な活動を行った。 |
| 同時に、長年確執があったとされた弟津川との共演に加え、津川がマキノ雅彦名義で監督を務めた映画作品にも出演した。 |
| 2009年10月21日、妻・南田洋子がクモ膜下出血により76歳で死去。 |
| 倒れた前日に続き、当日も明治座での舞台公演後に記者会見を開き、『これからは女房のない世界に踏み出していきます。 |
| 思い出の中で洋子は生きてますから。 |
| これは永遠のものです』、また『4年間、僕が介護することで、僕の人生をよみがえらせてくれて、人生観を変えてくれました』と涙を浮かべながら記者陣に対しコメントを述べた。 |
| 2011年5月21日午後5時20分、東京都文京区の順天堂医院で死去した |
| 一部報道で、今年2月に脳出血で倒れ、都内の病院に入院、自宅療養していると報じられていた。 |
| また同日夜に実弟の津川は病状について「肺炎をきっかけにした合併症であったが、前日は元気であった」と述べ、当日になって容体が急変したことを明かした。 |
| 津川と共に長門とは60年来の友人であった浅丘ルリ子も駆けつけた。 |
| 長門の死去の報に『昭和九年会』メンバーで長年親交が深かった橘家圓蔵(落語家)は「(玉置宏、坂上二郎に続いて)どんどん仲間がいなくなっちゃう」と哀悼のコメントを発表した |
| この他にも『どんど晴れ』(NHK)で共演した比嘉愛未が自らのブログで長門を悼むコメントを記し、『池中玄太80キロ』(日本テレビ)で共演した西田敏行が「玄太は泣いています」と語るなど |
| 長年親交があった萩本欽一は、弔問に訪れた際「最高の先輩で、友達で、兄貴だった」と声を詰まらせながら話した朝日新聞別刷り「BeonSaturday」2011年6月18日付、b9面「順風満帆―萩本欽一(中)」よりちなみに同年3月10日には、萩本欽一の長年の相方(コント55号)であり、長門が所属していた昭和九年会の盟友である坂上二郎も死去した。 |
| 葬儀・告別式は5月24日、東京都港区の善福寺で弟の津川が喪主を務めて営まれ、遺体は品川区の桐ヶ谷斎場で荼毘に付された。 |
| 23日の通夜では中井貴一と笹野高史が、24日の葬儀・告別式では黒柳徹子と奥田瑛二が弔辞を読んだ。 |
| 法名は「極芸院釋浄晃」(ごくげいいんしゃくじょうこう)。 |
| 最後の映画出演作品は『青い青い空』。 |