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プロフィール
- 間寛平とは
- 来歴・人物・嗜好など
- プロフィール
- 弟子
- 芸人になる前から結婚まで
- 東京進出
- 借金・アメマバッジ関連
- マラソン・他のスポーツ関連
- アースマラソン
- 忌野清志郎との関係
- バラエティ番組
- 主な持ちネタ・ギャグ
- 関連サイト
間寛平(はざまかんぺい、1949年7月20日-)は、日本のお笑いタレント、俳優、歌手。レゲエシンガー活動名義および本名、間重美(はざましげみ)。通称、寛平ちゃん、寛平兄やん。高知県宿毛市出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー東京所属。星座は蟹座。趣味はマラソン、ゴルフ、 パチンコ、競馬、酒。
来歴・人物・嗜好など
| 私立柏原高等学校卒業。 |
| 1男1女の父。 |
| ミュージシャンの間慎太郎は長男である。 |
| 娘は既に結婚し子供(孫)がいる。 |
| 妻の光代は吉本新喜劇の元座員。 |
| 師匠は花紀京。 |
| 吉本新喜劇のスターとして関西で絶大な人気を得た。 |
| 「アヘアヘアヘアヘ…」「ア〜メマ!」「かい〜の」などのギャグで有名。 |
| 柏原高校時代は野球部に所属していた。 |
| 2011年の夏の高校野球で母校が初出場した時に、野球部OBとして、アルプススタンドで観戦した。 |
| 野球は筋金入りの南海ホークス好きで、南海ホークス時代から通じて、福岡ソフトバンクホークスファンでもある。 |
| 現在でも年に数回福岡Yahoo!JAPANドームまで観戦に足を伸ばす。 |
| 映画「ファンキー・モンキー・ティーチャー」シリーズで主人公(戸沢康平)の役を演じた時には、毎回福岡ダイエーホークスのウインドブレーカー(黒とオレンジが基調のホーム用)を着て登場していた。 |
| 「寛平」の芸名の由来は、カンペをチラ見してしまう事に由来。 |
| 1回に500mlのビール10缶を飲み干したことがある。 |
| 犬と寒さが大の苦手。 |
| 母親と顔がそっくりである。 |
| 『探偵!ナイトスクープ』などを始めとしてよくネタにされている。 |
| 2006年2月24日に長女が初孫を出産。 |
| 56歳にして名実共に「おじいちゃん」(祖父)となった。 |
| 「ついにおじいちゃんになりましたが、いくつになっても甘えまくります!」とのコメントを発した。 |
| 人柄が良く、芸人仲間や後輩からも信頼される。 |
| 明石家さんま、島田紳助、村上ショージ、ダウンタウン、雨上がり決死隊も今もって若手の頃に良くしてもらったことを感謝している。 |
| 特にさんまは当時大忙しだったにも関わらず、寛平がスパルタスロンマラソンを走る番組で、「兄さんの為なら」と付き添いの為に(さんまの付き添いは、プロデューサーが番組制作の条件として出された物であった)、無理やり10日間スケジュールを開けた事がある。 |
| また『マジカル頭脳パワー!!』で共演した所ジョージや千堂あきほなどからも信頼されている。 |
| 持ちネタは古いものでは何十年も同じものを使い続けており、ネタをしても滑るのが慣例となっている。 |
| 脳内出血に倒れ、今もリハビリを続けているかつての同僚・木村進とその家族への様々な支援を行っている。 |
| 近年は、志村けんと同じくコメンテーターとしての活動が多い。 |
| これには、チャリティーマラソンなど、彼の素が出ている場面がよくテレビで流れているためという見方もある。 |
| 大阪なんば・NGK近辺の食堂から出前を取るときなども、電話で「アヘです〜」と言うだけで通じてしまう。 |
| 同様に、後輩芸人に電話する際にも「アヘ坊やけど〜」で誰かが分かってしまう。 |
プロフィール
| 12歳の時に大阪市住之江区に引越した。 |
| 1968年-高校卒業後、石原裕次郎に憧れて上京。 |
| 歌手を目指すが、挫折して大阪に戻る。 |
| 1969年-すっとんトリオの紹介で新世界「温泉劇場」(ストリップ劇場)に入り、幕間コントに出演して修行を積む。 |
| 1970年-喫茶店のアルバイトしていた時に、店主の日限萬里子の紹介により吉本興業に移籍、吉本新喜劇の研究生になり花紀京の付き人になる。 |
| 同期に桂文珍らがいる。 |
| 1974年-木村進とのコンビで入団から4年、24歳にして吉本新喜劇の座長に昇格。 |
| 実質的には1973年10月より平参平班では平・木村、そして間の「三枚看板座長制」と言う形を採っており(但し正式にその班を統率し、脚本・演出内容にも強い発言力を有するという意味での座長には昇格していない)、平の座長勇退→専科入りを機に1974年4月より正式に木村とのコンビで座長へと正式昇格。 |
| そして1976年4月からは木村、間それぞれ別の班を統率することとなった。 |
| 1975年-『ひらけ!チューリップ』で歌手デビュー。 |
| 100万枚のセールスを記録 |
| 1978年-同じ新喜劇の団員だった光代夫人と結婚。 |
| 1986年-アメマバッジを10万個作成し消費者金融に6000万円の借金。 |
| 1989年-吉本新喜劇を退団し東京進出(但し自宅は宝塚に置く)。 |
| 萩本欽一に師事し、また島田洋七と漫才コンビを結成する(その後解消)。 |
| 1990年から放送を開始した日本テレビのクイズ番組『マジカル頭脳パワー!!』のレギュラー解答者として1991年1月から最終回まで出演した。 |
| 1995年-宝塚市売布1丁目の自宅で阪神・淡路大震災に遭うも、家族全員無事だった。 |
| 2008年-12月17日に大阪をスタートして2年以上かけてマラソンとヨットで世界一周する「アースマラソン」に挑戦する。 |
| この間、日本には一度も帰国しない予定なのでレギュラー番組は降板した。 |
| 2011年-1月4日、福岡港に上陸。 |
| 2011年-1月21日、2年1ヶ月のアースマラソン4万1000kmにも及ぶ長い旅を終え、午後7時43分に大阪城音楽堂を第一終着地としてゴールインし親交ある芸人と一般視聴者に祝福された。 |
| その後最終終着地、なんばグランド花月(NGK)に午後8時40分ゴールインし先輩及び後輩芸人、家族に囲まれ祝福された。 |
| この様子は2時間生放送特番を組まれた。 |
| 番組の〆言葉は本人及びNGK内にいた全員でのアメマであった。 |
弟子
| 塩野一平(廃業)。 |
| 玉村輝彦→シベリア文太。 |
| 2005年、この2人をも従えて石田靖や山田花子たちと『よしもと大爆笑劇場〜寛平劇団&バラエティー全国巡業中!!』で全国巡業した。 |
芸人になる前から結婚まで
| 10代の頃左官屋の見習いをしていたが、風呂場のタイル貼りを命じられた際、余ったセメントをそのまま排水溝に流してしまい、詰まらせたことが原因で解雇になった。 |
| 芸能界へ入る前、ダンプカーの運転手をしていた。 |
| 中には短時間で産業廃棄物を処理するため人目に付かない池へ不法廃棄したところ池が無くなってしまったという出来事もあった(また、若手の頃は経済的に苦しく、吉本に内緒でトラック運転手のアルバイトをしていた時期もあり、地方でうっかり事故したエピソードなどを時折披露している)。 |
| 芸能界入りを目指したきっかけはTVで見た菅原洋一を見て「こんなブサイクがTVに出れるのなら俺でも」と思ったからであった。 |
| 芸能人になるべくキャバレーに勤務、ボーイに就くも、ある日芸能界の入り口にすら立っていない事に気づく。 |
| 光代は萩本欽一の大ファンで萩本の追っかけをしており、萩本とも顔見知りであった。 |
| 光代の実家が大きな家だった事に加え、当時は家が無く、坂田利夫などの家を渡り歩いており、これをきっかけに寛平は光代の実家に少しずつ自分の荷物を置いて行き、いつの間にか寛平が光代の実家に住み着いた。 |
東京進出
| 東京で頑張りたいと独立を考えた本人曰く、仕事先の宿の畳の目が「東京行け、東京行け」とささやいたからとのこと。 |
| また妻にも相談無しでの決断だったが、妻は文句を言わず送り出した)時に、当時、吉本の社員だった木村政雄に懸命に説得され、慰留が決まり、吉本興業東京本社(当時は東京事務所)に所属する事になった。 |
| 東京進出の理由として、アメマバッジの件(後述)も関わっていたとの話もある(『いつみても波瀾万丈』より)。 |
| 東京では萩本欽一に師事し、干されても3年は頑張ると約束していた。 |
| 寛平との面識が無かった萩本は最初は驚き困惑したが、萩本が吉本に電話をして「(寛平は吉本に)必要な人だって」と寛平に告げ、その後萩本の仲介で自分の番組に寛平を出すなど、手助けをした。 |
借金・アメマバッジ関連
| 他にアメマバッジの失敗により6000万円(「さんまのまんま」でゲスト出演した時に自身が明かした)の借金を背負うが、妻の光代が必死の借金返済で当時0歳だった長女を連れて、街金の金融業者の前で長女をつねって泣かせて、金融業者を同情させる作戦で、借金の利子を免除してもらったと言う逸話がある(『いつみても波瀾万丈』で光代がゲスト出演した時に明らかになった)。 |
| 普通の人間なら、利子を免除してもらえないのだが但し、任意整理や個人再生の場合でも借入履歴の状況次第で利子が免除される事もある。 |
| アメマバッジの件では、バッジを製作した会社から費用の不払いのため訴えられて裁判沙汰となる(通称「アメマ裁判」)。 |
| この口頭尋問で、裁判官から「『アメマ』とは何ですか?」と聞かれ「『ア〜メマァ〜…』です」と答えたら、再び「ですから、『アメマ』とは何ですか?」と聞かれたため、再度「『ア〜メマァ〜…』です」と答えた。 |
| 当時は売れなかったアメマバッジであったが、2006年5月の『世界バリバリバリュー』の企画でYahoo!のチャリティーオークションに出品された際には入札が36件あり、25,501円で落札された(元の売り値1500円)。 |
| TV進出のきっかけは、当時の出演番組がABCラジオの『ポップ対歌謡曲』(週1本のレギュラー)しかなく、さんまとの会話で「兄さん、そのギャラじゃアメマの借金返せまへんやろー!」と言われたことがきっかけで、さんまが出演しているTV番組に共演するようになったことである。 |
| アメマバッジの作成や連帯保証人として長年にわたって請け負った全ての負債を完済して安堵したのも束の間の数日後、阪神・淡路大震災が発生し宝塚市に建てたばかりのマイホームを失ってしまう。 |
マラソン・他のスポーツ関連
| ギリシャの鉄人マラソン「スパルタスロン」では246kmを3度も完走、『24時間テレビ』の24時間マラソンでも200km(1995年は神戸-東京間、約600kmを7日間で完走)を完走するほどの健脚の持ち主でもある。 |
| もともと寛平がマラソンを始めた理由は、心臓疾患の治療のためであったが、マラソンを続けているうちに心臓疾患を克服したばかりか、心臓の強さが陸上選手並みになったという。 |
| 2006年、2007年の『24時間テレビ』内では十種競技にも挑戦。 |
| 『オールスター感謝祭2009春』の赤坂5丁目ミニマラソンでアメリカから衛星中継でスターターを務めたが、その時まぶたに「へ」の字を描いており、島田紳助から「兄さん、その目はどないしたん?」と突っ込まれ「虫にかまれてん〜」とギャグをかまし、スタジオの出演者とスタッフだけではなくマラソンに出場したタレントまでも大爆笑した。 |
アースマラソン
| 舞台には西川きよし、笑福亭仁鶴、コメディNo.1、ザ・ぼんち、島田紳助、村上ショージ、山田花子等の大御所や仲間がスタートの瞬間を見守った。 |
| アースマラソンのコースには中国の核実験による放射能汚染地帯が含まれており、放射線防護情報センター代表の高田純札幌医科大学教授から寛平の健康への危険性が指摘されている。 |
| 更にサングラスを外すと、まぶたに「へ」の字を描いており、さんまは更に激怒、挙句の果てにカメラにお尻を向けて「パンプキ〜ン」というギャグを多用し過ぎて、怒りが頂点に達したさんまは台本を破り捨ててしまう寛平の横にいた福留功男から「さんまさんが怒ってしまうよ〜」となだめられた。 |
| 『アースマラソン』にて太平洋横断や中国大陸から日本への帰国の手段としてヨットを駆使するなどしたことから、日本セーリング連盟から間寛平に「セーリングの普及、認知度向上に貢献を果たした」として功労賞が贈られることになった |
忌野清志郎との関係
| 忌野清志郎と↑THE HIGH-LOWS↓の真島昌利からアルバム『ジャングル野郎』の楽曲提供を受けた関係で2001年6月6日、SHIBUYA-AXにて行われた↑THE HIGH-LOWS↓のライブのアンコールでスペシャルゲストとして登場。 |
| 短い時間で様々なギャグを披露し会場を沸かせたあと、↑THE HIGH-LOWS↓の演奏でヒロトと一緒に「天国野郎ナンバーワン」(↑THE HIGH-LOWS↓と間寛平のバージョンがあるが、「天国野郎」を提供した↑THE HIGH-LOWS↓側がわけあってセルフカバーした際に「天国野郎ナンバーワン」と改題した)を熱唱した。 |
バラエティ番組
| 『マジカル頭脳パワー!!』内にあった「マジカルアート」で毎回他のメンバーが解答できないほどの絵を描いて(動物には鳥の足しか使わないなど)、それが原因で絵の勉強のためにフランスに留学した。 |
| 『笑っていいとも!』に出演の際には、タモリと必ずサルの喧嘩の真似を行い、そのやり取りで1コーナー(テレフォンのゲスト出演においては、トークすることなく)が終わってしまうことがよくある。 |
主な持ちネタ・ギャグ
| 猿のマネをしながら、池乃めだかの猫の形態模写との掛け合い。 |
| (ギャグではないが、『痛快!明石家電視台』での発言より)「私は今、耳クソが不足している」「うめだ花月から宝塚の自宅まで車で帰ったが、その間ブレーキを一度も踏まなかった」「私は県庁所在地について語れる」、など。 |
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1949年
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間 寛平(はざま かんぺい)は、日本のお笑い... |
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2000年
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間寛平withアメマーズとして、フジロックフェ... |
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