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阮籍
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魏晋南北朝時代
老荘思想
建安文学
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プロフィール
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白眼視
阮籍の登場する作品
小説
文献情報
関連項目
阮籍(げんせき、210年(建安15年)-263年(景元4年))は、字(あざな)を嗣宗、陳留尉氏の人。竹林の七賢の指導者的人物である。父は建安七子の一人である阮瑀。甥の阮咸(げんかん)も竹林の七賢の一人である。子は阮渾、兄は阮煕をもつ。
人物
魏の末期に、偽善と詐術が横行する世間を嫌い、距離を置くため、大酒を飲み清談を行い、礼教を無視した行動をしたと言われている。
俗物が来ると白眼で対し、気に入りの人物には青眼で対した。
歩兵校尉の役所に酒が大量に貯蔵されていると聞いて、希望してその職になり、竹林の七賢の一人の劉伶と酒を飲んでいた。
それで阮歩兵と呼ばれることもある。
当時の礼法では、喪中には酒や肉を断つ義務があったが、彼の母の葬式の日も大酒を飲んで肉を食い、母の棺に別れた後、もうだめだと言って血を吐いて倒れた。
権力者の
司馬昭
の幕僚となっていたが、いつも酔っぱらっていた。
彼を陥れようとする人たちが時事を問いかけたが、いつも返事は抽象的で難解な返事ばかりで、失言は得られなかった。
司馬昭
が息子の嫁に、彼の娘をもらおうと使者を送った。
それと察したか彼は60日間酔っぱらい続け、使者は用件を言い出せなくて諦めて帰った。
あてもなく馬車を駆って遠出するのが好きで、行き止まりにあうと
慟哭
して帰った。
老荘思想を理想とし、その著作の『大人先生伝』『達荘論』に老荘思想が十分に見て取れる。
詩では「詠懐詩」82首が有名で、
陶淵明
の「飲酒」、
李白
の「古風」、など五言詩の連作の先駆けである。
深い思索に基づき格調高く、全編が人間社会の悲哀に満ちている。
白眼視
阮籍は、青眼と白眼を使い分けることができたという。
礼法を重視した儒家のような気に入らない人物に対しては白眼で対応し、気に入った人物に対しては青眼で対応したという。
転じて、気に入らない人物を冷遇することを、白眼視という。
一方で彼は時事を評論せず、人の過ちを決して口にしない、極めて慎重な人物であったという「阮籍の処世について」清宮剛(山形県立米沢女子短期大学紀要19921228山形県立米沢女子大学)
阮籍の登場する作品
『世説新語』。
小説
陳舜臣
『中国畸人伝』(新潮社、1987年)。
文献情報
「阮籍のビコウの賦について」
中山千秋
(中国中世文学研究19660630中国中世文学会)
「阮籍「詠懐詩」八十二首における求仙の位置」
松田稔
(國學院女子短期大学紀要19850303國學院大學)
「阮籍「樂論」訳注稿」道家春代(名古屋女子大学紀要人文社会編19890310名古屋女子大学)
「「首陽山賊」論:阮籍の「
伯夷・叔斉
批判」について」柚木信枝(日本文学19900315東京女子大学)
「阮籍の処世について」清宮剛(山形県立米沢女子短期大学紀要19921228山形県立米沢女子大学)
「魏晉之際的阮籍」林宏作(国際文化論集19930225桃山学院大学)
「途に窮し慟哭する心情:阮籍の場合」林宏作(桃山学院大学人間科学19930331桃山学院大学)
「阮籍の「自然観」」
窪田守弘
(聖徳学園岐阜教育大学紀要19940228岐阜聖徳学園大学)
「阮籍「詠懷詩」の自然表現」鷹橋明久(中国中世文学研究19941022中国中世文学会)
「阮籍仕宦考」林宏作(国際文化論集19950130桃山学院大学)
「『晉書』阮籍傅訳註」鷹橋明久(中国中世文学研究19970730中国中世文学会)
「阮籍の「詠懐詩」」鷹橋明久(中国中世文学研究中国中世文学会)(一)
「『世説新語』に於ける阮籍の存在について」
塚本宏
(和洋國分研究20030300和洋女子大学)
「阮籍と
山濤
」鷹橋明久(中国中世文学研究20041023中国中世文学会)
「青少年期の阮籍」鷹橋明久(中国中世文学研究20061019中国中世文学会)
関連項目
zh-classical:阮籍。
阮籍 - Wikipedia
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