| 阿久悠のペンネームの由来は「悪友」から。 |
| また、多夢星人(たむせいじん)の変名も使用した(阿久の小説『グッドバイ―BN童子の青春』の登場人物であるロック歌手の名に由来する阿久悠『歌謡曲の時代歌もよう人もよう』190頁。 |
| 長男は作曲家の深田太郎。 |
| 幼少期は兵庫県警巡査であった父親の仕事の都合で、いずれも津名郡内であるが、数年おきに転居を繰り返す。 |
| 兵庫県立洲本高等学校卒業、明治大学文学部卒業。 |
| 広告代理店・宣弘社でコピーライター・CM制作を手がけながら、1964年(昭和39年)から放送作家としても活動。 |
| 1966年(昭和41年)に宣弘社を退職し、放送作家、作詞家としての活動を本格化させる。 |
| 音楽番組の台本を書いているとき、歌われる歌の歌詞を写しながら、作詞の勉強をした。 |
| また番組の企画書を書かせたら日本一とも言われたほどである。 |
| 歌詞の処女作はザ・スパイダースのグループ・サウンズデビュー曲「フリフリ」のB面である「モンキーダンス」。 |
| 本格デビューはザ・モップスの「朝まで待てない」。 |
| このタイトルの由来は、曲の締め切りが朝に迫っていたからだという阿久悠『夢を食った男たち―「スター誕生」と黄金の70年代』(小池書院、1997年7月)。 |
| また、この頃よりオフィス・トゥー・ワンに所属する(死去まで)。 |
| その後、作詞家として数々のヒット曲を送り出す。 |
| 生涯、作詞した曲は5,000曲以上。 |
| ジャンルは演歌、アイドル歌謡曲、フォークソング、コミックソング、アニメソング、CMソングと幅広い。 |
| 日本テレビのオーディション番組『スター誕生!』に番組企画・審査員としてかかわる。 |
| 『スター誕生!』の特徴的な企画は各芸能プロダクションの担当者が目に付いた出場者に札を挙げるというものであったが、あのスタイルを考えたのは阿久自身である。 |
| 「密室でタレントを選考する過程を全てガラス張りにして芸能界を裸にしよう」と提案した。 |
| 1977年(昭和52年)、子供の歌を作りたいと「ぱくぱくポケット」というシリーズを手がけ、『おはよう!こどもショー』のコーナーでも歌われていた。 |
| 上記の作詞経験から「''感動する話は長い、短いではない。 |
| 3分の歌も2時間の映画も感動の密度は同じである''」との言葉を遺す。 |
| しかし、1980年代に入りニューミュージックのアーテストが台頭し彼等のつづった叙情よりも感性や実体験の詞が受けるようになり、さらに、後進の作詞家である松本隆や秋元康が台頭すると、阿久の売り上げは苦戦を強いられるようになる。 |
| 以降は小説執筆や演歌の作詞などに比重を移した。 |
| 直木賞候補となり映画化もされた『瀬戸内少年野球団』など小説も手がけ、1982年(昭和57年)には『殺人狂時代ユリエ』で第2回横溝正史ミステリ大賞を受賞。 |
| 1997年に刊行された短編小説集『恋文』、長編小説『ラヂオ』はその後ラジオドラマ化され、特に『ラヂオ』(NHK-FM)は第38回ギャラクシー賞ラジオ部門優秀賞を受賞する。 |
| 1997年(平成9年)、30年間にわたる作詞活動に対して、日本文芸振興会主催による第45回菊池寛賞を受賞。 |
| さらに1999年(平成11年)春、紫綬褒章を受章。 |
| 2000年(平成12年)10月、掌編小説集『詩小説』にて第7回島清恋愛文学賞を受賞。 |
| 2001年(平成13年)に腎臓癌を患い、同年9月12日に癌の摘出手術を受けた。 |
| それ以後は癌治療を受けつつ、病身を押して活動を続けていたが、2007年(平成19年)8月1日午前5時29分、尿管癌のため東京都港区西新橋の東京慈恵会医科大学附属病院で死去。 |
| 歳没。 |
| 戒名は「天翔院詞聖悠久居士」。 |
| 同年3月に行われた石川さゆりの「デビュー35周年感謝の宴」に出席したのが最後の公の場となった。 |
| 生前最後のテレビ出演は、7月28日深夜に放送されたNHK総合テレビの番組『通〜歌謡曲〜』の解説であった。 |
| この時、自分が詞を書いた歌手がテレビに出演した際は殆ど見ていたことを明かす。 |
| また、J-POPと歌謡曲との違いについて次のようにコメントしている。 |
| 阿久の死去から2日後の2007年8月3日、NHK総合テレビの『プレミアム10』は急遽、放送予定を変更して、追悼特別番組『ありがとう阿久悠さん〜日本一のヒットメーカーが生んだ名曲たち〜』を放送した。 |
| この中で、かつて放送された『阿久悠の世界-ヒット曲大全集』(1993年)での阿久のコメントが紹介されていた。 |
| 日本政府は、阿久の多年に亘る歌謡界への功績を高く評価し、死去した2007年8月1日に遡って旭日小綬章を授与することを9月7日の閣議で決定した。 |
| また、第49回日本レコード大賞では特別功労賞、第45回ゴールデン・アロー賞では芸能功労賞が贈られた。 |