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プロフィール
- 阿川弘之とは
- 概要
- 生い立ち
- 学生時代
- 海軍入り
- 作家として
- 交友関係
- 受賞歴
- 生家
- 家庭
- 系譜
- 関連サイト
阿川弘之(あがわひろゆき、1920年(大正9年)12月24日-)は、日本の小説家、評論家。広島県名誉県民。 日本芸術院会員。文化 勲章受章。代表作に、『春の城』『雲の墓標』のほか、大日本帝国海軍提督を描いた3部作『 山本五十六』『 米内光政』『 井上成美』など。法学者の 阿川尚之は長男、タレント・エッセイストの 阿川佐和子は長女。
概要
| 阿川は『私の履歴書』では、[私の「履歴」を一と言で記せば、「地方の平凡な中流家庭に生まれ、小学校から大学まで、ごく平坦平凡な学生生活を送り、戦争中は海軍に従軍して多少の辛酸を嘗めたが、戦後間もなく志賀直哉の推輓により文壇に登場、以来作家としてこんにちに至る」、これだけである〕と回顧している『私の履歴書第三の新人』115頁。 |
生い立ち
| 山口県人の父阿川甲一の長男として広島市白島九軒町土手通り(現中区白島九軒町)に生まれた(本籍地は山口県美祢郡伊佐村(現美祢市伊佐町)。 |
| 母キミは大阪出身で生家は刀剣・骨董商であった。 |
| 『私の履歴書第三の新人』117頁に「母は広島で私を生んだけれど、もともと生粋の大坂女、父甲一は山口県の出、私の本籍は今も山口県美祢市に在り、広島県人会から会の案内など送られて来ると、多少の違和感を覚える。 |
| 少年時代、学校では広島弁、家へ帰るとそれに大阪アクセントの相当まじった言葉、両方使い分けていた。 |
| 」とある。 |
| 父甲一は50歳を迎えて間もなくの1920年(大正9年)初め、事業の第一線を退き、大阪の家をたたみ、広島へ居を移した。 |
| 弘之が物心ついて以後、父はいつも、奥座敷に碁盤2つ並べて、午後の小半日、近所の知り合い3、4人と碁を打って暮らしていた。 |
| 『亡き母や』186頁。 |
学生時代
| 偕行社附属済美小学校、広島高等師範学校附属中学校、旧制広島高等学校を経て東京帝国大学文学部国文科を繰り上げ卒業。 |
| 卒業論文の表題は「志賀直哉」。 |
| 『私の履歴書第三の新人』149-151頁によると、。 |
| 「昭和11年(1936年)2月26日、中学3年の時二・二六事件が起った。 |
| 阿川はひどく興奮し、帰宅するなり母親に向かい“こういうことは大嫌いじゃ。 |
| これじゃけぇ陸軍はいやなんじゃ。 |
| ”と大声の広島弁でまくし立てた。 |
| この発言の時、阿川家では父親がいつもの通り、奥座敷で丸橋さんという近所の退役陸軍大佐と碁を打っており、母から“大きな声を出しなはんな、丸橋さんに聞こえたら悪いがな”と小声でたしなめられたが、阿川は“何が悪いもんか、聞いてもらったほうがいいのだ”と胸のうちで思っていたという。 |
| 二・二六事件とその歯切れの悪い後始末を見て以後、徹底的な陸軍嫌いになった」という。 |
| 『私の履歴書第三の新人』191-192頁によると、。 |
| 「海軍経理学校で第二期兵科予備学生の採用試験の際の口述試問で志望動機を聞かれ“はい。 |
| 陸軍が嫌いだからであります”と述べた。 |
| あとで考えて、反軍思想の持ち主と取られかねない返答だったなと思ったが、実際は、試験官が“にやっ”としただけですんだ」という。 |
海軍入り
| 中尉に進級した直後の8月「支那方面艦隊司令部附」の辞令が出る『私の履歴書第三の新人』209頁。 |
作家として
| 志賀直哉に師事して小説を書く。 |
| 主な著作は『春の城』(読売文学賞)、『雲の墓標』、『山本五十六』(新潮社文学賞)、『米内光政』、『井上成美』(日本文学大賞)、『志賀直哉』(野間文芸賞、毎日出版文化賞)、『南蛮阿房列車』、『食味風々録』(読売文学賞)など。 |
| 主要作品は、戦記文学記録文学である。 |
| 志賀直哉の最後の内弟子として薫陶を受け、その文学上の後継者である。 |
| 当代一の作家と紹介されることがある。 |
| (ちくま文庫 「蛙の子は蛙の子」)時代に媚びることのない正確で淡い情感を呈する文体や表現に定評があり(新潮社 「春の城」「雲の墓標」)、しばしば国語教育の教材などに取り上げられた。 |
| 近年では、自身や長女である阿川佐和子、北杜夫、遠藤周作の随筆に登場してくる、短気で頑固で究極の自分本位とも思える一面の他、ユーモアが横溢し、軽妙洒脱で洒落のわかる粋人(講談社 「春風落月」)としても読者層に知られる。 |
| 歴史的仮名遣派である。 |
| 評論家の半藤一利は「阿川さんは敗亡した祖国日本の葬式をたった一人でやってきたのである」と『阿川弘之全集』(新潮社、全20巻)の刊行に際し言葉を寄せている。 |
| 月刊文藝春秋で巻頭随筆『葭の髄から』を1997年6月号から2010年9月号まで連載。 |
| 連載をまとめた単行本・文庫本が数冊出されている。 |
| 老衰を理由に連載を終了し、連載を単行本化した『天皇さんの涙』を以て文筆活動を終えることにすると表明した。 |
受賞歴
| 1952年『春の城』で第4回読売文学賞[小説賞]。 |
| 1960年『なかよし特急』で第7回サンケイ児童出版文化賞。 |
| 1966年『山本五十六』で第13回新潮社文学賞。 |
| 1979年第35回恩賜賞・日本藝術院賞[文芸/小説・戯曲]。 |
| 1983年第30回交通文化賞。 |
| 1987年『井上成美』で第19回日本文学大賞[学芸部門]。 |
| 1993年文化功労者。 |
| 1994年『志賀直哉』で野間文芸賞、毎日出版文化賞。 |
| 1999年文化勲章、第3回海洋文学大賞特別賞、広島県名誉県民。 |
| 2001年『食味風々録』で第53回読売文学賞[随筆・紀行賞]。 |
| 2007年第55回菊池寛賞。 |
生家
| ;父・甲一(実業家)。 |
| 1870年(明治3年)11月生~1948年(昭和23年)6月没。 |
| 山口県美祢郡伊佐村(現美祢市伊佐町)の農家に生まれた。 |
| 阿川家の八代目を継ぐ立場だったが、数えのはたちになって早々、弁護士を志して郷里をはなれ、家督を甥の太七に譲った『亡き母や』138頁。 |
| 満洲阿川組社長、長春倉庫運輸株式会社社長、長春日本人商工会議所会頭などを務めた『亡き母や』187頁。 |
| ;母・キミ(大阪、刀剣・骨董商・石井定次郎の娘)。 |
| 1879年(明治12年)5月生~1955年(昭和30年)6月没。 |
| 大阪の没落商家の娘キミは、十八、九の時一度結婚するが、相手の男がひどい酒乱だったためすぐ別れて、下宿屋兼業の旅館へ女中奉公に出た。 |
| その旅館が父甲一の内地へ帰って来た時の定宿であった。 |
| やがて甲一とキミとの間に関係が生じた。 |
| 阿川弘之著『亡き母や』41頁によると、「我が家の本籍地、山口県美祢市役所の住民係に頼んで取り寄せた、戸籍謄本を見ると―こんなもの丹念に見るのは実に久しぶりだが、戸主欄冒頭“明治四拾参年弐月拾四日石井キミト婚姻届出仝日云々”と、受附けた大阪市西区役所戸籍吏の名前が記されている。 |
| これは、数への八つに成長したひとり娘の静栄が小学校へ上る二ヶ月前の日附である。 |
| 実質上の夫婦となつてから約八年間、母は何故阿川の籍へ入れてもらへなかつたのだらう。 |
| その八年間に日露戦争があつて、ロシア語の通訳官として従軍した父は、戦勝後長春で満鉄下請けの土木事業を始める。 |
| 戦功により、南満洲鉄道株式会社専属実業家の地位を得た父甲一にとつて、おキミさんは“内縁の妻”或は単なる“大阪の女”に過ぎなかつたのか。 |
| 娘の世間躰と、一方、満洲に置いてゐた隠し子を連れ帰つて“育ててやつてくれ”と押しつけた負ひ目と、それやこれやで、やうやく内縁の“大阪の女”を正妻と認め、入籍したのではないかと想像するのだけれど、本当のところは何も分らない。 |
| ;異母兄・幸寿(満鉄社員、満州国官吏)。 |
| 1901年(明治34年)1月生~1968年(昭和43年)没。 |
| 兄幸寿は父甲一の庶子であり、ハルビンの日本料理屋の抱へ芸者たちの髪を結う髪結女(田中シツ)との間に出来た子供で、のちに母が引き取って養育したのだと小学生の時母から打ち明け話を聞かされ、弘之はショックを受けた『私の履歴書第三の新人』122頁。 |
| 京大経済学部を卒業後、満鉄に入社し、後に満州国官吏に移籍して安東の市長をつとめた『私の履歴書第三の新人』122、128頁、『亡き母や』57-72頁。 |
| ;;同妻・光子(広島、回船問屋加川百助の娘)『亡き母や』50頁。 |
| ;;静栄(岐阜県、満鉄社員・川上喜三の妻)。 |
| 1912年(明治45年)2月生~1917年(大正6年)没。 |
| 満五歳の時結核性脳膜炎を患って夭逝『亡き母や』33-39頁。 |
家庭
| ;長男・尚之(法学者・慶應義塾大学教授)。 |
| ;長女・佐和子(エッセイスト、タレント)。 |
系譜
| ;阿川家(山口県美祢市伊佐町)。 |
| 阿川弘之著『亡き母や』138-139頁によると、「初代三之助の歿年を西暦で記すと一七四三年阿川家の初代三之助は寛保3年(1743年)5月17日に没した。 |
| 戒名は“釈浄円信士”(『亡き母や』137-138頁)、ざつと数へて幕末維新まであと百二十年、その間(かん)七たび代替りしながら、我が阿川家からは、朱子学蘭学を学んだ者も、勤皇の志士も、郷土史に名を残すほどの篤農家も出てゐないらしい。 |
| 伊藤宮司は「鎌倉時代の武将佐々木定綱の孫秀綱は13世紀の中ごろ長門国豊浦郡阿川の地を賜って移り住み佐々木姓を阿川に改めた。 |
| しかし父甲一の生家の阿川家は代々の農家であり、近江源氏直系の鎌倉武将一族の末裔であるということについては、弘之はやや疑問をもっている。 |
| 阿川弘之著『亡き母や』140-141頁によると、「近江源氏直系の鎌倉武将一族と、伊佐のお寺の墓石の下に眠る私のひいぢいさん、ひいひいぢいさんたちが縁つづきであることを、必ずしも疑ふわけではなかつたけれど、時代のへだだりが大き過ぎる。 |
| 興を催すのはやはり、肌身の感触を知ってゐる父甲一の前半生、伊佐の農家の小倅(こせがれ)が志を立てて家郷を出て、学を修め、シベリアへ渡り、満洲へ移つて事業を起すまでの、立身の道程である。 |
| (八代)。 |
| ┏━りき━━━━━━阿川太七。 |
| ┃ ┃。 |
| ┗━女 ┣━静栄。 |
| ┃。 |
| ┣━公子。 |
| ┃。 |
| ┗━阿川弘之━┳━阿川尚之。 |
| ┃。 |
| ┣━佐和子。 |
| ┃。 |
| ┣━男。 |
| ┃。 |
| ┗━男。 |
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