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プロフィール
陣幕久五郎(じんまくきゅうごろう、文政12年5月3日(1829年6月4日)-10月21日)は、江戸時代末期から明治時代中期にかけての力士。第12代横綱。江戸時代に横綱免許を受けた最後の力士である。「負けず屋」のあだ名で知られた強豪横綱。史上横綱十強に入れる人も多い。身長174cm、体重138kgと伝わる。
人物
| 出雲国意宇郡(現・島根県松江市)出身。 |
| 本名は石倉槇太郎という。 |
| 徳島藩の抱え力士として出発したが、途中で一時期松江藩の抱え力士となり、10月以降は薩摩藩の抱え力士となった。 |
| このことが、明治以降における陣幕の活動を助けることとなる。 |
| ただし、この度重なる所属替えは徳島藩士の陣幕への嫌悪へとつながり、4月場所7日目の陣幕と張出小結鬼面山との取組で最高潮に達した。 |
| 対する鬼面山は新入幕以来徳島藩の抱え力士で、陣幕とともに阿波の四天王と称されたこともある強豪力士であり、陣幕は幕末の勢いに乗る薩摩藩抱えであった。 |
| 土俵脇の砂かぶりでは両藩士が刀の柄に手をかけ、行司6代式守伊之助も顔面蒼白という一触即発の雰囲気の中、両力士は待った2度、水入り2度ののちに引き分けた。 |
| 水入りの際の場内の騒ぎは、天地も崩れるほどであったという。 |
| しかし、相撲を取ったのは慶応3年11月場所までで、その後は明治維新の動乱に巻き込まれた。 |
| 通算成績は幕内19場所87勝5敗17分3預65休、勝率.946。 |
| 優勝相当成績5回。 |
| 結果的にではあるが、横綱勝率10割【3月7勝2分、同年11月7勝。 |
| 計14勝2分無敗】という記録を打ち立てた。 |
| その後、年寄陣幕として大坂相撲の発展に尽くしたが、9月場所限りで廃業し、実業家に転進した。 |
| 特に相撲関係の建碑事業に奔走し、に建立した東京・深川の富岡八幡宮の「横綱力士碑」など、全国各地に碑を建てた。 |
| そうしたことから「建碑狂」とも呼ばれた。 |
| 元勲元老を始めとする政財官界の大物が協力しており、薩摩藩抱えであった経歴を十二分に活用している。 |
| 晩年は東両国の日除地で横綱煎餅を売っていたらしい。 |
| 錦絵も写真も眼光鋭い陣幕の様子を描写しており、威圧感は十分だった。 |
| ただ、初めのうちは皆弱いと思っていたため、弾みで「生首をやる」と言って後で必死に謝る羽目になった者がいたり、不知火に鼻であしらわれ絶対勝たせなかったりした。 |
| 墓は東京都品川区光取寺と広島県尾道市光明寺にある。 |
| 尚、陣幕という四股名は後に大日本相撲協會に拠って年寄名跡『北陣』として現在に至るまで代々受け継がれている。 |
| 名跡が『北陣』に変わっているのは、陣幕長兵衛を祖とする『陣幕』と同名となるため、北陣幕と呼んで区別していた名称が変化したものである(陣幕長兵衛の陣幕は、別名『南陣幕』といわれていた)。 |
| なお、大正初期の幕内力士八甲山が一時「陣幕久五郎」を名乗ったことがある。 |
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1829年
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陣幕 久五郎(じんまく きゅうごろう、文政12... |
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