| 陳平は出奔中に河を渡ろうと船頭らしき者たちに声を掛けた。 |
| 彼らは応じてくれたが、実は野盗であった。 |
| 陳平の容姿が立派なことから「実は名のあるものに違いない。 |
| ならば金も持っているはずだ」と船上で襲おうとしたのである。 |
| それに気づいた陳平は、突如裸になり自ら船を漕ぎ始めた。 |
| 無一文だと先に示し、襲われることを防いだのである。 |
| そして裸一貫で漢にいた旧知の魏無知を頼り、そのつてで劉邦に面会する。 |
| 劉邦もその話し合いで陳平を気に入り、即日項羽時代と同じく都尉に任じた。 |
| 都尉とは軍を監察し規律を改める役目であるが、古参の将軍達には突然やってきた輩が付いたことが不快であったため、非難したが劉邦は受付なかった。 |
| しかし彭城の戦いでは劉邦軍の規律が乱れていたため、少数の項羽軍に大敗。 |
| 不満は更に膨れ上がり、劉邦に長く仕える周勃と灌嬰に「兄嫁と密通していた(とは周勃たちが言っているだけなので真実かどうかは不明)」、「賄賂を取って地位を上下させた」などの品行の無さを訴えられる。 |
| しかしその弁明「役目は授かったが必要な経費を頂いておらず、漢楚の状況から待ってはおれず金品を受け取りました」や、推挙した魏無知の「今の漢楚の状況で、美徳の士を得たとしても勝利できましょうか。 |
| 私が推挙したのは陳平の才能であり、品行ではありません」という進言もあり、それでもなお劉邦は重用し、更に位を亜将(将軍に次ぐ位)まで上げ、韓王信に所属させた。 |
| まもなく劉邦は項羽に追われ、滎陽城に籠城することとなった。 |
| 不利な状況の中陳平は、項羽が疑り深い性格であるため部下との離間が容易に出来ると劉邦に進言し、劉邦もその実行に四万金もの大金を「使途を一々報告する必要はない」と与えた。 |
| そして范増・鍾離昧・竜且・周殷と言った項羽の重臣たちが項羽から自立しようとしているとの噂を項羽の耳に流し込んだ。 |
| 項羽はそれを信じて疑うようになり、項羽軍に大きなほころびが生じることとなった。 |
| 特に范増へは項羽配下随一の智謀の才であったためか念を入れ、項羽へ和平の申し入れを行い、使者を送らせ噂の真偽を確かめるよう仕向けた。 |
| そして使者を范増の使わした使者として、豪華な宴席に招き、范増と仲が良いかのように振舞った。 |
| しかし使者が項羽の使者であると聞くと、粗末な席に変えさせ、劉邦に「我が方は勝てるが、お情けで和平してもよい」と言わんばかりの横柄な態度で接させた。 |
| このため范増は項羽に亜父と称され厚く信頼されていたにも係わらず失脚し、故郷に帰る途中で憤死した。 |
| さらに韓信が斉王を名乗ろうと願い出た際には、憤る劉邦を張良とともに納得させた。 |
| また広武山で項羽と和議を結んだ際には、和議を破って疲弊した項羽軍に攻め込むべきであると張良とともに進言し、最終的な漢の勝利を得ることとなった。 |
| 紀元前202年、劉邦が項羽に勝利して前漢が建てられると、陳平は故郷の戸版に封じられて戸版侯と成った。 |
| 紀元前200年、劉邦は匈奴討伐に自ら出征するが、冒頓単于の作戦で平城(現在の山西省大同付近)の白登山で包囲されて食糧も尽きてしまった。 |
| ここで陳平の奇策で何とか和睦をして劉邦は帰る事ができた。 |
| この作戦の内容は分からないが、冒頓単于の閼氏(皇后)に中国の美女が単于の物になるかもしれないと吹き込んで、その嫉妬心につけこんだ物と伝わっている。 |