75145
75564
999126
%E9%99%B6%E5%BC%98%E6%99%AF
%E9%99%B6%E5%BC%98%E6%99%AF
%E9%99%B6%E5%BC%98%E6%99%AF
%E9%99%B6%E5%BC%98%E6%99%AF
%E9%99%B6%E5%BC%98%E6%99%AF
0
|
他の画像検索結果
他人の画像が選択されている・混じっている場合
画像候補は人物名で顔画像を検索したものです。
人物として適切でない画像も含まれてしまう可能性があります。
適切な画像になるよう 陶弘景の画像検索結果ページで修正できます
|
|
ネットワーク
|
タグ
タグはありません
キーワード
|
|
|
|
|
|
プロフィール
- 陶弘景とは
- 生涯
- 医薬
- 道教
- 書
- 主な著作
- 参考文献
- 伝記資料
- 外部リンク
- 関連サイト
陶弘景(とうこうけい、孝建3年(456年)-大同2年(536年))は、中国六朝時代の医学者・科学者であり、道教の茅山派の開祖として知られる。山林に隠棲しフィールドワークを中心に本草学を研究し今日の漢方医学の骨子を築いた。また書の名手としても知られ後世の書家に影響を与えた。字は通明。隠居後は名を捨て華陽隠居と名乗り、晩年には華陽真逸と称した。丹陽郡秣陵(現在の江蘇省南京市)の人。眉目秀麗にして博学多才で詩や琴棋書画を嗜み、医薬・卜占・暦算・経学・地理学・博物学・文芸に精通した。
生涯
| 南朝の士大夫の出身。 |
| 祖父は王府参軍、父は県令を務めた。 |
| 幼少より極めて聡明でたちまち書法を得、万巻の書を読破した。 |
| 10歳のときに葛洪の『神仙伝』に感化され道教に傾倒し、15歳にして『尋山志』を著したという。 |
| 20歳の頃、南斉の高帝に招聘され左衛殿中将軍を任じられると諸王の侍講(教育係)となり武帝のときまで仕えた。 |
| 30歳の頃、陸修静の弟子である孫游岳に師事して道術を学び、36歳にて職を辞し永明10年(492年)、茅山(南京付近の山・当時は句曲山といった)に弟子ととも隠遁した。 |
| 『南史』には陶弘景が致仕したとき皇帝の肝いりで盛大な送別会が催されたことが伝えられている。 |
| 永元元年(499年)に三層の楼閣を建て、弟子の指導をするほか、天文・暦算・医薬・地理・博物など多様な研究に打ち込んだ。 |
| また仏教に深く傾倒している。 |
| 王朝が交替すると梁の武帝は陶弘景の才知を頼り、元号の選定をはじめ吉凶や軍事などの重大な国政に彼の意見を取り入れた。 |
| このため武帝と頻繁に書簡を交わしたので「山中宰相」と人々に呼ばれるようになる。 |
| 年を負う毎に名声が高まり王侯・貴族らの多くの名士が門弟となった。 |
| 『文選』の編者として知られる昭明太子も教えを受けたひとりである。 |
| 多岐にわたる著述を著しその数44冊に上った。 |
| 享年81(『南史』では享年85)。 |
| 諡は貞白先生。 |
医薬
| 陶弘景は前漢の頃に著された中国最古のバイブル的な薬学書『神農本草経』を整理し、500年頃に『本草経集注』のちに散逸してしまったが、明治期に敦煌にて写本(敦煌文献)が見つかり現在龍谷大学の大宮図書館に所蔵されるを著した。 |
| この中で薬物の数を730種類と従来の2倍とした。 |
| また薬物の性質などをもとに新たな分類法を考案した。 |
| この分類法はいまなお使われている。 |
| 唐代(659年)に蘇敬らが勅命により『新修本草』が刊行したが、『本草経集注』の内容を網羅的に継承し増補した内容であった。 |
道教
| 道教の一派である上清派を継承し茅山派を開いた。 |
| 著書『真誥』は上清派の歴史や教義を記述した重要な文献となっている。 |
| 仙道の聖地である茅山に入り、弟子とともに道館「華陽館」を建て多くの門弟を育て優れた道士を輩出した。 |
書
| 王羲之や鍾繇に師法し淡雅な書風だった。 |
| 陶弘景が書したとされる「瘞鶴銘」の碑文は後世に評価が高くその革新的な書法に啓発された書家は数多い。 |
| とりわけ北宋の黄庭堅は大きな影響を受け、独特のリズムを持つ革新的な書法を完成させた。 |
| また梁武帝と書簡の中で書論を交わしているが、この書論は唐代になって張彦遠の『法書要録』に収められ王羲之の書を最高位とする後世の評価を決定づけることになった。 |
主な著作
| 『登真隠訣』。 |
| 『真霊位業図』。 |
| 『養生延命録』。 |
| 『本草経集注』。 |
| 『補闕肘後百一方』。 |
| 『華陽陶隠居集』。 |
参考文献
| 陳舜臣『中国傑物伝』(『陳舜臣中国ライブラリー』28)集英社、2001年、ISBN4081540284。 |
| 吉川忠夫、麥谷邦夫編『眞誥研究 譯注篇』京都大学人文科学研究所、2000年。 |
|
投票数
0
| ふりがな |
|
| 性別 |
|
| 出身地 |
|
| 生年月日 |
|
| 血液型 |
|
| 職業 |
|
| 所属 |
|
| Twitter |
|
|
|
|
|
|
|
|
つながりの強いひと
|
|
李時珍
字を東璧、号を「瀕湖仙人」といい、中国・明の医師で本草学者。中国本草学の集大成とも呼ぶべき『本草綱目』や、奇経や脉診の解説書である『瀕湖脉学』、『... |
|
|
東晋
中国の西晋王朝が劉淵の漢(前趙)より滅ぼされた後に、西晋の皇族であった司馬睿によって江南に建てられた王朝である(317年-420年)。西晋に対し史書では東... |
|
|
南北朝時代
日本の歴史で、皇室が南北2つに分裂した時代である。 |
|
|
高帝
東アジア世界で皇帝に贈られた諡号。正式には高皇帝(こうこうてい)、あるいはより長い諡号である。太祖の廟号と併せて王朝の創始者に贈られることが多かっ... |
|
|
吉川忠夫
日本の東洋史学者。京都大学名誉教授、日本学士院会員、東方学会会長。専門は中国中世思想史。 |
|
|
大塚敬節
昭和期の漢方復権に尽力した代表的な日本の医師。東洋医学の発展に貢献した業績により1978年に日本医師会より最高優功賞を日本で初めて受賞。号は敬節(けい... |
|
|
曇鸞
中国南北朝時代の僧である。中国浄土教の開祖とされる。浄土宗では、「浄土五祖」の第一祖とされる。浄土真宗では、七高僧の第三祖とされ「曇鸞大師」・「曇... |
|
|
李白
中国盛唐の詩人。字は太白(たいはく)。号は青蓮居士。唐代のみならず中国詩歌史上において、同時代の杜甫とともに最高の存在とされる。奔放で変幻自在な詩... |
|
|
白居易
中唐の詩人。字は楽天。号は酔吟先生・香山居士。弟に白行簡がいる。 |
|
|
吉益東洞
安芸国山口町(現在の広島市中区橋本町付近)出身の漢方医で、古方派を代表する医であり、日本近代医学中興の祖である。名は為則、通称は周助。はじめ東庵と... |
|
|
元帝
東晋の初代皇帝。河内郡温県の人。魏の司馬懿の曾孫に当たる。祖父は瑯邪武王司馬伷、父は瑯邪恭王司馬覲。生母は夏侯光姫(魏の夏侯淵の曾孫)。弟に東安王... |
|
|
陸機
呉・西晋の文学者・政治家・武将。字は士衡。呉の四姓(朱・張・顧・陸)の一つ、陸氏の出身で、祖父・父は三国志演義の登場人物としても有名な陸遜・陸抗。... |
|
|
小野蘭山
江戸時代の大本草学者。名は識博(もとひろ)、通称は喜内、字は以文、号は蘭山、朽匏子。しばしば「日本のリンネ」と称される。京都出身。門弟に杉田玄白、... |
|
|
陶淵明
中国魏晋南北朝時代、東晋末から南朝宋の文学者。字は元亮。または名は潜、字は淵明。死後友人からの諡にちなみ「靖節先生」、または自伝的作品「五柳先生伝... |
|
|
貝原益軒
貝原益軒(かいばらえきけん、1630年12月17日(寛永7年11月14日)-1714年10月5日(正徳4年8月27日))は江戸時代の本草学者、儒学者。 |
|
|
曇鸞大師
直接の関係はありませんが、私の先輩講師で、 奥越親鸞学徒の集いのブロガーさん ( http://blog.goo.ne.jp/oonokatu21 ) が、曇鸞大師のこと書いておられま... |
|
|
真柳誠
中国本草図録 巻1 蕭培根/主編 真柳誠/訳編集 出版社名 : 中央公論社 出版年月 : 1992年11月 ISBNコード : 978-4-12-403092-1
( 4-12-403092-4... |
|
|
森立之
森立之(もりたつゆき) [ 日本大百科全書 ( 小学館 ) ] (1807―1885) 江戸後期の医師、考証家。文化(ぶんか)4年 11月 江戸に生まれる。幼名伊織、字(... |
|
|
霊芝
霊芝(レイシ、Ganodermalucidum(Leyss.ex.Fr.)Karst)はマンネンタケ科の一年生のキノコで、形態は系統により様々に変化する。肉質はコルク質様で表面はニス... |
|
|
陶弘景さんについてのひとこと紹介
|
|
|
|