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プロフィール
雪峰義存(せっぽうぎぞん、822年(長慶2年)-908年(開平2年))は、中国の唐末五代の禅僧である。諡号は真覚(眞覺)大師。泉州南安県(福建省)の出身で俗姓は曾氏。
生涯
| 仏教の熱心な信者の家庭に生まれ、幼少時より僧侶への道を目指し、9歳の時に出家を志したが、両親は許さず、後に12歳になって叔父に連れられて行った蒲田の玉澗寺の慶玄律師のもとで沙弥となった。 |
| 17歳で剃髪し、その後、各地を遊方し、幽州(河北省)の宝刹寺で具足戒を受ける。 |
| 会昌の廃仏に遭い、儒学者に変装して帰宗智常の弟子である芙蓉霊訓に師事した。 |
| 芙蓉霊訓の没後は雲水として各地を巡歴し、洞山良价や投子大同に師事したが大悟には至らず、洞山の命令で徳山宣鑑に師事した。 |
| しかし、数年しても開悟出来ず、そこで親しくなった欽山文スイと巌頭全豁と共に再び巡歴の旅に出た。 |
| 旅の途中、雪に足止めされて数日間同じ場所で坐禅を続けたが、巌頭に諭されて悟りを開き、徳山宣鑑の法嗣となる。 |
| その後、当時評判の高かった臨済義玄を尋ねに行こうとしたが、途中で出会った僧侶に臨済の死を知らされ、そこで2人と別れて故郷の福建に戻った。 |
| 福建に戻ってからは、雪峯山に住し、40年余にわたり化導に励み、観察使の李景や閩の王審知の帰依を受けて教団が繁栄し、その拠点となった雪峰寺には常時1,500人もの僧侶が修行し、筆頭弟子の玄沙師備を始め、雲門宗の開祖となった雲門文偃や長慶慧稜、鼓山神晏、保福従展などの優れた弟子を数多く輩出し、五代時代において最大の仏教教団を形成した。 |
| 僖宗(『景徳傳燈録』では懿宗)より真覚大師の号を賜わる。 |
| 享年87、法臘59。 |
略歴
| 822年泉州南安県(現在の福建省)にて誕生。 |
| 833年玉澗寺の慶玄に師事して沙弥となる。 |
| 838年正式に出家する。 |
| 845年芙蓉霊訓に師事。 |
| 849年幽州の宝刹寺で受戒。 |
| 865年徳山宣鑑について嗣法。 |
| 868年西禅寺を開く。 |
| 869年~874年雪峰寺を開く。 |
| 898年王審知に仏心印を説く。 |
思想
| 雪峯は悟りを開いたのが44歳と大変遅かったので修行者の苦心に同情的であり、問答の相手一人一人に合わせた適切でわかりやすい指導を行った。 |
伝記
| 『祖堂集』巻7。 |
| 『景徳傳燈録』巻16「福州雪峯義存禅師」。 |
| 『宋高僧伝』巻12「唐福州雪峯広福院義存伝」。 |
| 『雪峰眞覺大師年譜』。 |
| 師:徳山宣鑑禅宗弟子:玄沙師備、雲門文偃。 |
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つながりの強いひと
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徳山宣鑑
師事
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雪峰義存さんについてのひとこと紹介
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